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蛙化現象とイエス様

先日Twitterのトレンドに上がっていた蛙化現象と私とイエス様の関係について書きたいと思います。

蛙化現象とは

蛙化現象とは、ずっと好きだった男性が振り向いてくれた途端、相手のことを「気持ち悪い」と感じてしまう現象を意味します。

「片思いから両思いになると突然相手のことが嫌いになる」という一見矛盾した心理で、主に女性に発現するものだと考えられています。

単に相手に興味がなくなるというだけでなく、生理的な嫌悪感を抱いてしまうことが多いのが特徴です。
https://blog.ncbank.co.jp/posts/206

このように定義づけされています。
私自身それを読んだ時にそれはないでしょ、と思いました。
恋愛は相手あってのものであるし、たとえそのことで自分が悩んでいたとしても、その悩みが相手を傷付けていることになりますから。

Twitterで調べていると、自己肯定感がなく、相手を信じられないから蛙化現象が起きてしまうという方もいました。
ですが、自己肯定感が原因で相手のことを信じられないのなら、「信じられないから相手と別れる」ではなく、「信じたいから相手をもっと知ろうとする」ということではダメなのかなと思いました。
あとは、定義には生理的嫌悪感と書かれていますが、それを相手に伝えると相手は絶対に傷付きます。私がもし、交際相手からいきなり生理的に受け付けなくなったから別れてほしいと告げられたらトラウマになりそうです。

恋愛は早合点するものでなく、時間をかけて相手を知り、そして自分自身も成長させるものでもありますので、受け付けないからすぐ別れると言う前に、なぜ受け付けられなくなったのか、自分を省みる作業をしないと、相手を変えてもいつまでも同じことが起こるんじゃないかなと思います。
だから、相手にも人格はありますから、お互いに傷付く恋愛はない方がいいなと考えています。

ちなみに、私は恋愛経験皆無の人間で自己肯定感なんてまるでない人間でしたが、私からの告白が実った時、とても嬉しくて蛙化現象は全くありませんでした。相手から必要とされてることが、自分は価値のある人間だと思ってくれる人がいるのがとても嬉しかったんです。

私の蛙化現象とイエス様

私はこの聖言を受けて洗礼を受けました。

「すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。」
‭‭マルコによる福音書‬ ‭1:11‬ ‭新共同訳‬‬
https://bible.com/bible/1819/mrk.1.11.新共同訳
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イエス様の愛に感動して洗礼を受けた私ですが、信じた直後の私の信仰はひどいものでした。

イエス様が本当に愛してくださっているのか分からず、疑っていたのです。

これは、私の霊的蛙化現象でしょう。不信仰にも私はイエス様の愛が分かりませんでした。
しかし、初めて竪琴音色キリスト教会でカテキズムを受けた時、丹羽鋹之先生の説教集である「伝道の書」を学んで、私の心は変わったのです。
今までニヒリストだった私は「死」をこの世からの解放と捉え、人間は混沌から生まれ、混沌に帰ると本気で考えていました。
しかし、「伝道の書」を読むと、確かにこの世は「空の空」で虚しいものだけれども、その虚しさの先にあるもの、私が今まで読んできた本のニヒリストたちが指差しているのはイエス様という光であったこと、「死」の先には天国という希望があり、ずっとイエス様や天国にいる聖徒の方々と共にいられることを知って、驚きました。

このイエス・キリストという「光」が見えた時、私はイエス様を信じようと思いました。

イエス様のことを「もっと知りたい」から、聖書をいっぱい読み、礼拝に休むことなく参加し続け、説教と聖餐式に毎週与り、祈りと学びを深めていくことで、わたしはもうイエス様から離れられなくなりました。

「イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」 シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。」
‭‭マタイによる福音書‬ ‭16:15-16‬ ‭新共同訳‬‬
https://bible.com/bible/1819/mat.16.15-16.新共同訳
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ですから、私はイエス様に対して蛙化現象のような状態になりましたが、イエス様のことを知りたいと思って、ずっと学んできました。
今でも、愛されていることが分からなくなることはあります。
でも、イエス様が私を愛されているのは不動の事実です。日々を過ごしていく中で、常にそこに留まり続けていきたいです。

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