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【小説】本音しか喋れなくなったシュバルツェの話。(前編)

昨夜のことを振り返る。

確かにこの数日間、提出しなければいけない研究論文の執筆や黒き明日(ディマイン・ノワール)の動向調査、駆除した魔獣のデータ整理などに追われていて、ろくに睡眠時間を取れていなかったことは事実だ。

しかしそれでも、いくら何でも。

(薬屋の息子が魔法薬を誤飲するとか、最早ギャグだろう……!!)

ここ数日の多忙が祟ったのか、はたまた気温差の激しい気候が続いたせいなのか、きりきりとした頭痛に襲われたシュバルツェは、薬品を収納している棚から鎮痛作用のある魔法薬の瓶を手に取った──つもりだった。

化学反応によって効果を生じる人間界の薬品とは違い、魔法薬は大抵飲んだ直後に効果が出始める。なのにその日は、飲み終わって数分が経過しても一向に頭痛が治まらなかった。

もしや別の薬を手に取ったか、とは思ったものの。人体に悪影響を及ぼすような薬品は手に取りやすい場所には置いていなかったはずで、実際に薬品由来と思われる体調の変化は現時点では見受けられなかった。

─仮に誤飲したとしても、大した薬では無いだろう。

疲労と頭痛で思考力が鈍っていたシュバルツェはそう判断し、結局そのまま眠りに就いた。

翌朝。充分な時間の睡眠を取り無事全快したシュバルツェは昨夜服用した薬品の瓶に書かれたラベルを改めて確認し、そして膝から崩れ落ちた。

それは彼が以前、黒き明日(ディマイン・ノワール)の命で開発した薬品の副産物だが、人体に有害な成分は一切含まれていない。

ただ、その効能は「服用したものが全く嘘を吐けなくなる」。

要は本音しか話せなくなる薬だったのだ。


シュバルツェの実家は魔界で魔法薬を取り扱う老舗であり、自身もまた実家の跡を継ぐべく日夜勉強に明け暮れていた身であった。─実際には黒き明日(ディマイン・ノワール)にスカウトされて邪神直々に召集されたので、少年時代の彼が思い描いていた未来とは別の道を歩むことにはなったが。

当然のように家を継ぐと信じて疑わなかった彼は、幼い頃から両親や祖父母の仕事を手伝っていたため薬品の扱い方について心得があり、自分でもいくつか新しい魔法薬を試作した経験があった。

開発した新薬が黒き明日(ディマイン・ノワール)で採用されたこともあり、そういった意味では自信もあったのだが──体調が芳しくなかったとはいえ、よりによってこんな初歩的ミスをするとは。

そもそもの話として、シュバルツェは自分が普段からあまり感情を表に出さず、言葉数も多くないタイプであると自覚している。通っている大学でも同級生や教授とは研究に必要な最低限のやり取りしかしないので、そこに関しては特に心配していなかった。

問題は──顔見知りに会った時だ。

魔界にいた頃の上司であるトルバランや、そのパートナーである魔法少女のシトラス。

だがシュバルツェには誰よりも今、最も会うことを恐れている人物がいた。

(絶対、キルシェにだけは会わないようにしなくては……!!)

キルシェ・シュトロイゼル。

シュバルツェを黒き明日(ディマイン・ノワール)と決別させ、邪神と戦う道に引き込んだ張本人である魔法少女。

彼女との出会いが無ければ、彼は今もあの組織の中に留まり続けていたことだろう。

騒がしく無邪気な性格の彼女はシュバルツェを頻繁に振り回しているが、シュバルツェは不思議とそれが嫌ではなかった。 それどころか、彼女と過ごす時間は心地良いものだとさえ思っている節がある。だからこそ、迂闊に本心を溢してしまったらどうなることか──考えたくもなかった。

今更ながらに自分の失態に気付き、思わず舌打ちをする。

(今日一日、どうしたものか………)

この上なく大学を無断欠席したい気分ではあったが、ただでさえ魔獣が出現したり、黒き明日(ディマイン・ノワール)に動きがある度に早退や欠席を繰り返している上に、今日が提出締め切りのレポート課題もある。流石にこれ以上のサボタージュは許されない。

(用が済んだらさっさと帰ろう。そして極力誰にも会わないように、家に籠るとするか)

