小川愛花のトロ

『皆様、こんにちは。女流棋士の小川愛花です。私は現在女流3段という段位で活動しています。本日はここ大間でマグロを食べるのが楽しみです。よろしくお願いします!』
 ラジオの生放送だった。青森りんごラジオのプロデューサーが将棋好きでメディアにちらほら出ている女流棋士の私に、地元の特産物のPRをして欲しいと声を掛けて頂いた。
『私も東北には縁がありまして、生まれが岩手県なんですね。3歳の時に父の仕事の都合で東京に移ったので、帰省するとかはないのですが、まだ妹がいなかったので、一人っ子の気持ちで過ごしていました。なので、いつも東北に来ると妹がいなかった頃のことをぼんやりと思い出しているんですね。それだけ私にとって妹が大きい存在なんです』
 妹さんも棋士ですか?とカンペが出る。今回の生放送は私1人で話して欲しいということだった。将棋のことに素人が余計な口出しをしたくないそうだ。そういった配慮はありがたいが、聞き手がいないと話すのも中々大変ではある。
『あ、妹は棋士ではないです。大学生です。棋士として影響を受けたわけではありません。なんといいますか、生き方みたいな?ところに影響を受けまして、私にはない才能を持っているんです。簡単に言うと、行動力がとてもある子なんです。私と身長も体重も一緒だったんですけど、高校の時に柔道を始めて、161cm48kgだとパワーが足りないと言い出して、62kgまで増量したり、今は研究で人の役に立ちたいと言って、研究室に所属してるそうです』
 ここで一旦CMに入った。タイトル通算2期の私より、女流棋士で成績が良い人はいるけれど、こうしてメディアに出させて頂くのはありがたい。成績だけで見れば、タイトルを持っていた10年前が私のピークではある。年間24勝10敗。毎日将棋に明け暮れていた。もちろん今も棋士として将棋を指しているが、メディアに出たり、ゲーム実況をしたりと活動も当時とは変わってきた。CMが明けて、私は好きなりんごの話や最近ハマってるゲームの話をした。そして、最後に妹がいつも口癖のように言っている『変化を恐れるな』の言葉で生放送を締めくくった。
 放送が終わり、スタジオの隣の部屋に案内された。用意された大きなテーブルの上にマグロはいた。水から揚げられ生き物としての新鮮さは失ったものの、ズシリと身の詰まったその体は造形物、オブジェとしての迫力を保っていた。ラジオ局が呼んだ職人が解体を始めようとした時、横たわったマグロの眼がこちらをギロリと睨んでいる。その瞬間、なぜか吐き気を催した。

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