脱・歯磨き粉の10年

 ずっと我慢していたが、歯磨きするたびに口の中がひりひりするのは、おかしいのではないか、と思い、歯磨き粉をやめて、歯ブラシと糸ようじだけで口中を掃除するだけにして10年になる。ここまで幸いなことに軽い虫歯で一度だけ医者に通っただけで済んでいる。
 この習慣を始めるにあたり、まず刺激のない歯磨き粉を探しにドラッグストアへいった、生薬の入った高価なものもあるが、成分表示をみるとどうしても着色料や化学成分が目に付く、白くするための研磨剤や歯垢をとるための化学成分などお祭り状態、そこで子供用なら刺激が少ないし、体に配慮されているのではないか思い、いざ成分表を確認すると、なんと、子供用のほうが着色料が多いし、さらに味をつけるための甘味成分まで入っているではないか、これらを今までの長い人生で歯磨きするたびに飲み込んで摂取し、毎日蓄積されていたかと思うとぞっとした。
 脱・歯磨き粉を始めて間もなく、歯科医に相談したことがある。その歯科医は否定しなかったが、マウスウォッシュで洗浄するよう勧められ、さっそくやってみたが、これは歯磨き粉以上に口の中が痛い、しかも化学成分てんこ盛り、これを飲み続けるのはどうか、それを推奨する歯科医師もどうかと疑う。
 歯磨き粉だけではなく、シャンプーやトリートメント、洗顔フォーム、メイク落とし、ハンドウォッシュ、全身保湿ケア製品、乾燥をふせぐリップクリーム、角質除去や肌の保湿のためのクリーム、頭から足の先までヘルスケア製品であふれている。

 洗濯洗剤もやめて10年になる。肌のかゆみや刺激があり、どうも衣類に残った洗剤のせいではないかと疑ったからだ。濯ぎが不十分だからだというかもしれないが、洗って濯いで脱水を2度繰り返すことにどれだけ無駄があるのか、よく考えると汚れを落とすのではなく、使った洗剤を洗い流すのに繰り返しているだけだ。ほんとうに汚れている個所はたとえばカラーの内側とか袖、ここは洗濯機に入れる前に、歯ブラシと体用のせっけんで擦ることで落とせる。しつこい皮脂汚れは熱湯を使えばかなり溶かすことができる。そのうえで歯ブラシで擦ればせっけんもいらない。洗剤には殺菌と消毒のための薬剤まで入っているものが多いが、これが自分の皮膚に付着すると思うと使えない。殺菌消毒はおもに鍋で煮洗いする。化学繊維は溶けてしまうのであまり勧められないが、効果はほんの数秒で出るから、繊維を痛めるまでは煮ない、色落ちは仕方ないが、煮洗いの対象はインナーばかりなので気にしない。じゅうぶん殺菌すれば生乾きのにおいは出ないので、そのために噴霧剤を使うのは屋上屋を重ねるのと同じ。アウターに付いたたばこのにおいや花粉は外ではたいたり、または洗えばとれる。芳香剤を使う必要はない。

 まだ40代のころ、一時、強烈な加齢臭に悩んだことがある。その少し前、ラジオのパーソナリティの女性がダウニーの香りのする男性に好感をもつなど言っていたので、今まで使ったことのないダウニーを買ってきた使い始めたのだが、実はそれが加齢臭の原因だった。たしかに始めはよい香りを放つが、香り成分が化学変化を起こすのか、香りが消える一方で体臭や汗と混じると不快なにおいになってしまうのだ。ダウニーをやめたら加齢臭もきえ、60を過ぎた今でも出ていない。
 毎日のシャワー、シャンプーやリンス、ボディソープを使うたびに、これらに含まれる化学物質を肌で吸収し、あるいは飲み込んでいるわけで、これもやめた。水道水には塩素が含まれている。手洗いうがいはこれでじゅうぶんとみた。洗髪は湯でよく頭皮を洗うだけ、最初は脂でギトギトになった、それもそのはず、これまで脂を必要以上に洗剤で洗い落していたから、脂を補充するよう体が多く分泌するようになっていたからだ、しかし、脱・洗剤を続けると体が脂を出さなくなる、これは洗顔も同じ、洗えば洗うほどてかてかぬるぬるする、これもすぐに改善され、保湿程度で済むようになる。全身も同じ、ボディソープやハンドソープは必要な箇所に必要な機会だけにしてあとは汗やほこりを洗い流すのみ。これでも体臭は出ない。
 台所にも洗剤は最小限だ。毎日の食事のたびに使う食器にも残留する洗剤、あなたは台所洗剤を一本呑めますか、毎日少しずつ摂取していると思えば一本一気に呑んでいるのと同じ。ひどい油汚れ以外は洗剤は使わない。それでは汚れやにおいが取れ無きれないじゃないかと言うかもしれないが、化学洗剤を飲み込むのと、多少残った汚れとどっちが体に悪いか考えたらわかる。食器やふきんなども熱湯で消毒殺菌できる。黒ずみなどは取れないが、それが体に害を及ぼすことはない、生肉生魚のついたものなら塩素消毒するのだろうが、そんな機会はほとんどないし、仮に塩素で白くしても汚れが落ちたわけではない。たんに印象の問題だ。
 こうして我が家には化学薬品原材料の洗剤、ヘルスケア製品はほとんどなくなった。化粧品も使わないので、ホームセンターやドラッグストアにならぶ無数の商品群をみると、複雑な思いになる。人々の生活には必需品に思われるこれらの商品も、旧時代には存在しなかったものばかり、これらの製品は資本主義、科学技術の進歩の象徴のようなものだ。それが自分の生活には一切と言ってよいほど必要ではないのでから、今の社会に対するアンチテーゼと言ってよいのではないか思えてくる。世の中の人々が自分のようにすればよいとは思わない。美しく魅力的でありたいと願う人にはなくてはならないアイテムばかりなのだろうが、それがスタンダードではないこともまた事実として受け入れるべきだと思う。資本主義の競争のなかで、新商品が次々と出てくるのは当然、しかしすべて安全安心な商品なのかといえば違う。


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