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K ビフォア・ゼロ 第5話「戦闘開始」

著:古橋秀之

 《青の王》羽張迅に続き、湊速俊がその部屋に足を踏み入れた瞬間、炭化した血肉の匂いが鼻をついた。
 室内は薄い闇に包まれていた。単に照明が落とされているだけではなく、陽光が入るはずの窓が塞がれている。
 しかし、完全な暗闇ではない。赤と青、異能の放射光が、そこかしこで激しく瞬きながら打ち合っている。戦闘は、継続しているのだ。
 事前に確認した施設見取り図によれば、この部屋は二〇畳足らずの共同室のはずだ。大規模な戦闘に至るほどの空間ではない。だが、暗がりに慣れ始めた湊の眼は、明らかにそれ以上の広さを持つ空間を認識した。
 拘置所の共同室を中心に、数部屋分の壁を抜いて、広いスペースが作られている。外部からの襲撃を予期して作られた迎撃用の空間か、はたまた、施設内で生活する《煉獄舎》が戯れに壁をぶち抜いたのか。それは分からないが、ともあれ、この急造の〝ホール〟は、この日の最大の戦場と化していた。
 ふたりが周囲を警戒しつつ、物陰に移動し始めたとき、
「羽張! それに湊か!」
 室内の一角から、呼び掛けてくる声があった。
「善条、状況は!?」
 羽張が呼び返すと、
「罠にはまったな! この部屋で待ち構えていた!」
 三人の黒服を相手にしながら、再び善条が言った。牙を剥く顔が、笑っているように見える。
「しかも、厄介な奴がいる――」
 その言葉と同時に、闇の奥から細い鞭状の炎の塊が滑り出し、毒蛇のように羽張を襲った。
 羽張が瞬時に抜刀し〝頭〟を弾くと、炎の鞭は縮みながら引き戻され、十数メートル先に立つ、ひとりの男の手元に吸い込まれ、消えた。
「――相馬か!」
 羽張の誰何すいかに、
「はい、どぉーも」
 と、男はとぼけた調子で応えた。
 薄い色のサングラスの奥の、糸のように細い眼。口元に貼りついたような笑み。真意の読めない、仮面のような顔をしている。
 長身・細身の体格と、抑制の効いた物腰は、武闘派ぞろいの《煉獄舎》の中では、やや毛色がちがう。彼らの〝制服〟、周囲に威圧感をまき散らすブラックスーツさえも、この男に限っては、垢抜けた着こなしに見えてくる。
 《煉獄舎》幹部・相馬そうまひとし
 《赤の王》の参謀とも、〝ナンバー2〟とも呼ばれる男だ。
「羽張さん、ようこそ。そして申しわけありません。せっかくの《青の王》のご光臨ですが、うちの大将は奥で寝てますもんで……いつ起きるかは、神のみぞ知る、というやつですわ」
 戯画的に誇張した関西弁のような独特のイントネーションで、相馬が語る。
「ここは及ばずながら、不肖この俺がお相手させていただきます。至らぬこととは思いますが――」
「いいや、相馬。相手にとって不足はない」
 晴れやかな笑みを浮かべながら、羽張はサーベルを構えた。切っ先が相馬の心臓を指している。
「至らぬどころか、おまえは容易ならざる相手だ。迦具都を除けば最悪とさえ言える。速やかに命を絶たねば、こちらが皆殺しにされるだろう」
「あッちゃー、油断ナシ。マジですか。俺如きが《王》さんと真っ向勝負て……」
 相馬は懐からシガレットケースを取り出した。
「……その前に、一服、ええですか」
 呼吸を外された羽張が苦笑じみた笑みを浮かべると、相馬もまた仮面じみた微笑で会釈し、そして、タバコをくわえ、顔の前に左手をかざした。
 相馬の左手の小指は、第二関節から先が欠損していた。断ち切られた指の断面が、炎の異能を帯びて、赤く光っている。それが相馬の〝聖痕〟だった。
 欠けた指をライター代わりに使い、タバコの先に火を移すと、相馬は深く煙を吸い始めた。
 その間にも、《セプター4》と《煉獄舎》の剣戟の響きは、室内に何重にも響き渡っている。さらに、そこに低く被さっていくのは、負傷した黒服たちのうめき声だ。
 だが、相馬はそれら一切に気を払わない。羽張もまた、相馬の佇まいを興味深げに見守るのみだ。
 やがて、相馬は顔を天井に向け、ふぅー……と、長く息を吐いた。
「……ほな」
 会話を切り出すかと見える絶妙なタイミングで、相馬は左手を前方に振り出した。手に提げた荷物を放り出すような仕草だが、手のひらにはなにも持っていない。その代わりに、小指の切断面から高圧の〝炎〟が噴き出し、目の前の空間に打ち放たれた。
 相馬の技は〝鞭〟と呼ばれている。欠損した指の断面から噴き出す炎を、文字通り鞭のように振るう。射程も軌道も自由自在だ。
 レーザーのように、毒蛇のように、薄闇を貫いて走る炎の鞭が向かう先は、羽張ではなく、その傍らにいる湊だった。虚を衝かれた湊の眉間を、炎の鞭の先端が打ち砕くかと思われた瞬間、羽張のサーベルが閃き、青い光を帯びた刃が横合いから鞭を弾いた。
 一瞬宙に浮いた炎の鞭は、蛇のように素速く身をくねらせると、弧を描く軌道で、今度こそ羽張に襲い掛かる。
 再び鞭の頭を弾きながら、羽張は素速く踏み込んだ、異能の脚力によって一瞬で〝ホール〟を横切り、相馬に肉薄する。
 鞭とサーベルのリーチの差が、懐に潜り込むことによってサーベルの有利へと変わる――否、生身の腕以上に自由に、精密に動く炎の鞭は、至近距離における攻防においても、十全に機能を発揮する。
 羽張と相馬は激しい打ち合いを演じ始めた。
 剣、身体、異能のすべてを渾然一体とする羽張の剣技に対し、相馬は左手をだらりと下げたまま、構えもしない。その小指から伸びる鞭が、独自の意志を持つ生き物のように素速く閃き、二度、三度と打ち込まれる青い刃を、的確に弾き返す。相馬自身は、鞭に体を守らせながら、口元のタバコを離しもせず、舞踏じみた足運びで、悠然と立ち位置を調整する。
「やはりな」
 怯む様子もなく、羽張が言った。
「おまえほどの遣い手が守りに徹したならば、殺し切ることは容易ではない」
「いやいや……これ、ギリッギリですわ」
 相馬は韜晦した口調で応えつつ、最後にフッと煙の塊を吐く。
「湊!」
 剣撃の手を緩めず、振り返りもせず、羽張は後方に呼び掛けた。
「場を立て直してくれ。三〇で頼む」
「はい」
 これより三〇秒のうちに、戦局を掌握し、打開の手を打つ――
 湊は周囲に素速く視線を巡らせた。闇に慣れた眼が、室内の状況と、同朋と敵戦力の配置を把握し、戦闘の経緯を脳内に再構築する。
 そのようにして、湊は理解しなければならない。
 この一室で、ここ数分間、《セプター4》と《煉獄舎》がどのように戦っていたか。
 そして、秋緒がいかにして死んだのかを。

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