こうして、彼の長い一日が始まった。


午後に入っていた講義が担当教授の都合で休講になったのは、不幸中の幸いだった。

予定通りに行われた午前の講義を何とかやり過ごし、昼食を適当に摂ってからシュバルツェは講義室を後にする。いつもならば図書館で調べ物をして時間を潰すところだが、今日はそういうわけにもいかない。

一刻も早く家に帰り、極力他者と顔を合わせないようにするのが最善策であろう。そう考え、シュバルツェは大学の敷地を出た。

今日は平日で、時刻は午前11時半を回ったところ。

高校生であるキルシェやシトラスは学校へ行っている時間帯だし、彼女達の学校で教師をしているトルバランはまだ仕事中。つまり、顔見知りと鉢合わせする可能性は極めて低い。

そう思っていたのに。

「あれ、シュバルツェ?」

「───っ!?シトラス!どうしてここに……」

大学の正門を出てしばらく歩いたところで突然背後から声を掛けられ、反射的に振り向くとそこにはシトラスの姿があった。
えんじ色のブレザーの制服に、学校指定の茶色い通学鞄を手にしているところを見ると、今日が学校であったことは間違いないだろう。

しかし、登校する時間にしては遅過ぎるし、下校時間にはまだ早い。

「……学校が終わるには少し早い時間だと思うのだが」

平静さを装いつつ、シトラスに訊ねる。まさかここでシトラスに会うことになるとは思ってもいなかったので、内心動揺していた。

「ううん。今日は午前授業だったから、今から帰るところだよ。トルバランはまだお仕事があって、学校に残ってるけど」

「そう、なのか……」

そんな偶然があるものだろうか?と疑問に思うのと同時に、自分の運の悪さを呪いたくなる。

とにかく、このままシトラスと一緒にいたら色々とまずいことになると直感的に悟ったシュバルツェは、早々に会話を切り上げてその場から立ち去ろうと考えるが、そこでふと気付いた。

彼女は今、一人だ。いつもなら大抵キルシェと共に登下校しているはずなのに。

「シトラス、その……キルシェは、どうした?」

「バレー部のレギュラーの子が1人怪我しちゃって、助っ人を頼まれてるんだって。それで練習に参加するから先に帰ってていいよって」

つまり彼女はまだ学校にいて、バレーボールの練習が終わるまでは帰らないということか。

それならばこの後鉢合わせすることもないだろうとシュバルツェは安堵する。だが、そこで気が緩んでしまったのがいけなかったらしい。

「……そうか。相変わらずお人好しだな」

「そうだよね……でもそこがキルシェらしいっていうのかな。誰かのためにがんばれるキルシェはとても素敵な子だなって思うし、私はキルシェのそういうところ、とても好きだなって」

「俺もそう思う」

返事をしてから、ハッとする

(は?俺は今、なんて言った?)

慌てて口を押さえるがもう手遅れだ。

今の言い方ではまるで、自分がキルシェの事を想っているかのように捉えられかねない。シトラスの言う「好き」は当然友達に対するそれだとわかるが、異性の自分では意味が違ってくる。

だがごく自然な流れで発した言葉だったなのか、シトラスはあまり気にしていないようだ。

「あぁ、でも……たまに、ちょっと心配になることもあるんだ」

「……心配、というのは」

「ほら、キルシェっていつもニコニコしてて元気だし、こうやって学校で頼まれたことも、魔法少女の活動も全然嫌な顔しないで楽しそうにこなしてるでしょ?でも……私の考えすぎかもしれないけど、頑張りすぎたり、無理したりしてないかなって気になっちゃうんだよね」

「それに関しては完全に同意だ」

食い気味に答えたシュバルツェに、シトラスは一瞬目を丸くする。彼女の知る限り、普段のシュバルツェはキルシェに対してもう少し雑な評価をする傾向にある(もちろんそれが本心からでないことは明白だが)。

今だって、いつもの彼なら「あいつは無駄に体力だけはあるから心配ない」などと言って適当にあしらうくらいのことはしていただろう。

あれ、とシトラスが小さな違和感を感じている間もなく、シュバルツェの言葉は続いた。

「キルシェは普段やりたい放題自由にやってるように見えて、人に弱みを見せることを極端に嫌う。誰に対しても明るく接してるのも、周囲に不安を与えないようにするためだろう。それに、周りのことはよく見えているが自分のことをわかってなさすぎる。
敵だった俺にも身体を張って向き合ってくれたが、これからもずっとあんな調子で人と向き合い続けたらいつか壊れてしまう気がしてならない。だからどうにかしてやりたいと思ってるし、少しは俺のことも頼っちょっと待て何だこれは!?」

