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富士山登頂。夢叶って気づいたこと

先日、富士山を登頂してきました。もうこれで登山家を名乗っていいのかもしれません。冗談。登山をやった理由としては、競技のトレーニングだけで鍛えるところはもう効果薄いのかもと徐々に気づいたところからです。

高尾山から登り始め、百名山と言われるものを知り、毎週1回登山をし、体を慣れさせてから富士山を登りました。以前からぼんやり行ってみたいなー。と思っていた富士山を登りきって思ったことは、改めて夢が叶うというのは叶えない時の方が面白くて登ってしまうと虚しさの方が強いなと感じました。

そして富士山下山中にあれやこれやと思考の細分化が始まり。お題は「富士山に登ってみたいな。という考えから本当に登ってしまった。」というもので、富士山に登った、登れる体力はあった、登る機会を逃さなかった、こんな感じなり、これって色んなことに転用できるんじゃないかなと気づきました。

結論から言うと、自分のできることだけ気にすればいい。という本に書いてありそうな内容なのですが。

やっぱり、自分の目標とか、夢とか、他人とかは幻想でしかないということに改めて気付かされました。オリンピック金メダルとる!という大きくて凄そうな目標を立てたとしても、自分のできることを整理すると、その競技で金メダルを取れる状況に身体能力を持っていくこと。以上になります。

大会が開催されるか否かとか、パンデミックが起こるか否かとか、競技が省かれるか否かとか、代表選考会に呼ばれるか否かとか、そういったことは自分の手に及ばない部分になってくるわけです。そうなってくると、結果を目標にするというのは焦りを生むデメリットの方が大きいような気もしていて、人間ですから、はやく結果出せるなら出したいじゃないですか。大抵は。でも、そんなことはないのです。

この夢とか目標を設定する本当の意味というのは、結果はあんまし意味なくて、自分のできることで求めるレベルに達することができたら、それはもう終わりで、あとは機会があればチャンスを活かすことができる、銃とかナイフのような武器みたいなもので、能力というのはそんなもんなんだなと思いました。いや、デカすぎる山に思わされたのかもしれません。

実際に今回の富士山登頂できたのは、僕が普段からトレーニングをしていたり時間管理をしていたりして機会があったから、たまたま登れたわけであって、チャンスは待ってたら本当に来るということ、そして能力だけ磨いておけばOKなんだということに気付かされました。

つまり、目的を持ったら、結果はわからないのだから、能力だけ高まったら、あとは機会を待つ。以上。終わり。
言い方を変えると「あなたの目的を達成する能力は手に入れられました。ご苦労さん。」ということになるわけです。夢は確かに叶ってないが、できることは終わったならそれで終わりで、あとはチャンスを待つなり、ここまでかこれ以上は難しいなぁと気づいたのであれば違うことやりたいならやればいいと思うんですよね。

というのも、僕自身がボクシングがあるからという理由で必要なさそうなものを排除していた時期があった経験があるからかもしれません。明日遊ぼう!?いやダメだ。来週は?練習あるから。みたいに、異常な時期があって能力を深く突き詰めることができたわけです。能力を突き詰めた!と思う反面、成長をやめたのか?と思うこともありましたが、そうじゃないなと。フェーズが変わった。というか、フェーズを変えるところまで突き詰めた。といった方が正しいと今では思ってます。これは自分の目標に対して小さいものなんだと自覚するからできることだと思っていて、もっとできる。みたいなのは今の自分の特定の分野にとっては不要と感じます。頑張れるんだから、頑張るぐらいだと思います。

こう思えたのも、でっかい山をでっかく感じたからで、自分のできることなとってもちっぽけに感じた、いやちっぽけなんです。

それにしても自然はドンっと構えてる感じがして、かっこいいなぁ。

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