最新の交換レンズはどのような光学ガラスを使って設計されているのか


ひとつ前の記事ではRF50mm F1.8に関連すると思われる特許を紹介しましたそこには3つの実施例が掲載されており、そのうち実施例1と2のいずれかを製品化したのがRF50mm F1.8 STM なのではないかと推測しました。実施例にはガラスの屈折率やアッベ数も記載されており、そこから使用されているガラスの型番を特定できます。この記事ではこれら実施例がRF 50mm F1.8の原設計という仮定で、実施例に使われているガラスの種類と光学ガラスに関するとりとめのない話をしています。

実施例1

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実施例1は50mm F1.8のスペックでイメージサークル径やバックフォーカスもフルサイズミラーレスカメラ用レンズとして想定されるものに一致し、RF 50mm F1.8の中身の候補の1つです。メーカーの仕様表では非球面ガラスが1枚使われている他は特に何の記載もありません。EDガラスの類は使われていEFマウントの50/1.8は安価な撒き餌レンズとし知られていました。ではRF版の50/1.8も安物の光学ガラスで構成されているのでしょうか?決してそんなことはありません。

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正レンズにはランタン系高屈折率低分散ガラス、負レンズには古典的な高分散ガラスを使用した典型的な高屈折率ガラス同士のガラス構成です。正レンズと負レンズの間での最低限のアッベ数の差は色消し(アクロマート)設計のために必要不可欠です。全体的に見ると、そのアッベ数の差を確保しつつ、可能な限り屈折率を高くしたような構成です。大口径標準レンズでは、色収差よりも球面収差やコマ収差などの単色収差の方が問題となります。ここでは硝材の屈折率を高くし曲率を抑えて収差の発生を抑制することが優先課題であり、低屈折率・超低分散のEDガラスはたとえ色収差補正に効果があっても屈折率や分散の低さを補うためにレンズの曲率が強くなりすぎてしまい、他の収差を悪化させるためここではミスマッチになりそうです。それがEDガラスなど特殊硝材が使われていない原因でしょう。

高屈折率ガラスを使用することで所望の屈折力を得るために必要なガラスの曲率を緩くでき、収差の発生を抑制できるので、このようなランタンガラスー古典的高分散ガラスの硝材構成は広角レンズや大口径レンズによく見られます。ランタン系ガラスは主要な高屈折率低分散化成分がランタン(La)であることからこう言われるのですが、他にもタンタル(Ta)ニオブ(Nb)・タングステン(W)・ガドリウム(Gd)などのレアメタルや、バリウム(Ba)が高屈折率化成分として含まれています。この種のガラスは現代における高屈折率低分散ガラスのメインストリームになっており、高屈折率と低い分散を両立した高価なガラスです。ランタンガラスはアッベ数50以上の低分散でそこそこ高屈折率を持つものからアッベ数30程度の中分散で超高屈折率のものまで幅広い硝種があります。ランタンガラスのカテゴリー内では低分散特性と高屈折率特性がトレードオフとなる傾向にあり、アッベ図上では右上がりの拡散した集団を構成しています。実施例1では前玉と後玉に特に高屈折率のランタンガラスが使用されています。2番目の凸レンズはやや屈折率を下げて低分散にしたランタン系ガラスです。S-LAH55VやTAF5Gはランタンガラスの中でも特に高屈折率高分散特性を突き詰めた高性能・高価な硝材として知られています。

後ろから2番目は非球面ガラス

一方で後ろから2枚目の凸レンズは両面飛球面レンズになっています。ガラスコードは531-515つまり屈折率1.531アッベ数51.5のガラスです。対応する硝材は見当たりません。一応オハラ・ホーヤ・住田・光ガラスの現行の硝材は調べましたが一致するものは皆無でした。このガラスが何なのか特定できませんでしたアッベ図上のこの位置は古典的な低分散低屈折率ガラスであるボロシリケイトガラスよりやや高屈折率だが先述したランタンガラスほど屈折率は高くない中間的な領域に相当します。アッベ図のこの領域周辺にはバリウム系の高屈折率ガラスがいくつか存在しています。バリウムガラスは重クラウン(SK)として知られ、ランタンガラスより前の時代に高屈折率低分散ガラスの代表格として盛んに開発されたものです。この領域の流通量の多い硝材としてショット社が開発し、プリズムなどによく使われるSK15(およびその相当品)という硝材があります。しかしランタンガラスと比べて高屈折率化に限界があったため、現代では特に高性能の要求される用途ではランタン系ガラスに取って代わられています。バリウムガラスはランタンガラスと比べてガラス転移温度が低く、生産コストが低く、モールド加工による非球面形成に適していることから非球面レンズ向けの低転移温度ガラスには今でもしばしばこの組成を基本としたものが用いられます。周囲の凸レンズと比べると後ろから2枚目だけ場違いに低屈折率ですが、高屈折率低分散特性よりもモールド非球面加工の加工性を重視して選択された結果だと考えられます。特にこの光学系の非球面レンズは、実施例のデータを見る限り一枚のガラスの両面に非球面形状を形成するという高性能化には有利だが加工難易が高い非球面レンズです。そのため硝材として特別に加工性に優れるものを選ぶ必要があったのかもしれません。なお対応する硝材が見つからないことについてですが、バリウムガラスはランタンガラスの発展に伴い需要は減少傾向にあり、近年では型番を間引くような形で廃番となる硝材が増えています。このガラスもまたそのような廃番となったガラスの1つなのかもしれません。

