自分の「幸せ」「充実」を定義する

自分が一番楽しい瞬間、充実している瞬間、感動している瞬間、幸せを感じる瞬間はどんなときだろう。自分の成長を実感しているとき、自分の力がどこかに貢献したとき。この2つだと思う。自分の成長の先に得する人はいるのか、成長のベクトルが誰かのためになっていたとき一番幸せを感じる。「他人に貢献するための手段としての自己成長」これが自分の今最大の幸福だと思う。なぜ他人のためなのかを考えたときにもちろん本などの影響や仕事でお客様に感謝されたことなどを想起できるが、一番は恋愛を思い出すと一番しっくりくる。一人の子のために自分のお金と時間を全て費やした経験がある。今思えばバカな話だが、当時の自分の幸福度はマックスにあったと思う。自分のためになるはずの無いことも相手が喜ぶのであればと平気で行なっていた。極端な過去ではあるがどこか自分の根本的な欲求の中で誰かに貢献したいと思っているということなのかなと自分では思う。

自分の成長をゴールにしてしまうのも自分の価値観としては違う気がする。これも過去の話だが、自分の成長のためだけに行動をしてきた時期もあった。教育現場に従事していた頃、人のためだけに自分が重労働をしていることに気づいたときに嫌気がさした。「なんのためにこんなことまで俺がやっているのだろうか」こう思ってしまった。だからこそ、この現場をやめて自分が成長できる場を探そうと必死で行動してきた。そんな中で今の職場を見つけて、成長実感を得られる場所だと満足していた。しかし、チームマネージャーとの1on1で「成長した先に何があるの?」と聞かれたときに何も答えられなかった。というか考えたことも無い視点だったので衝撃が走った。それと同時に深い納得感があった。自分が成長したいと思う気持ちはとても大切だ。でもこれがゴールになってしまうのはただの自己満であり、思考停止だった。自分は常に考えて行動しているようで思考停止のままただ突っ走ってきていただけだということに気づいた。だからこそ、成長する目的を持たないと意味がないし、もったいない。

これらの経験から自分の幸せの定義をした。ただこの定義通りに日々行動できているだろうか?妥協しているんじゃ?妥協してもいい。それが自分の幸せならば。でも自分は違う。今月も終わりが近づき、自分の意識が変わりつつある。けれど世の中で一番無駄なことは決意することである。これから日々のルーティンを決めようと思う。自分が成長でき、かつ誰かに貢献できるような大人になるために。最高の人生を作りあげよう。

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