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K SIDE:PURPLE 08

著:鈴木鈴

 入ってきた客を見て、タカさんは目を丸くした。
 長谷一心――半年ほど前に、『二番街』に住み着くようになった男だ。筋骨隆々の大男で、適性さえあればこの『マッシヴボーイズ』で雇ってもよかったのだが、今のところは『二番街』全体の用心棒、というところに落ち着いている。
 店の入り口に立ち尽くして、長谷は戸惑っているようだった。無理もない。『マッシヴボーイズ』は誰でも入店できる、いわゆる『観光バー』だが、店内のあちこちにどぎつい蛍光ネオン看板やらボンテージファッションのギリシャ彫刻やらゲイポルノスターの艶めかしいポスターやらが無秩序に飾られているのだ。一見の客はたいてい戸惑うし、即座に店から出て行ってしまうものもいる。
「センセ、こっちこっち」
 タカさんが手招きで呼び寄せると、長谷はほっとしたような表情を浮かべ、カウンターに近づいてきた。巨躯をスツールに収めると、まるで店内の置物のひとつであるかのように見える。
 おしぼりを差し出しながら、タカさんは少し笑って言う。
「いらっしゃい。珍しいわねえ、センセがうちに来るなんて」
「うむ、まあ、そうだな。こういうところは苦手だからな」
 その物言いに、タカさんは呆れる。苦手ならなぜ来たのか、というかそういうことを本人たちの前で言うのはどうなのか、と思ったところで、長谷が慌てたように、
「ああ、いや、違う! あんたらのことがどうというのではなく――単純に、酒を飲む場所に、縁がないというだけだ。すまん」 
 タカさんは思わず吹き出してしまう。そんなに慌てなくてもいいのに、どうやら人付き合いが苦手というのは本当のようだ。
「まあ、そうよね。確か、お酒飲めないんだっけ?」
「うむ、面目ない」
「あはは、生真面目ねえ。謝ることなんてないわよ、うちにはノンアルコールもたくさんありますからね」
 ちらりと目線を横に向け、チーフのサトシに合図を送る。私はこの人を見るから、他はよろしく――という意味合いの指示。サトシは頷き、嬌声をあげて客に絡んでいる店員を諫めにカウンターから出て行く。
 タカさんは長谷に向き直り、柔らかい笑みと共に言う。
「それで、なんにします、センセ?」
「……そうだな。俺でも飲める酒を、頼む」
「はァい」
 タカさんはシェイカーを手に取った。下戸の長谷が酒を頼んだことに、疑問は差し挟まなかった。飲めない酒を、それでも飲みたくなる日もある。こんな商売を長くやっているのだから、それくらいのことはわきまえている。
 ほんのちょっぴりのカカオリキュールにシロップと砂糖とレモンを加えて、シェイクする。タンブラーに移し、ソーダ水をなみなみと注いで、軽くステアをして――タカさんは、グラスを長谷の前に差し出した。
「はい、どうぞ。カカオフィズよ。お酒は少なくしてあるから、安心して飲みなさい」
「ああ。ありがとう」
 たどたどしい手つきでグラスを持ち上げ、恐る恐る口を付け――長谷は、驚いたように目を見開いた。
「む。うまいな」
「そ? ありがと」
 タカさんはにっこりと笑う。長谷は何度も小さく頷きながら、再びグラスを傾けた。
 なにがあったのだろう、と思う。
 ケツ持ちのヤクザが潰れてからの半年間、長谷は『二番街』の多くのトラブルを解決してきた。彼に助けられたり守られたりしたのは、タカさんをはじめとして数多くいる。そうでありながら、功績を鼻に掛けることのない木訥で善良な彼の人柄は、『二番街』の住人たちから好意的に受け止められていた。
 それでも、タカさんは長谷の詳しい事情を知らない。ミッちゃんもセイヤもそうだ。無用の詮索は禁物である、というのは、スネに傷持つ身の多い『二番街』の、暗黙にして鉄則のルールであった。
 だからタカさんは強いて訊ねることをせず、ただ世間話を振った。
「最近、どう? 紫ちゃんのほうは?」
 長谷は片頬だけで笑う。カカオフィズを一口、それからぽつりと言葉を漏らす。
「剣がな」
「うん?」
「当たらなかったよ。あいつに。――俺の剣が」
