君の好きなとこを知らない

「尊敬」と「敬愛」と「恋愛」の「好き」の違いって、なんなんだろうか。

私は常にこういうことを考え続けている。

「感情」というものを考えると、気持ちというものはもっとグラデーションのはずなんだけれど、現状生物学的には2通りしかなくて、あとは社会的な倫理とかそういうものはこちらがいくら綺麗事を言っても現状はどうしても存在していて、そういう意味合いについてぽつぽつ考えたりする。

理想は「暮らしたいと思った人たちがひとつ屋根の下で暮らして、別に何も言われない社会」がいいなあとは思ってはいるのだけれど、残念ながら現状の社会ではそういう風にはなっていなくて、それを理由に生きづらくなっている人もいて、それについて私は凄く心苦しく思う。


他方、社会的に、そういう人たちへの反発がある理由もやっぱり分かってしまったりするものだから、自分はいわゆる「性的指向」とされているものに対して、「理解がある」とか「認めている」とか、口が裂けても言えないなあ、と思った。

そういう事を報じた記事で、きっとそういう問題を抱えていないであろう人の「人の目なんか気にせずに、自分が好きだと思うものを好きでいればいいだけの話に何をごちゃごちゃ言っているんだ」みたいな、「理解しているように見えて突き放してるだけの意見」が上位に来てしまうような現在では、冒頭の私の疑問は解けそうにないなあ。

凄く短いけどtwitterに流すのはちょっとためらった呟きです。

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