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K SIDE:GOLD 00

著:高橋弥七郎


プロローグa・空飛ぶ幽霊船


 一九四五年五月。
 空と海とが眺望の全てを占める、大西洋の一隅。
 その果てない蒼穹から、SBDドーントレスの爆撃編隊が、幾つかの横列を組んで降下を始める。急な出撃で、爆撃機二十機のみという変則的な編成だったが、問題はなかった。
 標的は一機、あるいは一隻のみ。
 偵察機の報告によると、武装も見えないという。
 煌めく海面近くを鈍足で進むそれは、巨大な硬式飛行船だった。
 やや先んじて降下する編隊長には、みるみる近づくそれが、とても現実の存在とは思えなかった。扁平な気嚢を連結させた奇妙な形状は、まるで殻のずれた二枚貝。
(じゃなきゃ、娘の作った下手くそなパンケーキだ)
 つい先日のドイツ第三帝国降伏以降、頻りに思い浮かべるようになった我が家の光景を振り払いつつ、編隊長は絶妙のタイミングで爆撃ボタンを押した。
 応えて、懸架されていた徹甲爆弾が機を離れ、飛行船へと落ちてゆく。
 上昇に転じた背後で、僚機が同じく爆弾を次々投下してゆくのが、肌感覚で分かった。
 数秒の後、遠い下方で立て続けに爆発が起こる。
 轟音は意外に遠く、炎は陽光に霞み、ただ黒煙だけが海面近くから大きく湧き上がった。
 その様子がよく見えるよう、編隊長は機を傾け、黒煙の柱を中心に旋回を始める。これは自身が見物するためではない。背中合わせに座る後席で、カメラを覗く相棒のためである。先から途切れることなく続く、シャッターを切る音とフィルムを巻く音に、軽く声をかけてみる。
「どうだデイブ、幽霊船は木っ端微塵か?」
「いえ、編隊長。まだ燃えていますが、すぐに爆沈するでしょう」
 二人の熟練パイロットは、自分たちアメリカ大西洋艦隊に与えられた不可解な任務を、改めて思い返していた。共に飛ぶ編隊全員、彼らと同じ気持ちだろう。
 この一月ほど、大西洋上で度々目撃されるようになった一隻の飛行船を、艦隊総動員で探し出して沈めよ……こんな任務を不可解と言わずしてなんと言おう。
 なにをするでもない回遊、どこを目指すでもない放浪、という体で彷徨っていたそれ・・は、いつしか行き交う船乗りたちから“幽霊船”と呼ばれるようになっていた。
 この呼び名に、恐れは含まれていない。
 今時そんなものが、という揶揄を多分に混ぜた通称だった。情報部への照会によって呆気なく素性が特定された時、軍関係者の揶揄の度合いは、さらに増した。
 怪しい幽霊船の――文面を見た誰もが吹き出さざるを得ない――正体が、まさに先週、連合国に降伏したドイツ第三帝国の[秘密兵器]だったからである。
(たしか、対阻塞気球用の空中砲艦、だったか? ドイツ野郎ってのは全く……あんな薄らでかい的を一隻組み上げる手間と資材で、メッサーが何機作れたんだ)
 その無残な末路に、編隊長は肩をすくめてみせる。
「やれやれ……なんで艦隊司令部は、こんな任務で『詳細に記録せよ』なんて注文を付けたんだか。昼間に見つかってしまえば、あんな物ひとたまりもないのは分かっているだろうに」
「はい、編隊長。そちらもですが『銀色の光に注意せよ』という文面も気になりました。新型爆弾でも積んでいたのかも知れません」
 つらつら語る間も、冷静な相棒はカメラに目を押し当て、シャッターを押し続けていた。
「新型爆弾、ね。噂は聞いちゃいるが……」
 編隊長の方は、僚機が爆撃に失敗して数を減らしていないか、確認を終える。黒煙の周囲に着水した機体も見えない。後続機から墜落の報も来ない。任務は完了だった。
 思わず、気の抜けた感想が漏れる。
「なんにせよ、噂の幽霊船も、遂に水底へお帰りか」
「はい、編隊長。ドイツ軍の残党が、なぜ南米への亡命ルートから大きく外れたこの海域を未だにうろついていたのか、理解に苦しみます」
「分からないこと尽くし、だったな」
 編隊長は呟きの裏で、楽な任務の完了を大いに惜しんでいた。
(あいつの御陰で太平洋戦線に回されず、終戦までの時間を潰せたが……それもここまでか)
 恩人の最期を看取る気持ちで、爆沈確認までの会話を続ける。
「あれの名前……[ヘヴン]号、とかいったか?」
「いえ、隊長。意味は同じですが[ヒンメルライヒ]号、です」
「よく覚えているな。まあ、あのザマじゃ乗員は天国どころか地獄――」
「あっ!?」
 呆れ半分のジョークが、驚愕の叫びに断ち切られた。
 即座に操縦桿へと意識を戻した編隊長が、鋭く尋ねる。
「どうした!?」
 彼が警戒したのは“幽霊船”を援護するドイツ空軍機の襲来だったが、相棒の回答は全く違うもの……というより、あり得ないものだった。
「そんな、馬鹿な……標的健在! 損害を認められず!」
「なにぃ!? そんな馬鹿な!」
 相棒と同じ台詞を叫んだ編隊長は、海面へと落とした視線の先に、相棒と同じ光景を見る。
 薄れ行く黒煙の中から、爆撃前と何一つ変わらない速度と形状の“幽霊船”が、ゆっくりと這い出していた。一斉爆撃を受けたはずの上甲板は全くの無傷、どころか煤汚れすら見えない。
 編隊爆撃で全員が標的を外した?
 軽合金にしか見えないが重装甲?
 秘密兵器に隠された秘密の機能?
 常識的な検証から馬鹿馬鹿しい妄想まで脳裏に巡らせてから、編隊長は軽く首を振る。
「あり得ん」
 そうしてすぐ、気分を切り替えた。眼下を遊弋する現実の“敵機”に対し、歴戦のパイロットとして次の手立てを講じる。
「爆撃が通じないなら……機銃を甲板にぶち込んで、頑丈さの理由をこの目で確かめるか」
 が、それには相棒の制止が入った。
「いえ、編隊長。しばらく待って下さい」
「なんだと、デイブ?」
「命令書にあったでしょう。また後半を読み飛ばしたんですか」
 冷静さを取り戻した彼は、詳細を正確に復唱する。
「――『爆撃によって攻撃の企図を達せざる場合、司令部に報告し次の命令を待て』――」
「意味が分からんから飛ばしたんだ」
 編隊長の抗弁は当然のものだった。
 たかが飛行船一隻、編隊爆撃で沈められないわけがない。
 攻撃の企図を達せざる場合、などというものを想定する方が間違っているのだ。
 いる、はずなのだが、現実は当然を蹴り飛ばし、想定を超えてそこにある。
「こちらエメンタール1、艦隊司令部応答せよ」
 後付けの大出力通信機で司令部との連絡を始める相棒を背に、編隊長はあり得べからざる存在へと、せめての口撃を投げ落としていた。
「……“幽霊船”か、くそったれめ」
 既に黒煙も失せた海上を、白銀色の飛行船は変わらず飛び続けている。

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