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熊本地震の教訓

昨日飛行機で熊本に行って来ました。

小さめの飛行機でしたが天気安定していて快適なフライトでした。

途中天気だったので地上の様子が見えました。

明石大橋それに伊方原発が見えました。

細い半島の中程に伊方原発があって万が一事故があってそんな時に海がシケていたら岬の方の人は避難できないとおもいました。

熊本空港に着くとクマモンがいました。

空港に「板」のクマモンがいました。

そこで記念撮影を写真はここまでです。

被災建物などを写真は一枚も撮っていません。

被災建物には所有者がおられるので所有者の許可なしでは勝手に撮影することはよくないと考えての事です。

それに二十余年前私たちが被災したとき写真を撮っている方に違和感がありました。

以下写真はないので熊本に被災状況について定性的な言葉で説明します。

震度7を記録した益樹町総領南地区を3時間あまり掛けて見回りました。

地元の被災された方にはご迷惑をおかけしたかも知れません。

始めにその地区で亡くなられた方もおいでになる様でご冥福をお祈り致します。

建築にたずさわるものとして建築物が人命を奪う凶器となったことを深くお詫び申し上げます。

すべての建築にたずさわる人達が早急に熊本に行かれてその惨状を目の当たりにされそのようなことが二度と起きないように学習して下さるようにお願い申し上げる次第でございます。
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結論から言うと

次の10点がわかりました。

1.総領地区は扇状地です。

2.小河川の河川敷であったところでもある。

3.地震で地盤が15cm移動したところもあり被害大きい。

4.古い建物が多い

5.風呂周りで腐っている部分が崩壊している

6.開口部多い

7.殆ど瓦葺き

8.昭和30年以降の建物は筋交いが貧弱

9.潰れていない建物は窓が小さい

10.古くても(旧耐震基準)鉄骨造コンクリート造では被害がない

11.明らかに強度が不足する建物があった

個々に説明します。

1.総領地区は扇状地です。
2.秋津川は以前はもっと北側にあって総領南地区の中央を流れていたかも知れず小河川の河川敷であったところでもある。
「総領南地区は地盤が悪い」

益樹町総領南地区について明治の終わりの地図から次のことがわかります。

地区の南側を流れる秋津川は現在は支流になっていますが河川改修が行われるまでは本流でした。

総領地区の北側は緩やかに高くなっていて多数の小河川が秋津川に流れ込んでいました。

現在も小河川は暗渠になっているものも多く水量も多いです。

地理的には総領地区は扇状地だったように見受けられます。

今も秋津川は扇状地の先端付近ながれていますが北側の高地から流れ込む土砂によって氾濫を繰り返し徐々に南側に移動していったのではないかと推測しております。

総領南地区の中央には江戸時代初めの頃は秋津川が流れていたのではないかとおもいます。

3.地震で地盤が15cm移動したところもあり被害大きい。

地震で相当地盤が動いていることが推察されました。

道路の舗装がグシャグシャです。

舗装が縁石に被さるようになっていてそれが15cmくらい重なっている所も見受けられます。

たぶん道路横の宅地のすべてが15cmほどずれてきているのではないかと思います。

別なところでは全く潰れていない3軒並ぶ住宅では全体に少し傾斜のある低い方へ10cmは移動しているように見受けられました。

そんな移動する地盤に建っている建物は相当堅固でないとその形を保持できません。

4.古い建物が多い

建っている家の建築年代はわかりませんが倉庫の建築様式から昭和の初め以前のものと推察されます。

5.風呂周りで腐っている部分が崩壊している

バスユニットが一般的でなかった昭和50年頃までの住宅は風呂周りが常に水がかかりますの木部は腐りやすくなります。

腐ると耐力はなくなり風呂場だけが崩壊した家屋が散見されました。

6.開口部多いエアコンがなかった頃は家は夏向きに作る必要があり当然の如く窓は大きくなります。

開口部が多いと言うことは水平耐力が不足します。

近年エアコンが普及し各人のプライバシーが重要視されるようになると窓が小さい家が増えてきています。

総領南地区でも全く被害のない家は窓が小さい家でした。

7.殆ど瓦葺き

瓦葺きは1m2当たり100Kg程度の重さがあります。

建築面積が100m2ほどの家でも軒先をいれると10t軽く越える重さがあります。

台風の時は利点となってもそんな重いものを建物の一番上に載せていることは地震の時は大変不安定です。

建物の被害がなくても瓦屋根だけがずれてしまうこともあるので瓦屋根にする場合は十分に注意する必要があります。

蛇足ですが関東大震災以降東京では屋根は瓦葺きでないのが当然のようになっていました。

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