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歩いて酸素吸って笑って泣くのは、君だけでも僕だけでもないから。
「生きている」ということは、
「死ぬ」っていうことがあるんです。
当たり前ですけど。
「愛する」っていう行為の裏側には、
「愛される」って行為があるんです。
これも当たり前ですけど。
でも、ぼくたちはそんな当たり前を忘れがち。
気づいたらないがしろにしてしまっています。
「命の尊さ」は、いつも忙しい日常の片隅に取り残されてしまう。
家族を持つ。兄弟姉妹を持つ。母親。父親。
友達を持つ。恋人を持つ。大切な人。失いたくないもの。
太陽。空気。風。月、星空、暑さ、寒さ、ぬくもり。
「誰かにとっての当たり前は、別の誰かにとっては当たり前じゃないかもしれない。」
高校生の時、轢かれた野良の子猫の姿に、ぼくはそれを見つけました。
動物と人と。人と森と。森と動物と。地球と未来。
その関係性は、ごちゃまぜな倫理観と、様々な利害関係の中で絶え間なく揺れ、変容し、移り変わる。
しかし、ぼくたちは決断しなくてはなりません。
つかみ所なく、揺蕩う命の重さに向き合わなくてはなりません。
だから考えることと、歩むことを止めません。
見据えた地平線の彼方に、歩いた価値があることを信じて。
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