何だも何も、今口にしたことが全て己の本音だということは、シュバルツェ自身が一番理解している。問題はそれを、普段あまり腹を割って話したことのない仲間に話してしまったことだ。

魔法薬の効能が遺憾無く発揮されていることに愕然とし、更には目の前でシトラスがポカンとした表情でこちらを見ていることに気付き、冷や汗が流れる。

何とか言い訳をしなければと思考を巡らせる中、先に口を開いたのは

「シュバルツェって、優しいんだね」

「………は?」

シトラスの方だった。その表情に嫌悪感はなく、むしろ嬉しそうに見える。

「あ、いや……別に変な意味じゃなくてね!その……シュバルツェってあんまり喋る方じゃないし、クールっていうか、ちょっと近寄り難い雰囲気があったんだけど……今の話を聞いてキルシェのことをちゃんと見てるな、大事にしてるんだなって思って。なんか、意外だったかも」

「俺は、別に、そんな……」

言いかけたところで、シュバルツェは口を閉じた。今下手に何かを話せば、またボロが出てしまいそうな予感しかしない。

「でも私じゃなくて、本人に直接言ってあげたらいいのに」

「それは絶対に無理だ!というより言うつもりもない!!こんな、柄でもないことを!!」

これもまた、本音だった。だが、そう言ってしまった後に後悔する。これでは完全にシトラスの言葉も、先ほどうっかり溢してしまった自分の言葉が本心であることも、肯定しているようなものではないか。

「そっか……でも、もし言える時が来たら、ちゃんと伝えてあげてね。シュバルツェが気にかけてくれてるって知ったら……キルシェ、きっと喜ぶと思うよ」

「……」

シュバルツェは肯定も否定も出来ないまま、シトラスから視線を外す。

キルシェのことを何とも思っていないと言うのなら、堂々と口を開いて本音を言えばいいのだ。だけどそれが出来ないということは、結局は彼女に対する想いは本物だという証拠に他ならない。
だが、それを認めるには彼はあまりに不器用すぎた。

「じゃあ、私そろそろ行こうかな。またね、シュバルツェ」

「……ああ、気を付けて帰れよ」

「うん、ありがとう」

小さく手を振って去って行くシトラスの後ろ姿を見送りながら、シュバルツェは深くため息をつく。

が、曲がり角に差し掛かる直前で「あ、そうそう!」とシトラスは何かを思い出したように振り返り、シュバルツェの方に向かって声を上げた。

「キルシェ、お昼にはバレー部の練習が終わるみたいだよ!もう少し待ってたら会えるかも!」

それだけ言うと、今度こそシトラスは走り去っていった。
彼女としてはシュバルツェがキルシェに会いたがっているだろうと考え、気を利かせたつもりだったのだろう。

「……いや、絶対会うわけにはいかないんだが」

しかしそんなシトラスの親切心とは裏腹に、シュバルツェは複雑な心境で溜息をつくしかなかった。


(危ないところだった……)

シトラスと別れた後、一旦落ち着きたいと考えて立ち寄った公園のベンチに腰掛けながら、シュバルツェは胸を撫で下ろしていた。

この公園はシトラスとキルシェの通う学園からは距離があり、キルシェの家の位置を考えると帰り際の寄り道先にするには少し遠い場所にある。ここであれば、鉢合わせする可能性は低いはずだ。

(……自分が生み出したとは言え、何て恐ろしい薬なんだ)

シュバルツェの飲んだ魔法薬は一度飲めば効果が切れるまで24時間は持続し続けるという代物で、しかも実用化には至らなかったため解毒剤の類も存在しない。

逆に言えば24時間経ってしまいさえすれば効果は勝手に消えてくれるのでそれまで耐えれば良い話なのだが、残り半日も誰かと会話するリスクを完全に回避できるわけではないので油断はできない。何事も起こらなければそれで済むが、もし黒き明日(ディマイン・ノワール)の連中や魔獣が街中に湧いたら否が応でも仲間と合流せざるを得なくなる。

シトラスとのほんの数分の立ち話だけでもかなりボロが出てしまったというのに、今の自分がキルシェと会って会話したら一体どうなることやら。そう考えると頭を抱えたくなった。

