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K ビフォア・ゼロ 第2話「誕生祝い」

著:古橋秀之

 このところ姿を消していた猫が、仕留めた獲物をくわえた姿で、庭先に現われた――
 遠方の短大に進学した秋緒が、半年ほどしてひとりの青年を伴って訪ねてきた時、塩津はつい、そのような光景を連想した。
「こいつと結婚する」
 玄関先で言い放つ秋緒の、どこか得意げな表情とは裏腹に、
 ――妙なのを、連れてきたな。
 と、塩津は思った。
 目の前の青年の背丈は、自分よりわずかに低い。年齢も二十歳の自分と同じか、ひとつふたつ下だが、十八にして中学生と間違えられる秋緒と並ぶと、大人と子供のようだ。子供みたいな娘のあとについて、のこのこと他人の家に現われるとは、いったいどういう人間なのか。
 ……いや、そうした色眼鏡で見てしまうのは、おそらく、過去に何度か、秋緒の恋愛絡みの揉めごとに巻き込まれたことがあるからだ。偏見なしに見てみれば、目の前の青年は、特に尖ったところのない、ごく平凡な人物と思える。むしろ、丁寧な立ち振る舞いからは、育ちのよさすら感じられる。
 ただ、「そんな真っ当な人間が、なぜ秋緒と」。そういう違和感はあり、それが「妙だ」という印象になっていた。
 その日の訪問に事前の予告はなく、あいにくと両親が出払っていたため、塩津がひとりで相手をすることになった。
「――突然押し掛けてしまい、申しわけありません」
 湊速俊、と名乗ったその青年は、座卓の脇に正座すると、深く頭を下げた。
「今日は秋緒さんのご実家にご挨拶に伺っていたのですが、そこで急に『ゲン兄にも顔を見せてくる』という話になり……」
 初見の印象通り、筋の通った挨拶であり、歳に見合わない落ち着きぶりでもあった。
 一方秋緒は、
「まあ、ここも実家みたいなモンだ。別宅だ」
 と、さっそく足を伸ばして楽にしている。
「秋緒……くつろぐのは構わんが、せめて挨拶が済んでからにしろ」
 塩津が眉間にしわを寄せると、湊もまたうなずいた。
「『今日は、ちゃんとしてるところを見せる』という予定だったね」
「あ、そういえば……ちぇッ、面倒だな」
 ぼやきながらも、秋緒は湊の横に正座で座り直した。剣道の経験があるため、真面目に座ると、ぴたりと形が決まる。
「お……」
 塩津の興味を引いたのは、その姿勢ではなく、
 ――秋緒が、人の言うことに素直に従った。
 という事実だ。
「塩津さんご一家とは家族のような間柄だと、秋緒さんから伺っています」
「あ……ああ」
 湊の言葉に、塩津は我に返った。
「それは、まあ……遠縁ですが、この通り、家も近所なので」
「特に、元さんとは兄妹同然で、道場にもいっしょに通っていたとか」
「『よその子供に怪我をさせないよう、よく見ておけ』と言われていたので……」
「なるほど……秋緒さんはなにごとにも全力で取り組みますからね。元さんに様子を見ていただいて、親御さんたちも安心だったでしょう」
「速俊、あたしのことはいいだろ」
 遠回しな会話に焦れて、秋緒がくちばしを挟んだ。
「うん。それでは……」
 湊青年は、塩津に向かって居住まいを正した。
「急な話で驚かれたことと思いますが、僕も軽い気持ちではありません。実際に結婚に至るのは、五年先か、十年先になるか、それは分かりませんが、将来を視野に入れた交際をお許しいただきたいと思っています」
「……はあ」
 出会って間もないふたりが、十年先の許しを請うとは、気が長いのやら、短いのやら――それはさておくとしても、
「お許しもなにも……もし俺が『許さない』と言ったらどうするんだ」
 ついそんな言葉を漏らしてから、塩津はあわてて、湊に言い添えた。
「いや失礼。今のは『そもそも、自分が口を挟むことではない』という意味です。もちろん反対するつもりもありません」
 社交辞令としては、ここで「おめでとう」とか「秋緒をよろしく」などと言って、場を収めるべきなのだろう。だが、
「しかし……大丈夫なのか」
 再び失言というか、つい本音が出た。
「また、ゲン兄はそういうことを言う」
 秋緒が口を尖らせた。
「『どうせ続かない』とか思われるのは癪だから、わざわざ見せに来たんだ。今度の・・・はちゃんとしてるだろ」
「え?」
 湊が首を傾げ、そして、
「……ああ。『ちゃんとしてる』は僕のほうに掛かるのか。なるほど、なるほど」
〝今度の〟呼ばわりに気を悪くした様子もなく、湊はくすくすと笑い、そして、再び塩津に向き直った。
「ではあらためて……そういうわけです、元さん」
 頬に笑みの名残を残しながら、湊は言った。
「〝ゲン兄〟に応援してほしいのです。秋緒さんも、僕も」

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