私の合格体験記2

はじめに

おはようこんにちはこんばんは、ごろりです。
前回から3か月ほどあいてしまいましたが、合格体験記の続きをば……。今回は合格体験記2として推薦入試の対策と当日のことを書き連ねていきます。駄文ですが最後までお付き合いいただけると幸いです。

推薦入試対策

早速ですが私が実践していた対策をご紹介します。

・小論文
小論文はほとんどの人が赤本を使うと思います。私もそうでした。筑波大学の赤本で過去8年分は解きました。地球学類の過去問には模範解答がないので、地学の先生に凸って最適な答えを考えてもらっていました。2021年入試からだいぶ傾向が変わっていたので、それ以前の問題とのギャップに戸惑いつつ、まずは地学の小論文を書く練習をしました。
前回の記事で出てきたプロジェクト塾で小論文対策をしてくれていたので、文章を書くことに少しは慣れていましたが、筑波大学の推薦入試で出される小論文って他と少し違っていて、本当に最初は戸惑いを隠せずにいましたね……何年分かやれば慣れますが、それでも難しいです。
赤本は筑波のだけじゃなく、同じランクの地学系がある大学のものも使ってみましたが、やはり傾向が違い過ぎて結局筑波のものばかり使っていました。数をこなしましょう。それしかないです。多分。夏休みに祖母の家でずっと書いていましたね。

・面接
入試3週間前くらいから面接の練習を始めました。もともとしゃべるのは好きなのでそこまで苦ではない、と自分でも思っていたし地学の先生にも言われていましたが、まぁそう上手くいくわけもなく。結局平日は毎日のように高校の先生方に協力していただき、休日は塾の先生の厚意でプロジェクトの時間を削ってまで面接練習に付き合っていただきました。3週間で15回くらいは練習したと思います。それぞれの先生とどのように練習したかを紹介させてください。
①地学の先生
地学関連の質問を多めに。自分の進みたい分野を今どれだけ理解しているのか分かりやすかった気がします。あと終わった後のフィードバックで関連の話をさらに広げていただけるのでありがたかったです。毎日のように付き合ってもらっていたので、ここが良くなっているね、この質問は前回の方が答えがまとまっていたように思うよ、など、毎回すべての受け答えに対して、これまでと比較しながら私と同じくらい本気で考えて指導してくださいました。一生感謝。
②物理の先生
少し難しめだった記憶があります。理系だから、、?論理的に思考することの大変さと重要性を教えていただきました。いつものほわほわした感じからは想像できない緊張感があって身が引き締まる思いをしました。
③世界史の先生
仲良くしてくれていた先生で、理系以外の先生とも面接練習して答えられる幅を広げたい!と思ってお願いしました。専門的なことはあまり聞かれず、普段ほとんど練習できていなかった定番の質問をしてくれました。「先生は地学全然わからないから今回は息抜きみたいになっちゃったかもだけど、これだけ楽しそうに答えられてるし、きっと地学だったらなお楽しいんだろうね、(本名)なら大丈夫だよ。」と言ってくださって涙出ました。この先生は進路指導担当でもあったので、推薦入試に関することを一番最初に相談した先生だったのでとても勇気づけられました。大感謝祭り開催。
④国語の先生
周りの推薦入試勢から圧倒的支持を受けていた先生で、それこそ受け答えの時の話し方、文章の組み立ての仕方などを指導していただきました。しかも担当する生徒に合わせてこんな質問が来るだろうというリストや傾向を作ってくださいました。手厚すぎる。みっちり指導していただきました。精神的に一番辛かったです……
⑤担任
高1のころから私の目標をバカにせず応援し続けてくれていた担任。基礎中の基礎を叩き込まれました。厳しかったけれど、それだけガチになって指導してくれる担任を本当に信頼していたし大好きでした。
⑥塾の先生
実は以前つくばにある高校で地理を担当していたという先生。私のプロジェクト担当がこの先生に決まったのも、私が筑波志望だったからでした。よく話を聞いてくれるしたくさん褒めてくれ、地学と地理を掛け合わせたような変化球質問を投げてくる先生との週末は、筑波入学後のことを考えるモチベの時間でした。