シュバルツェは虚空に手を翳し、何もないはずの空間からタブレット端末のような機械を取り出す。黒き明日(ディマイン・ノワール)時代に開発したそれは、魔力由来のエネルギー反応を探知することができる機能が搭載されている。

電源を入れて目当てのアプリを起動させると、画面上にこの街全体の地図が表示された。所々にエネルギー反応を示すマークは点滅しているが、そのどれもが人間の中でも少々エナジー量の多い者を示すもので、魔獣や魔族のように人間界に害を為す存在の反応は皆無だった。どうやら今日は戦闘の必要はなさそうだと判断して、端末の電源を落とす。

講義はもう既に終えているし、この後特段予定が入っているわけでもない。ならばあとは家で大人しくしていれば問題ないだろう。そう考えて、帰宅しようと立ち上がろうとした時だった。

「だーれだ!!」

突然視界を塞がれ、背中に柔らかい感触を感じる。同時にふわりと香る甘い匂いや、顔に微かに触れた髪の感触。

それら全てが覚えのあるもので、──そしてシュバルツェが最も今日会う事を恐れていた人物のものだった。

「…………キルシェか?」

「ぴんぽーん!大正解~!」

ぱっと目を覆っていた手が外され、名前を呼ばれた声の主はたたっ、とシュバルツェの背後から目の前へと回り込む。

シトラスと同じ制服だが、キルシェはいつも制服を着崩していた。

えんじ色のブレザーの代わりにピンク色のカーディガン。

チャコールグレーのスカートはそのままだが、学校指定のハイソックスではなく自前の白いニーソックスを穿いている。

練習の後にシャワーでも浴びたのだろうか。いつも通りのツインテールの毛先はほんの少しだけ湿っており、シャンプーの香りがほのかに漂ってきた。

「……何故ここにいる。ここはお前の家の位置からしたらだいぶ遠回りになるだろう」

動揺していることを悟られないように平静を装いながら、シュバルツェは尋ねる。

今日一番会ってはいけなかった人物が目の前に現れたことで気が動転してしまいそうになるが、なんとかそれを表に出さないように努める。幸いにも表情筋はあまり仕事をしない方だから、恐らく普段通りの顔付きを保っているはずだ。

「ふっふっふ……実はこの公園、キルシェちゃんの寄り道コースなのだ!!」

「こんなところがか……、」

言いかけたところでキルシェの立っている場所の後ろの方、ここから少し離れた場所に何かがあるのが目に留まり、シュバルツェは納得した。

「なるほど、そういうことか」

「え?」

「お前の目当てはアレだろう?」

シュバルツェが指差した先には、クレープ販売のキッチンカーが停まっていた。キルシェがかなりの甘党だったということを思い出して合点がいく。

「あちゃ〜バレちゃったか!さすがシュバくん、キルシェちゃんのことよ〜く見てるね!」

キルシェは舌をぺろっと出して悪戯っぽく笑う。彼女はこの時、きっといつものようにシュバルツェは揶揄われたことに少し苛立った様子でこの冗談を否定してくるだろうと予想していた。

多分「うるさい黙れ」とか、「自意識過剰もここまで来ると逆に感心するな」だとか、そんな調子で。

しかし、シュバルツェが紡いだ言葉は、キルシェの予想していたそのどれでもなかった。

「見ていないと、お前は危なっかしいからな」

「…………へ?」

一瞬何を言われたのか分からず、キルシェは間の抜けた声を上げる。そんなキルシェの反応を見たシュバルツェは、ようやくことの重大さに気付いたようだった。

「……っ!?また、」

慌てて口元を押さえるが、もう遅い。口をついて出た言葉はキルシェの耳にもしっかり届いてしまっている。

「今、なんて言ったの?もう一回言ってみて!」

「…………」

興味津々といった様子のキルシェとは対照的に、シュバルツェは苦い表情を浮かべて押し黙る。

「ねえってば!聞き間違いじゃなかったら、今シュバくんがキルシェちゃんのこと可愛いって言ったような気がするんだけど」

「何をどう解釈したらそうなるんだ!?流石にそれは言ってないぞ!!」

口を開いている状態自体が危険だということも頭からすっかり抜け落ちてしまい、反射的にツッコミを入れてしまう。勢いを殺されなかった口は、更にシュバルツェの隠しておきたい本音の流出を許した。

