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我思う、故に我あり


面倒くさい人


自分がどんな人か、一言で表せと言われたら、ワイは迷わずこの言葉を選ぶだろう。

何も考えていないように見せるのが上手い。
ではなく、ただ何も考えてない瞬間と、どこまでも考える時間の繰り返しの中で生きてきたの方がしっくりくる。

感動を覚える時はいつだって何も考えていない。
美味しいご飯を食べた時、いいライブを見た時、いい映画を見た時、面白い漫画を見つけた時。
純粋に楽しむことに徹していると思う。
それは、第三者に意見に左右されることなく、自分の好きを見出せる人間でいたいからだ。
しかし、その後急にその裏を勘ぐり出す。
『あの言葉の裏には何が隠されていたのか。』

ー『この時の作者の気持ちを答えよ。』
この言葉はワイにとって呪いになった。
物語自体ではなく、作者の気持ちまで慮れないといけないのだと。
国語の授業、ワイは先生の目を盗んでは教科書の現行の話ではない話を読むのが好きだった。とにかく文字を、文を読むのが好きだった。
知識が増えるからではなく、文で表される情景描写が脳みその中で展開されるのが好きだったんだと思う。
モアイ像の話、ウミガメの話、きつねの話。
ごん、お前だったのか。私をこんな人間にしたのは。

行ったことのない時代、行ったことのない島、行ったことのない世界。
小説や文章はいつだってそこに自分を連れて行ってくれた。
朝の読書の時間にあんなに真剣だったのはワイくらいなのではないだろうか。

しかし、あまりにもアウトプットが下手だった。
話したい話はあるのに、それを相手に伝える力が無かった。
そんなワイは、いつしかそれとないいじりから発展するイジメの標的になっていたようだった。第三者視点で見れば。
メンタルの弱さを痛感することになった。
当時中学生だったワイは、どこからどう見ても変な見た目の変なやつ。天然のくるくるパーマに160にも満たない身長に94kgのちんちくりん。
今のワイが当時のワイと対峙したら、ひとこと目にユニークな悪口で容姿をいじるだろう。
でもびっくりするくらい当時は、プライドが高かった。
何をせずとも周りに人が集まる兄に憧れており、自分もそうなれるものだと、思っていたから。
そんな自分を矯正する為に、あのいじり限りなく擬態したいじめは素晴らしく最適解であったのだと思う。
ワイはプライドを捨てて、そこにいる人たちを笑わせることに夢中になった。
途中からは『目の前にいるこの人間を笑わすことができれば、自分は面白い人間になれる』なんて期待をしながら、恥部を笑顔で披露することも厭わなくなっていた。
笑いのためならと、自分を犠牲にできるようになった。自分を殺す痛覚が鈍り出した。

高校生になった私は、自虐と自分の話ばかりする人間になっていた。周りを笑わせたら勝ち。そこに固執している人間はたくさんの人間に嫌われていたと思う。
父の影響で好きだったバンドをやる為に音楽部に入り、それなりに楽しい高校時代を過ごした。
いじりのきつさは相変わらずだったが、屁でも無かった。
自分の心の痛みを殺すのが上手いままだった。

そんな私を救ったのは音楽だった。
ライブハウスに通うようになった私は、初めて地元以外の人間と関わるようになった。
大好きなバンドマン、大好きな友達がたくさんできた。
毎回、人間関係を作る為に私には自虐しか無かった。
自分を卑下して笑いをとり、自分の容姿を馬鹿にしてもらうことによって距離を縮めることしかできなかった。

しかし、周りの人間は大人で、優しい人たちばかりだった。
私が私を馬鹿にするたびに、優しい言葉をかけてくれた。
バンドはお前はここにいていいんだと歌い続けていた。

初めて誰かに『お前は面白いやつだ。』と言ってもらえた。
初めて『自分をそんなに卑下しなくてもいい。』と言われた。

そこからは自虐に逃げる癖を治すようになった。
自虐をした後は必ずポジティブに返すようにした。もちろん、ネガティブな面は誰もが持つものだからこそ、ネガティブな自分を消し去ることなどできない。
それでも、話の終わりはハッピーエンドになるように、話すようになった。

あれから8年近くの時が経ち、今のワイはこんな人間になってしまったのだ。

好かれる人間には好かれるが、嫌われる人間には本当に嫌われている。

人間、そんなもんでいいんだと思う。

ここまで身の上話をしてきたが、こんなこと誰かに話すことももう無いし、いつだって茶化してこれから生きていくんだと思う。

オタクをしていると、アイドルでも悩んでる人をよく見る。相手のことを知らないとその悩みは解決しなかったりする。
人を見極める感性は、自然に培われるものであると同時に、無意識に備わっていくものでは無いと思う。
毎日毎日、懐疑的に人を見つめ、人の肚の中を探るのだ。

ワイは人の好き嫌いがはっきりしていると自分でも思う。
苦手とした人間とは、どのようにして『関わらないで済むか』に全ての神経を注ぐくらいには。

『みんなと仲良く』は理想であり、現実には難しい。合わない人間は誰だっている。

それを嘆く必要はない。自分に必要なものだけ集めて生きていけばいい。

好きなものにだけこだわっていい。

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