・志望理由書
地学の先生と塾の先生に添削をお願いしました。
ここだけの話、10回以上書き直しました!!!!!!!!
塾の先生のインパクトが大事!という考えに地学の先生が引いてしまい、1から書き直しをそれぞれの先生から2回ずつ受けました。その後は私もどちらかというと地学の先生よりだったのでそちらにウケるように書きました。言い回しや構成などを練り練りして地学の授業があるたびに添削をお願いしていました。放課後の面接練習までには添削を終えて返却してくれていたので、時間を空けずに書き直せていました。本当に時間を割いていただいていましたありがとうございます。出来上がった志望理由書は塾の先生には不評でしたが、自分の言いたいことは全部詰め込めていました。大満足。夏休み明けから初めて、提出期限ぎりぎりまで粘っていました。地学の先生はもっとうまく伝えられるはず、と私よりマジな目で期限当日も言っていて本当にありがたかったし、“担当教員になってくれてありがとうございます大好きです泣”をずっと唱えていました。

このようにたくさんの先生に支えられながら何とか生きていました。
本当にあきらめてやろうか、と考えてしまった日もあるけど、なんとか前を向いてやってこれたのは先生方のサポートのおかげです。もうみんな別々の高校で勤務されているから届かないけど本当にありがとうございました。

つづいては当日(前日)のお話を……

推薦入試当日

当日のお話をする前に前日のお話を少し。
実家が遠いので前日入りするにもギリギリになってしまうため、前々日に埼玉の祖母宅へ。そこから次の日のお昼頃つくばへ向かいました。駅のすぐそばのホテルへ荷物を置いて、循環バスで学内へ下見に行きました。ちなみに過保護で心配性な母がついてきてくれました、ありがとう。第一エリア前で降車し、1D棟前で掲示を確認しました。ついに来たわね、といった感じ。その後はもう一人同じ高校から受験する子がつくば着17時過ぎとかぬかすので暗くて見えなかったらかわいそうだと思い、第三エリアへ向かいがてら構内を散策。やっぱりこの大学で大学生活したいな、と強く思いました。
ホテルへ戻った後はこれまでの練習ノートの振り返りと先生方、友達、先輩、後輩からの応援メッセージを読んで気持ちを高めました。寝る前には大好きな動画、「全地球史アトラス」を見て就寝、しようと思って22時過ぎには布団に入りましたが、本当に眠れなかったです。母の寝息が聞こえてきても心臓が痛いほど動いていて、緊張しているんだと自覚しました。
やっと当日。
集合時間の30分前にはついていたいよね、ということで早めに出ましたが、バスも道も激混みで、まったく進まない。そのうえバスの人口密度が高すぎて体調が悪くなりました。でもそんなこと言ってられません。20分前くらいにはついていましたが、ほぼ席が埋まっていて驚きました。みんなブレザーで、セーラー服私だけじゃん、、と思ったのを覚えています。席に着いてからは教科書や資料集を読んでいましたが緊張でそれどころではなかったです。
1日目は小論文。
2021入試の小論で身構えていましたが、それ以前の形態になっていて少し安心しました。ですが英文を読んでも読んでも内容が滑ってしまい、非常に焦りました。まずは日本語の2題を解いて確実に点を取りに行こう、と考えなおし、落ち着きを取り戻しました。英語はどちらかと言えば得意だったので、落ち着いて読めばわからない単語があっても推測はできました。何とか乗り越えた2時間でした。この日は帰って面接ノートだけ見て寝ました。もう何か考え始めたら止まらないと分かっていたので、先生方からのアドバイスと応援だけ心にしまって就寝。
2日目は面接。
この日は1日目よりバスがすいていたように思います。午前と午後で別れていたからですかね。
待機室ではド緊張の中、友達からの応援メッセージを読んで、父からもらった鹿島神宮の合格守りを握って面接ノートを確認していました。思っていたより時間が過ぎるのは早くて、手が震えていました。面接は緊張しつつもちゃんと自分のことをアピールできたように思います。少なくとも終わってすぐはそう思えていました。退室してから母に会うまでに足が何度もつれて転びそうになったことか、、緊張が解けて安心して心が軽くなりました。大きなへまはしていないはず、多分。その後スタバに行って軽く2日間の振り返りをノートにまとめて茨城県南に住む祖母に顔を見せて埼玉の祖母宅に戻りました。

