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【2】サルでも分かる美術史・むかし編

YOYO!! GOROだYO(≧▽≦)b
前回の投稿から1か月ほど間が空いてしまった。理由は、めんどくさかったからだ!だが、なんとか書き続けていこうと思うので気長に待っていて欲しい。

これから下記4時代について順番に語っていくが、全ての時代を一度に書くとかなり長くなってしまう為、とりあえず今回は1の「むかし」だけ語っていく。

1:むかし  
2:油絵具の発明
3:便器の発生
4:GORO爆誕


ちなみにGOROは文化的過激派武装組織に属しているので、文章を書いていく中でうっかり重火器を暴発させてしまうかもしれないが「GOROだから仕方ないな」と思って水に流してくれ!

POWPOW!!


ウンコが何個隠れているかさがしてみよう!


【美術史とは何か】

まず、そもそもの話であるが「美術史」とは具体的にどこの国の歴史を指す言葉なのか考えた事はあるだろうか?

実は美術関係の人達が「美術史」と言った場合、アジアやアフリカなどの含まれない「西洋美術史」といった意味合いである事が多い。  
また、昨今現代アートは文脈が重要。という風潮が広まっているが、作品を作る際に欧米の美術作品を引用しないといけない。みたいな暗黙の了解もある。
例えば、これはあくまでGORO個人の感覚ではあるがデューラーのこの作品を引用しました~と言うとアートっぽい高尚な感じがするが、若冲を引用しました、北斎を引用しました、と言うとなんとなくチープな感じがする。代官山の蔦屋書店とヴィレッジヴァンガードぐらいの違いを感じる。

なぜなのか?

それは恐らく、若冲や北斎が「美術史」の流れから外れたものとして美術界隈の人に認知されているからかもしれない。
誤解を恐れずに書くと、我々は欧米人/美術関係者から「あんなサルどもの作ったもんアートでもなんでもないわい!!」と思われていると言ってもいいだろう。彼らは口では「ウキヨエスバラシイデース、いっぱい買いたいデース!!」とか言っているがあれは嘘だ。騙されてはいけない。
ウキヨエには確かにウキヨエの良さがあると思う。GOROだってアフリカの民族彫刻とか、エジプトのパピルスとか見たら良いな~と思う。だけど、これは美術のメインストリームとして認められたという事ではなく、なんというか「そういうのもあるのか」的な扱いなのである。

例えば、君は普段銀座の回らない寿司屋でガッツリ上物の寿司を食っていてそれを誇りに思っている。かなりの寿司通だ。ある日君はキャバクラの女の子にオネダリされ最近出来たばかりの「めいど倶楽部☆56☆あきば本店」にやって来た。暫く待っていると、メイド服を着たヒゲもじゃのおっさんがカリフォルニアロールを持ってきて、ケチャップでハートを書き始めたではないか!脇にはパセリが添えられ、ご丁寧にアメリカの国旗まで刺さっている。しかし、君は寿司通であると同時に教養ある文化人だ。優しく微笑みながらこう言うだろう。

「こういうのも、いいね。」

そう、腹の底では絶対馬鹿にしている。こんなもんは寿司じゃねえ!俺は寿司を知ってんだぞ!てめえの汚ねえ手で握った寿司なんか食えっかよ!と。確かにカリフォルニアロールはマズくはない。美味しいか美味しくないかと言われたら美味しい。だけどコレジャナイ。
一方で銀座の寿司屋が心のよりどころとして存在しているからこそ、玄人的な心の余裕を持ち合わせている君は、「ふふっ、SUSHIの世界は奥が深いぜ☆」と言いながらカリフォルニアロールのお代わりを注文する。
というイメージだろうか。いや、なんか違うか・・・(あるいは、普段日本食ばっかり食ってる昭和の頑固オヤヂが洋食屋でブツクサ文句を垂れている感じ。と言ってもいいかもしれない)

まあともかく「西洋美術史が正義」という一種の価値観があり、それ以外の地域の美術についてはなんとなくサブ的なものとして扱われている状況なのだ。とりあえずこれから美術史を勉強する事=欧米の歴史について勉強する事。という風に考えていただけたらと思う。



【むかしの時代】

ではいったいなぜ、現在西洋美術史がメインストリームとなっているのか。
このあたりの理由を「むかし」の時代からひも解いていきたい


少し話は変わるが、皆さんは中学校の歴史の授業なんかで、日本人が弥生土器とか作ってヨロシクやってた時代に古代ローマ人はコロッセオ作ってたのか!やばくね?と思った事はないだろうか。GOROは思った。古代ローマ人ヤべえ、と・・・

コロッセオ:紀元後80年

だって、我々が硬くて割れづらい土器がつくれたぞ!(∩´∀`)∩ワーイ と喜んでいた時に、古代ローマの人は5万人収容可能(東京ドームは5万5千人)な施設を作り、中に水を張って船を戦わせて遊んでいたのである。エレベーターや屋根までついているぞ!