高分散ガラス

中央の二枚の負レンズに使われている古典的な高分散ガラスというのは、光学ガラスの歴史の初期にボロシリケイトガラスに鉛 (Pb) を添加することで高分散化した一連の鉛ガラスおよびその代替品として開発された鉛フリーガラスです。鉛フリーガラスでは鉛と類似した高分散化効果のあるチタン(Ti)などが使用されています。鉛ガラスは現代では法令による規制もありほとんど用いられることはありませんが、その代替品の方は今なお代表的な高分散ガラスとして使用され続けています。ショット社による分類名K(クラウン)-KF(クラウンフリント)-LLF(軽軽フリント)-LF(軽フリント)-F(フリント)-SF(重フリント)などは元々はこの鉛ガラスの系列に対して与えられたものです。鉛ガラス及びその代替品の高分散化の限界はアッベ数20-25程度で、そのほぼ端点にあるSF6(重フリント6号、オハラのTIH6やホーヤのFD60に相当)は高分散ガラスの中でも特に流通量の多い硝材となっています。古典的高分散ガラスと同系列の組成でSF6よりさらにアッベ数の小さい硝材もありますが品質や透過率とのかね合いでSF6が最も人気なようです。近年では従来の高分散ガラスと根本的に異なる組成(P-Nb系)を持つ高分散ガラスが台頭しており、実用的な透過性とアッベ数20を下回るような超高分散を両立した硝材も現れています。ただし、まだコストが高いのが難点です。実施例1ではこの古典的高分散ガラスの系列から中分散硝種のTIM25と高分散硝種のS-TIH6が凹レンズの素材に使われています。

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実施例2

実施例2は1と同じ50mm F1.8で RF50mmF1.8の中身の候補の1つです。ガラスを見ていくと凸レンズに使用されているガラスが違うだけで、それもランタン系高分散ガラスの領域内での入れ替えに過ぎません。凹レンズには実施例1と同一の高分散ガラスが使われています。後ろから二枚目の両面非球面ガラスに謎の硝材が使われているのも実施例1と同じです。

実施例3

実施例3は他の2つの実施例と異なり70mmの焦点距離を持ちます。これは商品化を前提とした実施例ではなく、焦点距離を延ばすことでバックフォーカスに余裕を持たせ(本来ミラーレス向けの発明であるこの出願を)一眼レフ用にも使用可能とした実験的な設計例なのではないかと前の記事でも推定しました。この実施例は1・2と同じ構成を採用しています。画角が小さいため軸外収差補正の負担が小さく代わりに焦点距離に比例して大きくなる色収差補正の負担が大きくなります。

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実施例3は焦点距離の違いはあるもののやはり1・2・6枚目にランタンガラスを使用し、硝材の構成は実施例1・2に酷似しています。ただしこの実施例で特徴的なのは前群の凹レンズに、古典的な高分散ガラスとやや異なる分散特性を持つニオブ系高分散ガラスを用いている点です。この系統のガラスは青色域の異常部分分散性がマイナス方向に大きいいわゆるクルツフリント寄りの分散特性を持つので負レンズに用いた場合軸上二次色収差の補正、特に青ハロの軽減に効果がありますこの硝材S-NBH55は(他社相当品の無い)オハラ独自の硝材で、S-TIH6に似た屈折率・アッベ数とすることで使用頻度の高いS-TIH6からの置き換えを容易にした特徴的なガラスです。TIH6と比べるとやや高価な硝材ですが特別に高価というほどでもありません。負の異常部分分散性それほど顕著なわけではありませんが-TIIH6を使った場合と比べると色収差の抑制にはある程度有利と見られます。後ろから二枚目の正レンズは実施例1・2と同じくモールド非球面レンズ用の不明な硝材で、屈折率アッベ数も同一です。


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