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貨幣について①

 はじめに

多分本記事を目に留めてくださるような方はご存じだろうが、投稿者は普段から、MMT界隈やアンチフェミ界隈に多大な影響を受けつつ、twitter上で発言を繰り返している者である。それなりの期間twitterでのみ活動し続けてきたのだが、ここらで一旦、考えを纏めておきたくなってきたので、長文を書くのに適したnoteに手を出してみようと思い立った次第である。という訳で本記事では、今までtwitterで語ってきた貨幣論ネタ+αで、エッセイだかポエムだか良く判らん文章を書き連ねていきたいと思う。お付き合いいただければ幸いである。(タイトルに①と付けているが、予定では③まで書くつもりである。)

1.貨幣と市場の起源(「負債論」おさらい)

経済学の主流派である、古典派・新古典派経済学は、個人同士の物々交換を出発点として市場の理論を組み立てている。市場参加者である個人は、自分が何を欲しているかを数量的に正確に把握しており、消費による幸福度=「効用」の最大化を目指して、他者が持つ財との交換を繰り返す。各財の交換レートは、それぞれの存在量と欲しがられる度合いによって決まる。今日、貨幣と呼ばれているものは、交換される財のうち、数量化と流通に便利な性質を持ったものが、計測手段としての特殊な地位を自然と獲得したものである。非常に大雑把に言うとこのような筋書きである。

しかしながら、デヴィッド・グレーバー「負債論」によれば、人類学と歴史学の知見は、この物語と真っ向から対立している。まず、現代に生き残っている未開社会を観察しても、同じコミュニティの成員同士が物々交換で取引している例はない。日常生活での物資のやり取りは、信用取引によって成り立っており、個人の利益より共同体の絆の維持がその眼目となっている。人類学者が「原始貨幣」と呼ぶ(グレーバーは「人間貨幣」と呼んでいる)一種の交換財はしばしば報告されているが、その用途は結婚や暴力沙汰という人間関係の調停に限られており、食料や道具の購入には基本的に使用できないのである。また、我々「文明社会」の歴史に目を向けてみても、古代シュメールの時代から、粘土板を活用した大規模な民間信用経済と、神殿を運営するための計量貨幣の体系が存在していた。世界最初の硬貨とされるリュディア硬貨の数千年前には、債務危機が深刻な社会問題となっていたほどである。つまり、具体的な物同士の交換から貨幣が発達し、それがさらに抽象化されて信用経済が可能となった、という一般的イメージとは真逆に、まず信用から経済は始まったのである。

しかしながら、本格的な市場を備えた商業経済が成立するには、共同体の素朴な信頼関係だけでは不十分である。未開社会の観察事例からすると、「人間貨幣」の交換は、貨幣で商品を購買するのとは異なる論理で行われていた。互いに負い目を残さないために行われる現金決済とは異なり、互いに互いの負い目を認め合い、共同体の絆を深めることにこそ意義があったのである。それゆえ、その蓄積は社会的ステータスに直結し、男たちは競ってその獲得に励みはするが、物質的な便益と交換することはできなかった。商業的貨幣の原理が「交換」であるなら、人間貨幣の原理は交換不可能性、人間の唯一無二性の承認であったのだ。

その原理を変質させ、貨幣をモノとモノ、そして人とモノを交換する手段へと変貌させたのが、農業の発展に伴い出現した巨大帝国であった。彼らは戦争の遂行と、征服地の統治のために、「市場」というシステムを生み出した。罰金、手数料、税など、支配者に対する義務を支払う手段としての「貨幣」を生み出し、被征服民がそれと引き換えに、兵士が必要とする諸々の物資を提供するよう仕向けたのである。彼らはある意味、その地に生きていられるだけで支配者に負い目ある存在であり、その償いの手段として貨幣を受け入れることを余儀なくされたのである。かくして、共同体の仲間に対する人間的繋がりの証であった貨幣は、官僚的正確さで計算され、暴力に裏付けられた精算の義務、すなわち「負債」となった。

