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友達って何だろう。

私は友達が少ない。
小中はいじめの事もあって、連絡は取り合う人はいないし、高校時代の友達でよく連絡を取り合う子も少ない。今も交流が続いている友人は大学時代の子が多い。
周りで友人に囲まれた人を見るといい大人になった今も羨ましい。

先日、ネットを見ていたらこんな記事を見つけた。


上の記事を読んで、昔はすごくその事に悩んでいたし、今も少し引きずっていると感じた。フェーズ毎の変遷は以下の通り。

小中:明確にハブられていたので、自分自身はグループのどこにも行けなかった。その頃から馴染めない自分がコンプレックスになった。

高校:多少ましになったが、明確な仲良しグループではなく、なんだかふわふわしていて心許ない感じだった。
但し文系理系のクラス分けがなく、各人で時間割を組んでいたので、必ずしもグループにこだわる必要がなくなった。

大学生:こだわりが薄れる。理由は以下。
・1、2年の語学クラス内の女子が少なく、グループが一つだけになった。でも皆いい子だった
・各人で時間割が違うので、移動教室が当たり前、同じ子とずっと一緒にいる必要がない
・クラス、サークル、ゼミといった複数のコミュニティに所属しているので、逃げ場が複数ある

社会人:同期の仲良しグループが入社から2年ぐらいはあったけど、退職や転勤で解体された。所属部門の女性陣はベタベタした仲良しではないが、彼女達の気配り力により、キチンとした信頼関係があったので、人間関係で悩む時期が少ない。

上記の変遷を経由してわかったのは、2つ。

・やるべき事はやって敬意を払えば、
信頼関係はちゃんと構築できる。顔色を伺ってビクビクする必要はない。
・でも過去に強い人間不信があると、人との人間関係の構築に時間がかかってしまう。

私は後者の症状が深刻で、なかなか人と深い関係を築く事ができない。特に恋愛に関しては、この点は致命的だ。

でも一方で、大学時代の友達とは今も連絡を取り合う仲だ。彼女達とは自分から連絡をとって集まりを主催したのを機にスタートした。あの時勇気を出さなければ、ひょっとしたらもっと孤独だったかもしれない。

自分が仲良くなりたいなら、コンプレックスを跳ね返すつもりで前に出て行くのも必要なのだ。と思う。

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以前、わたなべぽんさんの本「もっとやめてみた。」のエピソードの一つである、「友達作りの巻」を見て救われた気持ちになったのを思い出した。



「今まで友達ってお互い興味を持たないとなれないと思ってたけど、同じ方向を向いている者同士なら案外すんなり友達になれるものなのかも」(67ページ)

今通っている武道の道場も10代から70代の老若男女が入り混じって稽古しているが、みんな「稽古する」目的が一緒なので、疎外感を感じる事は殆どない。関連する他道場にお邪魔しても、ウェルカムな感じだったりする。

今は稽古が出来ない状態でみんなと会えない日々が続いている。稽古だけでなく、ちょっとした雑談もしていたから、今の状態は結構消耗している。

最近は、出勤制限で家で過ごす時間が増えたので、考える時間が増え、会話の時間は減っている。家族や友達と対面で喋るのができないのはきつい。メンタルを保ちつつ、どう向き合っていくか。友達の無事を祈りながら過ごす日々だ。

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