妬み嫉みで生きていく



転職をした。
業界は同じだが職種を変えた。
前職は調整業務だった。それなりにプライドを持って働いていた。能力は低かったが努力をした。努力でカバーできないところは愛嬌で乗り越えた。

でも、それすら、ままならなくなって辞めた。


1年の無職を経て、転職をした。
現場業務だ。
英語を使う必要もない。海外のニュースに目を光らせる必要もない。接待もない。客や現場から早朝や深夜に電話がかかってくることもない。
健康な身体さえあればこなせる、そう思っていた。



結果、そんなこと無かった。


現場仕事は限りなくチームプレイだった。
他人が他人を信じて仕事している。他人が他人と助けあって仕事している。

前職とは真逆だった。
優しさと思いやりが横行している。ここでは愛嬌が武器ではない。
ここでは愛嬌が標準装備の世界だ。


前職は限りなく個人業務だった。対人間ではあったが、結局はお客や他部署だ。
相手を丸め込めれば良い。

私の愛嬌はただの武器でしかない。
相手を倒せれば良いのだ。
夏目漱石もそう言っている。



私は自分の能力の無さをカバーする武器として愛嬌を選んでいた。
これは「おそらくこう動くと円滑にいくだろう」という打算を元に、手探りで行動していただけにすぎない。
正直なところ、これが上手く作用していたかどうかなんて一生分かりえない。


ただ今の会社には武器として必要のない愛嬌をもった人間が、優しさと思いやりをもって働いている。


初めから持っているのだ。必要のない武器を。
経験から得た確固たる自信を元に愛嬌を振りまいている。



妬ましかった。
それは私が欲しかった能力だ。
それは私が全て手探りで手に入れた能力だ。
それは本来、能力がある人間が持っていて良いものじゃない。
それは本来、このような場所で発揮するものじゃない。


職場の人間と関われば関わるほど、自分の矮小さを思い知る。
自分の薄暗い部分と嫌でも対峙させられる。
私が武器として選び、手探りで行動し、私が体力を削りながら行っていることを、平然と行っている。



常に妬み嫉みを持って生きている。
この土俵では勝てない。
この土俵には居場所がない。
この土俵に居ると自分の嫌なところばかり見える。


結局この妬み嫉みを原動力に、私は土俵を変えるしかないのだ。
愛嬌が武器となりえる土俵に。



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