ニシャドッチ



うねに張った黒マルチをスコップで剥がしていると土の中から指ほどの大きさの茶色い物体が出てきた。泥遊びをしていた3歳のうちの娘に見せてあげた。
「それなあに?」
「ニシャドッチだよ」
「?」
ぼくは葉巻のようなその物体をつついた。ほそく尖った先端がくりくりと動く。生きているのだ。
「つついてみるか?」
娘は怖がって手を触れようとはしなかった。

ニシャドッチの正体はスズメガと呼ばれる大型のガのサナギだ。幼虫は先端に針のような突起を持った大型のイモムシ。家庭菜園をされている方なら野菜の葉の上で見たことがあると思う。うちの農園では里芋の葉の上で見かける。


夏の間にさかんに葉を食害し養分をため込んだ幼虫は冬がくると土に潜ってサナギになる。そして春が来るのを待ち続ける。
よく知られているように昆虫は成長の過程で形態を変えるものが多い。幼虫はとにかく食べて養分をため込むのに適した形態をしている。そこから移動能力の高い羽を持った成虫に姿を変える。この移動能力のおかげでオスとメスは出会うし、メスは卵を産むのみ適した場所を探すことができる。成虫は生殖活動に適した形態なのだ。
この形態の変化のためにサナギという段階が必要になる。内部はどろどろに溶けて羽を備えた形になるための再構成が行われている。ふしぎだなとぼくは思う。たとえ成長のためであっても、内部がどろどろに溶けたらぼくはそのまま死んでしまうだろう。脊椎動物にはそんな芸当はできない。ちっぽけなサナギの中では奇跡のようなことが起こっているのだ。
昔の子どもは土から掘り出したこのサナギをつまんで「西ァどっち?」と言いながらくるくる回る先端を見て遊んだという。ケータイやテレビゲームどころかプラスチックの玩具すらない時代の子どもはそんなことでもじゅうぶん楽しめたのだろう。
もちろんスズメガのサナギは西をさすコンパスではない。刺激をうけた先端が動くだけだ。方角を探すような姿にそんな俗名がついたのだろう。
でもなぜ北でも東でもなく西なのだろう?ぼくはこれは仏教が教えるところの西方浄土のことなのだろうと思う。こんなちっぽけな虫でも浄土を求めている。小さな子どもたちはサナギをつついて遊びながら、どんな小さな生きものにも命があることを学んでいったのだろう。人によってはキモチワルイだけの生き物でも、とにかく一寸の虫にも五分の魂なのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?