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AI生成イラストと、作ったということ

いまどきのAIはイラストを生成できます。
しかもだいぶ高性能。

この記事のカバー画像もそのひとつ。
つい今しがた、「Stable Diffusion」を使って生成したものです。

参考までにプロンプトとシード他情報を載せておきます。再現できるんかな。

blue sky, tree, mountain
Steps: 20, Sampler: DPM++ 2M Karras, CFG scale: 7, Seed: 3555188441, Size: 952x512, Model hash: 6ce0161689, Model: v1-5-pruned-emaonly, Version: v1.6.0

…なんて雑なプロンプトなんだ。
blue sky, tree, mountain って。

まだまだ細かいところ……たとえば「人がコンピュータを使って仕事をしている姿」とか「人が紙とペンでメモをとっている姿」など、指の本数や手の位置、目の数など、ちょっとの相違で大きな違和感を持つような絵は、まだまだ苦手なように見えます。
これは、人間の目が肥えているから、ともいえます。

しかしカバー画像のように、雄大な自然に木が生えている程度だと、おそらく細かい点で言えばあり得ないポイントがあるのでしょうが……人間の目はそこまで肥えてないので、パッと見、違和感がありません。


AI生成イラストによる揉め事は、ここで挙げるまでもないぐらい、たくさんありますね。

私はエンジニアという職種柄かどうかは分かりませんが、技術には賛成派です。
文字さえ書ければ、イラストを自動で、かつ実質無料で描いてくれるなんて、絵が描けない人間には垂涎ものです。
こういう、「これができたらいいのにな」を実現するのが我々エンジニアの仕事だと思っているので、その最たる例とも言えるかなと。

法律の整備も、法律は数十年前からインターネットの進歩に到底間に合っておらず、ありとあらゆるものが後手後手に回っています。
その後手後手の中に1つ、AI生成イラストという概念が増えた……というだけで、正直大差ないものと思っています。個人的には、ですが。
むろんそのままでいいとは全く思っていませんが、当てはめる法律がないから泣き寝入りせざるを得ない……のは、テクノロジー関連については、今に始まった話ではないです。無い法律は振れないので、仕方ない。

とはいえ、ここ10年くらいは、日本人が大切にしてきたはずの「思いやり」が、大きく欠けているなと感じています。
10年前、ニコニコ全盛期ぐらいまでは、少なからず残っていたと思いますが、ここ10年はほとんど見ない。

法律がなくともなんとかなっていたのは、日本人の「思いやり」文化によるものだと考えています。
常識的に考えて」、これを言うほうが「心象がいい」だろう。という発想のことです。

この"常識"や"心象"が伝わりにくくなっている。

今の小中学生もそうだし、ここ10年ぐらいでインターネットと出会った中高年、高齢者もそう。
ここ10年の傾向については、実際の肉体の年齢だけでは語れません。

いかに人生経験が豊富でも、インターネットでの独特な"常識"の前に屈する中高年は多く見られますね。
これはインターネットの情報伝達速度がよりスピーディになった、大量消費時代に入ったからだと考えていますが……この記事とは関係ないので、おいておきます。
気が向いたら話します。忘れてたら誘導してください。


話が変わって、仮に、です。見たことはないですが。

普段料理を全然しない独身男性たちが、グループを作って、「ちょっとずつでも自炊しようよ」「みんなで褒め合おうよ」としたとします。

今まで弁当ばっかりだったけれど、ついにお米を炊きました!
すごい!!

卵は生で食べるぐらいしかしてなかったけれど、目玉焼きを作れるようになりました!
えらい!!

コンビニの野菜スティックじゃなくて、自分で野菜を買ってきて切ってスティックにしました!
すごい!!!

…ってやっている中。

肉じゃがを作りました!

ものすごい!!!

…でもその肉じゃが、自分でじゃがいもや人参や玉ねぎを切って、肉と一緒に煮て……ということはしてなくて、
コンビニで売ってるチルドの肉じゃがを盛りつけただけでした。

おそらくこれは、「思いやり」や「常識的に考えて」からすると、ダメな行動です。
…でも、これを読んで、何がダメなの?と思う人もいるかもしれません。

ここまでの話の流れでは、自炊をする……すなわち、自分で野菜などを買ってきて、台所に立って、まな板やフライパンなどを出して、調理をした。
これに対して「すごい!」と褒めるものでした。

本件の肉じゃがは、調理してません。まな板も出していません。
袋をレンジに入れてチンして皿に入れるだけです。

…ここまで読んでも、「今まで何もしてなかったんだから、レンジでチンして皿に盛るのも立派なんだから、NGケースとしては不適切では?」と思われるかもしれません。

よく考えてください。
それは"作った"のではないのです。調理をしていないので。
"レンジでチンして皿に盛った"のです。

なので、本来この場合、

今まで出来物しか買わなかった肉じゃがを、チルドのものを買って、レンジでチンして盛りつけました!

…が正解です。
それは、十分立派な行動です。間違いない。
出来物しか買ってなかったのにひと手間かけてますね。
褒められるべきことは、作ったことではなく、手間をかけて盛りつけたことなんです。

「思いやり」や「常識」は、行動に対して言っているものではありません。
日本語の使い方です。
日本人は、奥ゆかしい日本語というものを巧みに操って、人の心を動かしてきました。

人のことを言えないのですが、日本語の語彙が足りないのか、思考回路を言語化できないのか、はたまた文字列だけでのやり取りに慣れておらず、文字列を見たときの印象を想像できないのか……いわゆる口下手な人が多いように思います。
自分が伝えたいことと、その発言により周りに受け止められる印象が全く異なり、起きる必要のない揉め事が起きがち。


本稿で言いたいことは、この2つをくっつけたものです。

AI生成でイラストはカンタンに描けます。作れます。

でも、それはあなたが描いたものではありません。パソコンが描いたのです。
描いたふりをしてはいけません。描いた雰囲気を醸し出してはいけません。

AI生成でこんなイラストを作りました、と主張するのは問題ありません。
AIの進歩はすごいな、と言えます。

AI生成であることを伏せ、それにとどまらず、たとえば「過去絵です」とか、「作品です」とだけ言って出した場合。
これらの言葉は「自らが描いた」というニュアンスを含むため、これらは不正解です。
"常識"や"心象"を汲み取れていません。

そのような言い方をして作品を出してしまうと、それは叩かれても仕方がないかなと思います。
AI生成絵の批判も激しくなるかと思います。
AI生成絵は悪……それも極論だと思いますが、日本人の思いやりを失った人間が使う道具なら、悪なのかもしれません。

身の程を知る。

つねに敬意を持つ。他人にも、技術にも。

これを自然にできるかどうかが、まずひとつ。
自然にできなくても、気づいて是正して……いわば出る杭にならず、周りに合わせられるか、がまたひとつ。
歩調を合わせるのも日本人の奥ゆかしさですからね。

法律が追い付かない今、技術が進歩する今、最後の切り札である日本人らしさを失った後、残るのはディストピアです。

最後の切り札を失わないよう、気を付けていきましょう。


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