自分の気持ちを、どこからどう吐いたらいいのか、もう分からなくなってしまったな
どうしてこんなにも世の中は醜く、争いは絶えず、報われない者がいて、不公平が転がり、奪い合い搾取し合い、出し抜くものばかり成功して、人を馬鹿にする者は変わらず反省もせずやられた側ばかり成長が求められ、ありのままは愛されぬのか。ただ、生まれ落ちただけなのに。
傷つけることでしか自分を守れないこともあるけどね、死ぬ直前に思い出したとき、あなたが苦しまないといい
一人で泣く夜に救いが来なくても、いつかですら報われなくても、どうかあなたを傷つける時間にだけはならないように
あなたの苦しみはあなたのもので、僕の苦しみは僕のもので、今日も誰かの前で何かを演じて、1人になった途端に膝から崩れ落ちる人もいるかもしれない。
何があっても事実だけは事実として残るよ。君が生きたことも、私が生きたことも。
23:40 夜におやすみ
1人が好きとかじゃなくて、1人じゃないと嫌だ まである
人前では病的に気を張ってるしそれすら悟られないように笑ったり楽しむことが得意。だけどその姿を優しくて好きだって言われると嫌悪感がある。わがままだなと思う。見えてるものしか人は見えない、無理して楽しんでくれるところが好きって思ってくれるだけありがたいじゃないか。と何度も自分に言う。
何度やり直しても生粋のINFJ 可視化された種類の分け方に固執はしないけど、自分を説明するときに言語化がしやすくなったのはありがたい
人間は同じ方向を向いている人としか一緒に生きていけないなとよく感じる。 死は突然にくる 「死ぬまで誰かと一緒にいる」ではなくて、「死ぬ時に誰といたか」なんだろうなと思うようになった
あの頃 「子どもに絶対手をあげちゃうから子供なんか産みたくない」と漏らしていた友人はいつの間にか結婚し 「早く子どもを産んで育休とりたい」とこぼすようになった。
誰にも言えないことばっか
人になんと言われようと自分の経験の価値は自分で決められるもの。 それはなんて幸福なことだろう、と思う。 そしてそれは誰かに覆せるものでも書き換えられるものでもない。
これから先どうなるか分からないけど、心の底から望み続けたこの道が、自分の運命では無かったとしても人生は続いていく。死ぬことは想像以上に容易ではない。 その時に全力で頑張った時間や経験は必ず「熱源」になる。生きていける。だからその時のためにも今必死にやる、って気持ちでいる。
あと少し、あと少し