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グラウンド・ゼロ fragments 04


あの夏が始まる


著:古橋秀之

 一九九九年の〝あの日〟を、特別なひと時として記憶している者は多い。
 ある者にとっては、我が身に突然降り掛かった衝撃的な災厄。ある者にとっては、遠い伝聞越しの大災害に非日常を感じた瞬間。
 頭上から照りつける太陽。話もできないほどのセミの鳴き声。頬を伝う汗。そんな光景を思い出す者もいるだろう。
 ……だがそれは、もう少し先のことだ。
 連日の気温はすでに上がり始めていたが、まだ、夏の本番には遠い。
 すべてを呑み込み灼き尽くす高圧のマグマのような運命の上に、薄皮一枚の日常が残っていた、これはそんな時期の話だ。

     *

 荒事のあとに電車に乗るのは、居心地が悪いものだ。
 あちこちに穴が開きほつれの生じたブラックスーツ。焦げた匂い。煤に汚れた顔が、混み合った駅のホームで浮いていた。
 ほんの数時間前、《煉獄舎》は、居住を承認されたエリアから数キロほど外れた、一般の暴力団事務所を襲撃していた。
 計画を仕切るナンバー2・相馬の言うところの「お部屋探し」。せめてインフラの生きている土地に生活の場を得るために「ほどよいヤクザに目星をつけた」とのことだったが、実際には、支配領域の拡大、治安システムへの威嚇、橋頭堡の確保、そんな戦略的な理由もあったかもしれない。
 だが、そんな「お部屋探し」は《赤の王》迦具都の暴発によって失敗し、運の悪い暴力団を壊滅させただけの無駄足に終わった。
 往路に使った大型車も大破してしまったため、クランズマンたちは現地で帰りの足を調達した。具体的には、持ち主を脅して奪った何台かの乗用車や単車に分乗することになったが、たまたま若手のふたりが数にあぶれた。
 侠児きょうじ択也たくや。免許の有無など今さら気にしないが、どちらも運転はできなかった。
「しゃーないわ。ジブンら、電車で帰り」
 相馬が面白半分に発した指示に対し、侠児は大いに機嫌を悪くし、択也はただ虚無的な気分で切符を買った。当時、交通系ICカードのサービスはまだ開始していなかった。
「帰れるだけマシさ……今日死んだ連中よりは」
 電車を待ちながら択也が言い、
「なんだよ、おまえ長生きしてえのかよ。ダセえな」
 と、侠児がホームにつばを吐いた。
 その日の戦闘では、《煉獄舎》のクランズマンにも何人かの死者が出ていた。
 ほとんどは《赤の王》迦具都の力の影響を受け、異能の暴走によって体内から爆裂した者たちだが、ひとりだけ、ヤクザの銃弾に当たって死んだ男がいた。
 門田祐助かどた ゆうすけ。歳は三十過ぎだそうだが、童顔と腰の低い態度から、まだ二十代に見えた。
 《煉獄舎》に入ったのはひと月ほど前。その直前に自らの所属していた反社組織の構成員十三名を殺害し、出奔したのだという。その事件は異能案件ではなく、通常の刑事事件として記録されている。この男はインスタレーションと異能発現よりも前に、ただ一丁の拳銃を得物に、大量殺人を引き起こしたのだ。
「テッポーかあ、自分で撃ったこたねえなあ。ヤクザやら警察にゃ、よくバンバン撃たれッけど」
 侠児は〝新入り〟門田のことを気に入っていた。他のクランズマンとちがい、年齢や容姿によって侠児たちを軽く扱うことがなかったからだ。
「おっさん、人を撃ち殺すってのは、異能チカラでやるのと比べてどんな感じだ? スカッとするとか、ラクチンだとかさ」
 そんな不躾な質問に対して、門田は気を悪くする様子もなく、丁寧に答えた。
「さあ……どうだろう。比べる機会もないしな。この力で人を殺したことはないし――」
 門田が右手を広げて見せた。人差し指が欠損し、断面が熾火のように赤く光っていた。
「この指じゃ、もう引き金も引けない」
 拳銃の一件がトラウマになっていたのか、門田の聖痕は、見ての通り〝右手人差し指の欠損〟。異能の力は、なくした指から発する〝弾丸〟だったが、その弾丸の異能も、何度か試射をしただけで、ほとんど使うことがなかった。
「じゃあ次の出入りの時に、その辺のヤクザでも撃ってみようぜ」
「いや、それはちょっと……どうかな」
「構やしねえさ。当たって死ぬ奴が悪いんだよ!」
 そう言って笑う侠児に、門田は少し困ったような笑みを浮かべ、そして今日、弾に当たって死んだ。異能の力によって殺すことも殺されることもせず、ただの銃弾によって、常人のように死んだのだった。
「――あの人は、撃てても撃たなかった。防げても防がなかった。あれは自殺というか……人としてギリギリまっとうな死に方を選んだってことなんだろう。本人にとっては、きっと」
「なんだそりゃ。意味分かんねえ」
 侠児は口を尖らせた。込み入った話をされると、必ず不機嫌になった。そして、
「……だいたいあのおっさんはよ、人がよすぎるってか、ちょっとトロかったよな」
 などと、吐き捨てるように言いだした。
「そうかな。確かに人柄は落ち着いてたが」
「そこらの鉄砲に当たってくたばるなんざ、どの道、そこまでの奴だったってこった……弱い奴から消えていくんだ」
「まあ、そうだな……きっと、そうなんだろう。電車、来たな」
 択也はそう言って話題を切り上げようとしたが、
「だいたい、あのおっさんはよお――」
 侠児はさらに食い下がってきた。
 門田に対する雑言は、それから何駅も続いた。いささか辟易する気持ちもあったが、それが侠児なりの哀悼だということは分かっていた。

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