 一瞬、タカさんは長谷がなにを言っているのか、わからなかった。
 長谷の腕前は折り紙付きだ。数人の暴漢を、瞬く間にたたき伏せたこともある。剣のことはよくわからないが、彼が長年研鑽を積んできたこと、その技術は生半可なことで超えられるものではないということくらい、常識として理解できた。
 それが――
「……なんで、そんな、急に」
「サユリさんと約束したんだそうだ。ケガをしないようなやり方にすると。今までは我が身を省みない動きで俺に打ちかかってきていたのだが――それを、改めることにしたようだ」
「…………」
「天才という言葉など生ぬるいな。紫は、本物だ。あいつと同じ」
 独り言のように言って、長谷は空になったグラスをカウンターに置いた。
「おかわりを。頼む」
「……ええ」
 新しいカクテルを用意するあいだ、タカさんはそれとなく長谷の表情を観察した。
 長谷は、笑っているように見えた。なにか物思いにふけるように軽く目を閉じて、その唇はわずかに笑みの形を作っている。だが、彼が真実なにを思っているのかは、タカさんにはわからなかった。長年の研鑽を、ほんの半年ほどの人間に追いつかれたとき、人はなにを感じるのか。それは、当人にしかわからないのだろう。
「すごい子だな。あれは」
 グラスに新しいカクテルを注ぎながら、タカさんはことさらに明るく振る舞う。
「そうよお、センセったら知らなかったの? 紫ちゃんはすごいんだから。昔っからなんでもできたし、頭も良いし、顔も良いし。こんな場所にいるのがおかしいくらい」
 差し出されたグラスに視線を落としながら、長谷は苦笑する。
「『こんな場所』とは、ご挨拶だな。仮にも自分が住んでいる場所だろうに」
「そうね。『二番街』は、確かに私たちの居場所。でも――やっぱり、『こんな場所』なのよ」
 自嘲するように言って、タカさんは視線を店内に向けた。XLサイズのイブニングドレスやプリマドンナの衣装を着たむくつけき大男たちが、肩を組んでジョッキを掲げ、調子外れの歌声を響かせている。
「なにかを捨てたり、なにかから逃げ出したり。ここは、そういう人たちが集まる吹きだまりなのよ。長くいる人ほどそう。私もミッちゃんもセイヤも、サユリも――ここの他の世界には、居場所がないの」
 長谷のグラスが空になる。タカさんは半ば無意識に酒を注いだ。
「でも、紫ちゃんは違う。あの子はすごい子だから、私たちの想像もつかないような広い世界に羽ばたいていけるのかもしれない。私たちみたいに、逃げ出した先に居場所を見つけるんじゃなくて、自分で切り開いていける――そういう子だって、信じているから」
 まぶしげに目を細めながら、タカさんはそう語る。
 御芍神紫は、『二番街』の人間たちにとって、確かにそういう存在だった。希望であり可能性。自分たちが決して行くことができない場所に、羽ばたいていける存在。だからタカさんたちはみんな紫が好きなのだし、ここは紫に相応しくないと感じているのだ。
「逃げ出した、か」
 ふと気づくと、長谷の顔が真っ赤に染まり、巨体がぐらぐらと揺れていた。タカさんは慌ててグラスを取り替える。
「あらヤだ、私ったら飲ませ過ぎちゃったかしら。お水お水」
「んむ……」
 差し出された水を、長谷はじっと見つめる。とろんとした酔眼を何回か瞬かせ、長谷はぽつりと、
「俺も、同じだ。ここに来たのは、宿命というヤツなのかな」
「――――」
 無用の詮索は禁物。それが『二番街』のルールだ。探られたくない傷を持っているのは、誰もが同じなのだから。
 しかし――人は、自らの痛みをずっと秘めて生きていくことはできない。探られたくない傷を、それでも吐き出したくなるときはあるものだ。そういうときは、静かにその話を聞く。それは『二番街』のルールではない。タカさんのルールだった。
「センセは、どうしてここに来たの?」
 タカさんが水を向けると、長谷はカウンターに肘を突き、眠るように目を閉じながら、ゆっくりと語りはじめた。
「友を、裏切った。そうして、そいつの元から、逃げ出してきたんだよ」

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