このような転化を可能にする性質は、実は人間貨幣の中に既に潜在していた。人間貨幣の論理においてさえも、捕虜になるなどして奴隷とされた者は、「交換不可能な人間」の範疇とはみなされなかった。人間の唯一無二性は周囲の人間との関係性により定義される物であり、人間的繋がりの全てを剥奪された存在である彼らにその原理は適用されなかったのだ。彼らはむしろ、彼ら自身が貨幣のようなものであった。奴隷は生物学的生命を守るために、自らの社会的生命を全面的に譲り渡したのであり、その分は所有者の余分な社会的生命として計上される。言い換えれば「名誉」を得るというゼロサムの論理が、奴隷に人間貨幣的な意味での「価値」を与えていた。(実際にアイルランドの古文書には、奴隷の人数が貨幣単位として用いられていた記録が残されている。)市場を生み出した大帝国の社会においては、戦争により発生した大量の奴隷がいわば「範例」となって、人間の社会的生命の交換可能性を社会に導入したものと思われる。また、征服者が課した貨幣での支払い義務も、この論理の延長線上にあることは明らかだろう。全面的に自らの社会的生命を譲り渡す代わりに、その等価物である貨幣を少しずつ献上することで、彼らは己の生命を「購って」いるのである。もしその義務が果たせなければ、労役、体罰、処刑など、自身の社会的・生物学的生命を実際に「支払う」ことになる。

こうして貨幣と市場が誕生し、以後人々は、一方では己の尊厳を脅かす負債=貨幣を憎悪し、軽蔑しながらも、己の尊厳を保つためにこそ貨幣を希求せざるを得ない、板挟みの間で生きることになった。人間の交換不可能性を表現するために、交換可能性を前提とする「価値」という概念に頼らざるを得ないというアンビバレントが、我々の倫理観を決定的に支配するようになったのである。

2.「効用」の嘘

少し長くなってしまったが、以上が「負債論」で展開される貨幣起源論の、自分なりの要約である。貨幣と市場の起源がこのような物であったとするなら、「主流派」経済学の描く市場観は完全に、何から何まで倒錯だったということになる。財の交換から貨幣が出現したのではなく、貨幣の存在によって財の交換が可能になった。市場を産み出したのは利益を求める個人ではなく、大国家の征服戦争であった。市場参加者は、自由に取引しているのではなく、自由そのものを取引していた、「貨幣はヴェールである。」その通りだが、それが覆い隠しているのは物々交換ではなく、人身売買だったのである。

自分が特に問題と思うのは、「効用」という思想である。貨幣=市場の最も根源的な動力は、死と隷属への恐怖であり、我々が市場で物を売り買いするのは、そうしなければ社会的or肉体的に死んでしまうという強制力が第一義である。それを「効用」、すなわち個人の幸福を極大化するためなどというおためごかしで糊塗するのは、許されないことではないか?

経済学の目的は、市場の振る舞いを説明・予測することであり、倫理的問題は範疇外である。こういう反論が返ってくるかもしれない。しかし「個人の幸福」をモデルの基礎に据えている時点で、個人主義的・功利主義的観点からする市場の道徳的正当化という側面は否定し難いだろう。そのような余計な「基礎付け」をせずとも、市場はそれ自身がある種のモラルを主張し、実践するシステムである。つまり、「全ては交換可能である」「借りたものは、命に代えても返さなければならない」という命法が市場のモラルであり、それが全てなのだ。

従って、市場について問題とするべきは、効用を最大化するにはどうするべきかといったことではない。市場システムがその論理と倫理に従って動作した結果、何がもたらされてきたか、これから何がもたらされるのか、その意味するところを考えることがまずは必要なのではないかと、自分は思っている。

身の程知らずとは重々承知ながら、市場と貨幣の意義について自分なりに考えたことを、続く本記事では書き記していきたい。





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