「だがお前のことを可愛いと思っていないわけではない!!………っ!?」

咄嗟に手で口を覆うが、時すでに遅し。自分の失言を悟った時にはもう遅かった。恐る恐る視線を上げると、そこには瞳をキラキラと輝かせたキルシェの姿があった。

「……ほほう、これは面白いことを聞いちゃいましたなあ?」

にやにやとした笑みを浮かべて、キルシェはシュバルツェの顔をまじまじと見つめてくる。

「なになに?シュバくんもとうとうキルシェちゃんのかわいさを認める気になったってこと?いやぁ〜照れちゃうなー♡」

すっかり上機嫌で調子に乗ったキルシェは、ずいずいと距離を詰めてきてシュバルツェにすり寄ってくる。彼女特有の甘い香りが鼻腔をくすぐり、胸がどきりと高鳴るのを感じた。

「……ち、近いから離れろ」

「えーいいじゃん!ねね、どこら辺がかわいいって思ったの?具体的に教えてほしいなぁ〜」

ぐいぐいと詰め寄られて、思わず仰け反る。キルシェから距離を置こうと座る位置をずらしていく内にベンチの端にまで追いやられ、シュバルツェは鬱陶しげに彼女を押し返しながら口を開いた。

「うるさい、さっきのは単なる言い間違……いじゃなくて、正直黒き明日(ディマイン・ノワール)にいた頃からお前のことはかわいいと思っていたし、具体的なところを言えば笑った顔が特にかわ……って何を言わせるんだお前は!!」

「えー理不尽!シュバくんが勝手にしゃべったんでしょー!でもそっかぁ……そんなに前からあたしのことかわいいって思ってくれてたんだねぇ〜♡」

キルシェは自分の両頬に手を当てると、嬉しそうに身体をくねらせた。

(……とても死にたい)

後悔しても既に遅いのだが、今の状態で口を開くリスクを失念していた自分を責めずにはいられない。いくら不可抗力とはいえど、うっかり口が滑ってしまったのは事実だ。

頭を抱えるシュバルツェをよそに、キルシェはにこにこしながらシュバルツェの隣に腰掛けてきた。

「他にはないの?ないの?この際だから全部言っちゃおうよ〜!」

「お前な……!」

「だってシュバくんが素直にあたしを褒めてくれるなんて珍しいんだもん!ほらほら、今なら褒め放題だよ!!」

これ以上後退ったら尻から地面に転げ落ちるところまで追い詰められていたシュバルツェに構わず、キルシェは更に身を乗り出してくる。

彼女にはパーソナルスペースという概念がないのか、或いはあるとしてもシュバルツェに対するそれが極端に狭いのか。互いの脚がぶつかるほどの至近距離を全く気にするそぶりもなく、むしろこの状況を楽しんでいるようにすら見える。

(くそ……これ以上こいつの前でボロを出すわけには……!!)

どうにかしてこの状態から脱却する術を見つけようと思考を巡らせた結果、彼が思い付いた手法はシンプルかつ、非常に古典めいたものだった。

「あ、」

不意に声を上げて、明後日の方向を指さす。そうしてキルシェの視線がそちらを向いた瞬間──

『転移(メタスタス)』

シュバルツェは転移魔法を発動するための呪文を詠唱した。

「えー、シュバくん何にもないんだけどー?……シュバくん?」

返事がないことを不審に思ったらしいキルシェがベンチの方を振り返ると、先ほどまでいた青年の姿はまるで最初からその場など存在しなかったかのように跡形も無く消え去っていた。

「あれ……もしかして、逃げられた?」

突然姿を消したシュバルツェの姿を探してきょろきょろと周囲を見渡してみるものの、彼の姿は見当たらない。

「ちょっとー!!逃げることないでしょー!?ねーってばー!!」

大声で叫んでみるものの、反応はなし。どうやら完全に公園から離れた場所まで移動してしまったようだ。

キルシェは諦めて肩を落としたが、すぐに顔を上げてにやりと笑みを浮かべる。

「シュバくんってば、キルシェちゃんがどんだけ諦め悪いかよく知ってるはずなのになー?そう簡単に逃げられると思ったら大間違いなんだからね?」

ピンク色のカーディガンからさくらんぼの形の装飾が施されたブローチを取り出し、それを手に持って精神を集中させる。

『キルシェ、変身(コンベルシオン)!!』

突然素直になったパートナーの本心を知るため。はたまた突然逃げ出した理由を問い詰めるため。キルシェは魔法少女に変身すると公園から駆け出した。

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