古代ローマ人の暮らし
弥生人の暮らし


また、下の写真も見て欲しい。古墳時代、紀元後300年くらに日本で作られたハニワと、紀元前1世紀にギリシアで作られたラオコーンである。

ハニワ(3世紀頃)


ラオコーン(紀元前1世紀頃)

  

どう考えてもレベルが違い過ぎる。見ていて悲しくなっては来ないだろうか?杉田玄白が人体の研究を始めたのが18世紀の話であるが、西洋人はそれより2000年近く前に人体解剖をしていたと言って間違いなさそうだ。そう、現代において美術史=西洋美術史となってしまっている原因はここにある。ようするに、西洋文明が一番進んでいたからだ。こういう事を言うと、日本の美術だって素晴らしいんだ、みたいな謎の反論が出てきそうなので先に説明しておくが、これは美術品自体の良し悪しとは関係ない

例えば、浮世絵を作るには非常に高度な彫りや刷りのテクニックが求められる。職人技の世界だ。そして、出来るものもそれなりに味わいがあって美しい。しかし、それをインクジェットプリンターと比べた場合、浮世絵の方が原始的な印刷技術だという事は明白だろう。(インクジェットプリンターで印刷したものが美しいかどうかという話ではない)
先ほどのハニワにしても、ハニワの方が美術品として劣っているという事ではない、ハニワにはハニワの良さがあるし、ラオコーンにはラオコーンの良さがある。美術品としての価値は対等だ。だが、それを作るのに要求されるテクノロジー(ラオコーンの例で言えば人体解剖学や幾何学)が明らかに、ラオコーンの方が悲しいほど進んでいる。

「美術の歴史」というと、感性の世界の話なんじゃないかというイメージを持ってしまいがちだが、実は違う。美術とは「テクノロジーの進歩の歴史」であり、その進歩が発生した地域がたまたまヨーロッパだったのだ。だから、美術は「個々人の才能次第でどんなものでも出来る」というものではなく、めっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっちゃ生まれた時代・場所の影響を受ける。

また、テクノロジーが進歩したという事は、「作られる作品が変化に富んでいて、研究がしやすい」とも言い替える事が出来るかもしれない。
例えば日本では、伝統工芸品のように何百年も同じ方法で、同じものを作る技術の継承がされているが、ヨーロッパでは絵画材料の進化とともに描かれる絵も大きく変化していたり、ルネサンスのような大きな芸術運動が起こったりしている。このあたりの「研究しやすさ」という点も西洋美術史がメインストリームとなっている原因だろう。

例えば、エジプトでは紀元前に、下に載せているような写実的な絵画が描かれていた時代があった。これらはエンカウスティークという技法で描かれていて、技術的に同時代の他の地域を圧倒するものではあるが美術史上はほぼ無視されている。

ヨーロッパのものではないという理由以外にも、その後の歴史に影響を及ぼす事なく突発的に発生している事、残存している数が少なすぎるという点、などが研究が行われず、歴史的に認知されていない原因であると考える事もできるだろう。


【テクノロジーの話】

では、テクノロジーの進歩が遅かった我々日本人は、ダメな黄色い猿なのか?アフリカ人は、中国人は、出来損ないなのだろうか?

実は、このあたりの疑問を説明してくれる本が数年前に日本で流行した事があった。ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」だ。

この本の趣旨は正に先述の問いと同じであり、例えば現代においても核兵器を開発するような先進国があれば、パプアニューギニアのように原始生活が残っている所もあるのはなぜなのか?という事を論じている。古代ギリシア人がラオコーンを作っていた時に、日本人がハニワを作っていたし、スペイン人が鉄砲を作っていた時にアメリカ大陸の人々は弓矢しか持っておらず滅ぼされた・・・

結論から言うと、文明が遅れている地域の人々が遺伝的に劣っているという事ではなく、その文明が発生した場所・地理的条件によって文明の発達度合いにかなり差が出るのだ。(例えば、稲作の方法などは横方向に伸びたユーラシア大陸だと伝播しやすいが、縦方向に伸びたアメリカ大陸だと気候が大きく変わってしまう為伝播しない、家畜化の技術が伝わったかどうかで病原菌耐性が変わり、他の民族に滅ぼされやすくなる、など)
特に、絵画を作る場合はアラビア世界からもたらされる光学の知識が歴史的に大きな影響を与えていく事になる。地理的・言語的に遠い地域ほど知識の発生や伝播がしづらいのは自然の事なのだ。

この本自体は同じ事の繰り返しが多く、無駄に話が長いため全て読む必要はないと思うが、GORO的には納得できる部分が多い本だ。



長くなったが、今回言いたかった事をまとめると 

・美術の歴史はテクノロジーの歴史
・昔はヨーロッパのテクが一番進んでいた(故に現代でも美術史=西洋美術史みたいな感じになっている)   

という事だ!


そして、次回は西洋で美術に関わるどういったテクノロジーが発達していったか?という点に焦点を当てて語っていきたいと思う。

油断するな!!!!!

GORO

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