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長男のとき、
連絡帳の枠いっぱいに、
足りないくらい書いていた

いま見ると、
あたま大丈夫かな、
産後鬱っぽくみえる。
当時は一生懸命すぎた

保育園は初めて

子どもの情報はあるだけいい

釈迦に説法のようだった

その後、
信頼も築き、
よく話すようになり、
楽しかったと笑う顔に癒された

そして、
疲れたからだを動かすため、
車にのり、先生からの、
園での様子を読むのが、
なによりの楽しみになった

いつしか
枠がひろくかんじて。

あれ、かくことない(笑)

枠いっぱいの、
SOSにも似たなにかを、
先生がわたしを
含めて見てくれている
いつの間にか、安堵したのだろう

次男坊のとき、
末っ子の時も変わらず、
枠いっぱいで。

末っ子は、
もう、保育園の先生にしたら、
長男、次男坊ミックス顔に、
行動もミックス。

思わず、間違って長男の名で呼んでも、
次男坊の名で呼んでも、
普通にスタスタあらわれるらしい(笑)

兄はおれのもの、
おれは俺、だから、みんなの
名前はいただいちまうぜ。

兄の名をも背に軽々のせている

間違うと先生が謝るのだけど、
私からしたら、
今もこの場で2人の名前と、
末っ子と三兄弟の歴史があるようで、
聴くと嬉しいですって。

愛おしいと想って、
その名を自分の世界だけで呼び、
時々、自分声でるかな?と、
静かな中で呟いて。

そんな風な時があったから、
おっきな声で、
みんなに名前を呼ばれるのを、
保育園で見るたびうれしくて。

かなりの、確率で、
親は氏名がきえる

「〇〇くんママ」

見えない某湯やの
おばあちゃんに奪われる

だけど
ある日名前が返ってきた。

「え、名前あるん?」

長男、次男坊、
似たような時期にこれ。

確かに改まって名乗る機会はない

母改めまして、〇〇です

保育園のみんなは、
名前を覚えてる割に、
わたしの「名前」には、
本当にびっくりしていた

「母」枠で、
彼らのなかでは、
考える隙間はない

一応、
わたしも赤ちゃん時代があり、
今があるというと謎の驚き

そろそろ末っ子にも、
改めましてと、
挨拶する頃かもしれない

我が家だけかもだけれど…

人間同士、
ようやく目線が合う感覚と、
妙な孤独感や何やが、
我が子がわたしに
名前を思い出させる

見えない湯やの仲間(?)も、
お祝いしてくれているだろう

わたしが、私になる

名前がある事をおざなりにせず、
同じように愛おしいと
想っていいかな

枠は
取り外し可能
無限大の枠のなかで、
のびのびと。

いつしか振り向かず、
歩き出すのだろう

だけど忘れないで

その名前は

愛おしい、いとおしい宝物。

決して錆つかない
そういう魔法をかけたのだよ

どんな呪文より
自分の名前を思い出したら、
前へ進めるはず。

うひひ。



※読んでくれた方
ありがとうございます。
幸せがたくさん、
降り注ぎますように⸜( ´ ꒳ ` )⸝✩︎⡱