そんなこんなで2日間の入試を終えました。

合格発表まで

地元に帰ってすぐ二学期の期末試験があったのであまり余韻に浸ったりはしなかったです。ただ、お世話になった先生方に報告をしに行こうと思って入試の問題を思い出していたら、だんだんと自信がなくなってきて、、そもそも受かるとは思っていなかったけど、思っていたよりやばいかもしれない、という焦りが生まれました。たしか帰って3日くらいしてからでした。そこからは死ぬ気で地学と英語と数学(Ⅱ・B)をやっていました。一般受験をするとしたら筑波ではない大学を受けるつもりでいたので、そこに合わせた勉強にシフトチェンジです。とはいっても推薦で合格しても共通テストは受けなくてはならなかったので、推薦対策の合間に少しずつ勉強していたのでそっちに全振りした形です。そんな感じの2週間を過ごしてついに合格発表、、

合格発表

10時からの合格発表、1限と2限の間の休み時間ではありましたが、スマホは使えないし、昼休みだろうな、2限の担当数学の先生だしな、と思っていたらまさかの担任登場。英語じゃないのに何で?!と思っていたら、「(本名)、職員室」心臓止まりそうでした。職員室までの道があんなに怖かったこと、今までになかったです。「緊張してる?まぁやり切ったって言ってたしその結果よ、どっちだとしても」と言われ、少し苦しくなりました。やっぱり落ちてるって思われてるのかな、と思ってしまいました。
担任の席でPCをのぞき込んで合格者一覧を開くと同時に言われた「受験番号覚えてる?」-4300**です、と答えた瞬間 開かれたpdfのど真ん中、たった今私がつぶやいた数字の列がありました。あった、ごうかく、?と漏らすよりも速かった担任からの抱擁、力強くて夢じゃないんだと思ったら涙がこぼれてしまって、子供のように泣いてしまいました。担任もよかった、おめでとう、あんたならやってくれるって思ってたよ、と言ってくれていて、本当に私は憧れの筑波大学に入学できるんだと実感はできなかったけど感情が追い付いてきました。本当に良かった。推薦を考えはじめたのは高1。そこからずっと校内推薦狙えるように実績を作っていたし、評定もキープしてきた2年半。そして入試に向けてがむしゃらに勉強した4か月。やっと報われた。長かった。

一緒に見た担任が泣きながら喜んでハグしてくれたこと、地学の先生が驚き過ぎてバックステップしながら「うぇぇぇまじ?!?!」と言っていたこと、物理の先生が静かに涙を流して「おめでとう、本当に良かった」と言ってくれたこと、受験レポート提出ついでに報告した国語の先生が思っていたよりあっさりしていたこと、世界史の先生がハイタッチをせがみながら大声で「おまえやばいな!!!」と廊下のど真ん中で言ってくれたこと、合格発表の瞬間泣き崩れた私と担任を見て慌てていた職員室にいた先生方、合格しましたと報告した時の安心した顔と「おめでとう」の声、教室に戻ってから不自然なほど目を腫らして静かな私を見て落ちたんじゃないかと気遣うようにしていた友達が、担任からの報告を聞いて駆け寄っておめでとうと泣きながら言ってくれたこと、一緒に筑波受けた子が先生に呼ばれた私に拍手してくれたこと(スマホで先に見ていたらしい)、そして何よりも私の合格発表を私よりも早く見ていた父、私からの報告に職場で泣きそうになってしまった母、授業中だったのにラインにすぐ気づいておめでとうスタンプを送ってくれた兄、帰宅後報告したら耳が痛くなるほどの声量で「は?!受かった?!ねーね大学受かった?!?!?!」と興奮しまくりの弟。こんなにもたくさんの人が私の合格をお祝いしてくれるんだと嬉しかったし、周りのおかげで私は今ここにいられるんだと2年たった今でも鮮明に思い出せるほど幸せな時間でした。

最後に

こんなに長くするつもりはなかったのですが、どうしても忘れたくない気持ち、思い出なのでたくさん書いてしまいました、、照
ド田舎の辺鄙なところからでも国立大学が目指せるんだという、誰かの希望になれば嬉しいです。
質問等ありましたらコメントで、、!
お待ちしております^^
最後までお読みいただきありがとうございました。


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