『流浪の月』を見て

感想と感じた言葉をつらつらと思いのまま述べます。ネタバレもありです。
(人名は全て呼び捨てで表記させていただきます。御了承下さい。)

監督・脚本 李 相日、原作 凪良 ゆう『流浪の月』李監督と言えば、『悪人』『許されざる者』『怒り』の監督。

松坂桃李と広瀬すず主演映画。
まず、見終わった時に思った事は、これは言葉にして
何か言っていい映画ではないな。私の言葉にすることで、
チープなものになってしまうのではないかと。
ただ、見終わった後のこの心に、頭に感じた言葉を忘れる前に記録として
残しておきたい。そう思って綴っています  。

雨の中、本を庇うように読む少女。11歳の更紗を演じた白鳥玉季は子供から少女への不安定で儚くも純粋で綺麗な雰囲気を見事に演じていました。
真っ直ぐな目線とエネルギーに満ちた光を集めた瞳で。
それと対照的な文を演じた松坂桃李の大きくて真っ黒な悲哀を孕んだ瞳。
10キロ近く減量して挑んだ彼の頬は痩せこけ、その分ぎょろりと覗く目。
背が高くて見た目、身体は大人の男性。声も落ち着いた低めの声。
ただふとした時、少年のようなピュアさも併せ持つ松坂桃李だから文がそこに存在した。
現在の更紗を演じる広瀬すず。綺麗な顔立ちで岩井俊二の『ラストレター』で見た時の少しお姉さんからすっかり大人の女性へ遂げた印象。
ただ目線を落としているのに眼球に光がゆらゆら揺れてるピュアで美しい表情はとても刹那的で息を飲む程美しいとはこの事かと思う程。
途中、殴られて吹っ飛んで、ボコボコになって、ボロボロで走る姿を見たときは、
コチラまで、苦しくて息ができなかった。

途中、夢で昔の更紗と、今の更紗がうなされて、交差する時があるのですが、
その時は玉季ちゃんと広瀬すずがどっちが区別つかない瞬間がありました。

そして、今回の映画で新たなフェーズに突入したと思われる、横浜流星。
一見、綺麗な顔で少し声高の優しい素敵な青年に見える。
だけど若さゆえなのか、母親に捨てられたというトラウマを引きずり、自分の未熟さ弱さを、暴力やモラハラという形で更紗を支配しようとするクズ男、亮を見事に演じて、今までの『君の瞳に問いかけている』の悪に堕ちても、心は純粋な横浜流星のイメージを一気に塗り替えた。途中ポストの前で更紗を見つけて「許してあげるから」って言った時には、私は心の中で「は?人の事タコ殴りにしといて、許してあげる?それはこっちの台詞だし、どんなに謝ってもゼッテー許さねーからな!!」と映画を見ながら突っ込んでいました。

ボロボロになった更紗が行き着いた先は文のcafe 『calico』(日本語で更紗)という名のカフェで、文の人生を狂わせたのは私のせいだと泣きじゃくる更紗を落ち着かせるのは、自家製手回しローストの文の淹れるネルドリップコーヒー。珈琲を淹れている時飲んでいる時、珈琲の香りを漂わせながら本を読んでいる時が二人が唯一心を落ち着かせられる、安心した時間に違いない。唯一呼吸のできる一時のように感じた。文がcafeのマスターをしているのも必然でしか無い。

今回、美術は種田陽平。この人の美術は本当凄い。
岩井俊二監督作品から、世界中の映画でご活躍されてて、美術の世界観が本当素晴らしい。今回の映画でしっとりと落ち着きのある一階がアンティークショップの文のcafe。本当に素敵だった。

撮影監督は『パラサイト』のホン・ギョンピョ
光と影、全体的に映画の内容にあった、重さのある空気感の映像。
でも、湖や月、景色、文と更紗の回想の二人のシーンは軽やかな優しい空気を感じる映像美。

全体の感想を述べたいのはあるけれど、冒頭でも述べた様に、
どうしてもチープな感じになってしまう。
文と更紗。本当のこと、気持ちは二人にしかわからない。
なのに周りは勝手に想像して決めつけて、自分たちの中からでしか想像しえない世界で二人を見る。
スピリチュアルな感じに聞こえてしまうかもしれないが、
二人が出会い、お互いに魂が共鳴し合って、二人が共にいる事で、
安心とそこから生まれる魂の解放を得たのでは無いかと感じた。
それは男女でも、年齢でもなく、
更紗は更紗の世界を好きに生きて、その自由の更紗と一緒に過ごす事で、
自分も自由を感じることのできた文。
二人は出逢うべくして出逢った二人だったのだ。
兎に角、この先も二人が静かに自分達の世界で自分を生きて行ける事を願うばかり。

end.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?