わたしたちへ

ちょうど一年くらい前に
高円寺にあったケンタッキーが無くなった。

閉店したとき、僕は向かいの京樽の前で
で座って歌ってて。
スタッフの人たちが最後の挨拶を店内でしているのを見た。

ほどなくして、工事が始まって、高円寺高架下の建物は東側がバァーってなくなって
いまも続いている。

工事現場になったケンタッキーを見つめながら
この一年歌ってきたんだけれど

とうとう西側のマクドナルドも無くなってしまうみたい。

ワンタン屋さんも理容室も三月に無くなっちゃうみたい。

反対側にある飲み屋とか、おじいちゃんおばあちゃんがやってるおいしい喫茶店や、どうなるんだろう。
そして、ずっと歌わせてくれた京樽はどうなるんだろう。

たぶん工事でなくなっちゃうんだろうなあ。
と思った。

高円寺は小さい街だ。

とても小さな街なのに、人間がこれでもかってくらい大きく生きていて、
毎日通る道なのに一つだって退屈しないし
毎日一緒に生きてる人たちなのに
毎日新しく居れる気がする。

だから、こんな小さな街でも
大きな声でずっと歌えてたのかもしれない。

僕にとっての東京は、たぶんずっとこの街だったから。
出たいとも全然思ってなかったんだけれど。


ちょうど、出産直前とのこともあって
今月長く住んだ高円寺から
引っ越すことを決めた。

少し遠くなるけれど、きっとそこも素敵な街なんだと思う。

「高円寺出るなら、どこに出ても一緒」

そんなことずっと思ってた気がする。

日々はもっと自由だし
東京は優しいし、許されてる。

そんなことはわかってるんだけども。

当たり前にあったものがなくなってしまうことは。
やっぱり辛いし怖い。

なんとなくあの場所がなくなったら
道で歌わなくなるんじゃないかなあと思う

できるだけ景色が変わらないように
あそこにいれるように
足跡みたいになぜかあの場所にこだわり続けて歌ってきたから。

どんどん歌える場所がなくなって
どんどん街が変わってくこと
仕方ないんだけれど。

最近、京樽の店長が閉店後に余った寿司をよくくれる。
ちょっと認められた気がして嬉しかったんだ

引越しするような気持ちで
街を考えたり、思い出すことが
少し痛かった。

変わらなきゃいけないんだね、わたしたちも。

今年はどんな春になるんだろう。

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