人格はいつつくられるのか。

ワクチン・ハラスメント、自粛警察、コロナでみんなが同調圧力をかけ合い、何が正しいかではなく、同調するかしないかだけで物事を判断し進めていく風潮が絶えない。間もなく勃発から100年になる関東大震災のさなかにおきた朝鮮人の虐殺、逆らう日本人まで殺された事件となんら変わらない。同調しないやつが悪い、そういう考え方やマインドに対して自分をしっかり持つことがどれほど難しいことか。そんな自分が、実は少年時代から変わっていないエピソードを思い出した。

1974年、中三の初夏だったと思う、自分のクラスはすでに秩序を欠いた、いわゆる荒れた状態だった、ボンタン、くるぶしまで長いスカートと異装はもちろん、授業妨害、エスケープ、カセットデッキを持ち込んでハードロックを聴いている生徒もいた、担任の酒井先生は国語科で世話はできるが、指導力不足、長い説教は耳にたこ、緊急事態宣言くらい効果なかった。自分は漫画ばかり描いているようなおとなしい生徒で、親しい友達は近所のまーちゃん、大柳くんだけだった、不良になりたての中田にからまれて卒業までいやな気分で過ごしていた。好きだったのは常本るみ子さん、背が高く、あまり笑わなかったので大人っぽかったし、とがっていたが、女子には人気があった、席替えで隣になったときはドキドキして口もきけなかった。そのるみ子さんは社会の川辺先生と合わず、いつも対立していた。川辺先生は初任、酒井級の副担任でもあった、そのクラスがどうにも落ち着かない。ある日、授業中に川辺先生がいつものようにるみ子さんと口論になった、周りの生徒も進まない授業に苛立っていたのか、川辺先生が発した一言で大事件になった。「授業が気に入らないのなら出ていけ」、あー、言ってしまった、るみ子さんは教室を出ていく、それだけでは収まらず、ほかにも気に入らないやつは出ていけと言ったから、示し合わせていたかのようにクラス全員が一斉に立ち上がり、出て行ったのだ。今なら保護者に知れてマスコミやSNSで広がり、もっと大変なことになっているだろう。
 誰もいなくなった教室に残ったのは、自分とまーちゃんの二人だけ。川辺先生が飛んできて、おまえらは授業を受けるのか、というのでそうだと返す、すると成績あげてやるからな、と一言残して教室を出て行った。

 なぜ、出ていかなかったのか、理由は簡単である、出ていく理由がなかったからだ。まーちゃんは出ていこうとしたが、留まった、自分はまーちゃんが出て行ってもひとりで残るつもりでいた、まーちゃんはそんな自分を見放せずに残ったのだろう。成績あげてくれるんだって、本気にしたわけではないが、となりにいるまーちゃんと顔を見合わせるが、まーちゃんは複雑な面持ちだった。
 
 その後、クラス会議になった、生徒と担任、川辺先生との話し合いの場になり、お互い言いたいことを言い合う、先生はいつも不機嫌な顔をしているとるみ子さんに言う、るみ子さんは堪えきれずに泣き出してしまった、周囲から同情が集まる、が、ガスが抜けたか、しだいに融和のムード、さいごは楽しい授業をつくるという先生に応えて生徒は真面目に授業を受けると合意、こうして騒ぎは収まった。しかし、自分とまーちゃんはそのあと、どうなったのか。当然、クラスのみんなからどうして出ていかなかったのかと問い詰められた、自分は出ていく理由がなかった、と返すだけだ、おそらく同調しなかったことから周囲から冷たい目で見られていたのだろう、だろうというのはそんなことはまったく感じていなかったからだ、そのおかげで誰にも相手にされなかったなんてことはなかった。まーちゃんとは仲がよいままだった。 

 成績は結局あげてもらえなかった。約束が違う、先生は成績をあげずとも、その時の言葉、約束を反省して謝罪すべきだが、それはなかった。もしかしてクラスで孤立するかもしれない自分たち二人に対するケアもなし。正しいことをして、どうして孤立したり、責められたり、謝罪してもらえないのか、それは今も変わらない。それで先生に対する評価が出た。
 川辺先生はのちに市内でもっとも荒れていた中学校に転任し、そこで生徒指導で名をはせ、以後、柔道と合わせて多くの先生から信頼され頼りにされるようになった。初任のあの事件は若気の至りだったのだろう。自分が教師になり、その川辺先生と同じ学校で働くことになる(教職バカ一代 3を参照)。校長だった川辺先生には、このことは伏せておいたのはいうまでもない。

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