誰も気づかない五月の向こうに

ひとまず五月が終わった。
ということはもう春も終わっているのか。

まだ春な気がする。

忙しかった。ひたすらに。
その分たくさんの言葉と愛に触れて
たくさんの人と何かを交わした。

息子がもう、爆発するほどの元気を撒き散らして、毎週風邪をひいたり、胃腸炎になったり、鼻水ブウブウ言いながら、奥さんや僕はほぼ毎日風邪をひいていた。路上なんて一切できなかった。

仕事休んだり、ライブも休んだり、その中で随分と引き摺りながら駆け抜けたらあっという間に引っ越しになって、今日が終わる。

明日は北海道に飛ぶ日です。家族三人で。

息子は、小樽で生まれたっていうのもあって
飛行機にもう何回も乗ってる。長崎も一緒に行ったし。
奥さんは飛行機に乗る時絶対に優先搭乗しない、一番最後に乗るようにしてる。
そういうところがとても好き。

高円寺から去年の三月に引っ越した時点で
もはや東京から出た、という感覚になったし
こういう日が来るのはなんとなく考えていたし

奥さんが今年の三月に調子崩した時に
キッチンで「もう小樽帰ろうか」って
出てきた言葉も、さほど驚かなかったんだけど

今朝、ドアを開けて外に出たら
とてもとても寂しかった。高円寺から出る時よりも。

一年しか過ごしていない小金井の町は、
少し湿っぽくて、曇っていて
でもそれくらいこの一年が、三人で過ごした日々が、幸せだったんだなあと思った。

大人になったって
一才の頃の記憶なんてないだろうに
僕だってないけれど、
でも僕らは「お寿司を食べに行こう」とか「いつもと違う景色を見せに行こう」とか
息子に新鮮を感じ取ってほしいと、毎日思う。
いてくれるだけで僕らにとってはいつまでも新しいのに。

たくさんの人と会った。今夜だって。いろんな人と話した、最後の東京の夜。
君は愛されてるよって息子にわかってほしいんだろうな。ほら僕らも愛されてるよって、自慢したいんだ。

わからない言葉で、新しいその目に
幸せになるんだよ、って何人が言ってくれたことか。
これからだってずっとそうさ。


五月はラジオに2本も呼んでもらったり、ポパイにも出れたり、これからまだ解禁してないことも何個かあります。
そんな恵まれたことがあったって、前の僕だったら東京にやっぱりまだいようって思ったんだろうけど、
いまなら小樽に帰ろう、帰るから出会えたチャンスだったって思えるんです。きっと。

新しいアルバムが動き出しました、やっと。
いろいろな紆余曲折を経て、全てがよかったって思えるアルバムになるはず。

そして、東京にもかなり頻繁に来ます。
また土曜から来るし。
ライブやお仕事、ぜひお気軽に誘ってください。日本全国。できるだけいけるようにします。
それが生活の鼓動になります。本当に。
僕からもいろんな日を作れるようにしたい。

明日、羽田空港から「じゃあな東京」と
心の中で大きく叫ぼう。長渕みたいに。


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