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ラランド 爆爆 感想 20240502

ネタバレを含みます。




ターゲティング広告が広がり、
どれが共通認識でどれが共通認識ではないかが
曖昧な世の中で、
これだ、という審美眼で
ネタを選ぶ知的活動のクオリティが高い、
というのがラランド。

芸能人にまつわる噂まとめサイト、
ゲッターズ飯田、など的確に
信頼できないものを選び、それをネタにする面白さ。

カイジは、きっとサーヤさんがそれをしたかったんだろうなという印象。
イキイキとしていた。そしてその演技が見たかった。映画版藤原竜也だった。黒服は確かに緊張の象徴。そこに笑いを見出す着眼点に笑った。

伏線を酒で貼り、それを舞台で回収するという試みは部分的に成功していた。それは全てが成功していると、おそらく失敗している。部分的に成功しているからこそリアルが湧き出る。謝罪し、リズムネタをさせる、というあってないような話がおもしろい。

エジプトでのばらしは、ニシダが家族と絶縁状態という背景が効いていた。次は家族と来て、という善意の表現がまさかこんなにも笑いを誘うとは。

ミュージカルは礼賛ならではの歌唱力と間が絶妙で笑わせる。

フェミニズムをどれだけネタに含めるか、そしてそれをお笑いに昇華させるかという最高難易度をトリに持ってくる気概。前半は個人的にはおそらくフェミニズム的な改修を予感させたが、観客的にはそう捉えた人は少数そう。主張自体を笑わずでも、その演出と聴衆を巻き込んだトリックでうまく笑いを誘った。これが成功しているのか失敗しているのかわからない。ただ、賛辞にも似た拍手は確かにあった。
笑いとはピエロであり、社会批判の面を多分に含んでいるという前提はあったのだろう。彼らが上智というバックグラウンドを持っていることも影響している。

総じて、日頃見ているyoutubeの延長、そしてそのプラスとして劇場できないことを成し遂げていたと思う。
そして、YouTubeの延長という言葉は最大の賛辞。
笑いの現代アートだ。小説家、歌手、俳優というバックグラウンドがあってこそのネタとして融合している。
笑いの地平線をこれからも広げて欲しい。

#ラランド #爆爆

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