第18.5話 裸婦【桜目線】

「寿先生、お先です」
「お疲れさま」

 私より若い教員が帰宅のあいさつをして職員室を出てゆく。校外学習を終え、机に積まれたスケッチブックの中から経世さまが描いた伊集院の横顔のスケッチを選んでじっと眺めている。

 多くの教員が捌けたところで特大サイズのコピーも可能なコピー機でスケッチを印刷していた。

 伊集院梨衣……。

 いろんな男子のまえで愛想を振りまいて、気を引く態度を取る。

 あいつはまだまだ子どもなんだろう。

 多くの男の注目を集め、まんべんなくもてるより私の愛する者から深く深く愛されたい。

 突然海に投げだされ、ゆっくりと海の深い底へ沈んでゆくのにただ身を任せ、次第に息もできなくなるほどの経世さまの溺愛を求めて止まない。

 なのに伊集院が経世さまの深い愛の魅力に気づいてしまった。

 伊集院を描いたスケッチを見ると経世さまの気持ちが徐々に彼女に傾いていっているのが、分かってしまう。

 高校生程度の子どもに経世さまの魅力なんて分からないだろうと油断してしまった形だ。

 捨てられたくなんかない。

 経世さまから愛されない先行きを想像しただけで死にたくなってしまう。

 私だけになった職員室で、うちのクラスの生徒たちのスケッチをひとつひとつ確認しているとやはり経世さまの描写力は他の生徒より抜けていた。

 それなりに生徒たちはまじめに取り組んでいるようだが、他にいいのが見当たらないと思っていると二つのスケッチが目に止まる。

 決して上手くはない。

 だが目を引き、実に面白い。

 二つのスケッチのタッチはとてもよく似ていた。ひとつは伊集院のもの。もうひとつは玉田のものだったが、すぐに分かってしまう。玉田が描いたものじゃないということを。

 いけないっ!

 私は慌てて、ティッシュで玉田名義のスケッチブックに落ちた滴を拭き取っていた。

【早く結婚しろ】

 おかしな私の顔とちぐはぐな手足……スケッチの題名を見て、こぼれ落ちる涙。

 俺のことを忘れて、いい人を見つけてほしい。

 俺は伊集院に惹かれている。

 どちらとも取れる意味に感情がぐちゃぐちゃに乱れて、止まらない涙にスケッチブックをブックエンドに並べた資料の上に退避させた。

 ――――ううっ……ううっ……。

 お慕《した》いするのは経世さまただおひとりなのに。

 
 翌日、玉田を出汁《だし》に経世さまを生徒指導室に呼び出していた。

 校内の密室で二人きりになれたことで胸がときめいて、鼓動は早くなってしまってる。

 だけど私はいまにもあふれ出てしまいそうな経世さまへの恋慕を抑え、あくまで教師の仮面をかぶり、経世さまの前で演じていた。

「これは経世が描いたんだろう?」
「やっぱり分かっちゃうか」

 ――――ピクンッ!

 そのとき私と経世さまの二人きりのひとときを邪魔する者の気配を感じた。

 どうして感づいてしまうのか自分でも分からないが、立ち上がり生徒指導室のドアを開けて、外を覗くとやはり伊集院の姿があった。

 恋敵。

 私と経世さまの恋路を邪魔をしてくる。

 伊集院のことをそのように認識していた。

 心配そうに胸の前で手を合わせている彼女に教師という立場を存分に利用して、追い払う。

「伊集院、経世が心配なのは分かる。だがまだまだ時間がかかる。今日のところは帰れ」
「はい……」

 経世さまを想い寂しいそうに生徒指導室の中を必死で覗き込むようにしながらも、素直に私の指導に応じる伊集院。

 汚い手段だってことは重々分かっている。けど経世さまを取られたくない想いがそうさせてしまっていた。

 けれども私の企みを見透かしたかのように経世さまは感づかれてしまい、

「伊集院! ありがとう。でも心配すんな。桜ちゃんは話が分かるタイプだから」
「うん……ごめんね、先に帰ってる」

 廊下を覗いて伊集院を気づかうような言葉をかけられていた。他の女に声をかけることに嫉妬の炎が燃え上がると共に経世さまの優しさを私だけのものにしたくて、たまらなくなる。

 伊集院を帰し、二人きりになったが学校で経世さまを独り占めするには問題があったので……。

「経世には私の家で特別指導が必要なようだ」
「桜ちゃん……」

 表向きは経世さまに普通に下校してもらったが学校から少し離れたコンビニで落ち合い、戸惑う経世さまを半ば強制的に車へと連れ込んでしまっていた。もちろん伊集院への対抗心から。

「乗ってくれ」
「ああ」

 お乗りいただくのも恥ずかしいくらいのぼろぼろの車の助手席に経世さまが乗りこんだ。

 軽バンの薄く安っぽいシートに座るとシートベルトをつけた経世さま。

 身動きの取れない彼を見た瞬間、抑えこんでいた嫉妬と劣情と経世さまへの恋慕があふれ出し、私はシートベルトを解除し、経世さまへと身を乗り出していた。

 ――――ん……。

 経世さまに覆い被さるように口づけをしていた、唇と共に私の想いをまるで押し付けるかのように。互いの唇が重なったとき、嫌なもの、悲しかったことのすべてが忘れられたような気がした。

 リップクリームだけを塗った色気の欠片もない朱色の唇で。

 私は経世さまにだけ見て欲しくて、職場に化粧をしていくことなど稀だ。好きな男性の前でしか紅をさすつもりはない。

「桜ちゃん……こういうのはちょっと……」

 大胆な行動に戸惑いと驚きを隠せない経世さまは私に奪われた唇を指で触れている。

 私は卑怯者だ。

 伊集院を立場を利用して、帰宅させた上に経世さまを逃れられなくしてからの無理やり唇を奪うなんて……。

 卑怯者の誹《そし》りを受けようとも、経世さまへの愛を貫く覚悟が私にはあった。

 私は伊集院に問いたい。

 おまえにその覚悟はあるのか、と。

 経世さまは気まずそうにされているが、車からは降りようとしていない。嫌ならば降りるはず……。

 自分に都合のよい解釈をして車のハンドルを握り、エンジンをかけるとぶーんと音を立てた。コンビニの駐車場から車を走らせると私の胸の高鳴りと同じく鼓動を刻んでいる。

 前走車に合わせ、セカンドからサードとギアをつないで、また戻す。前を注視しながら手足を使い、それをくり返していると私の手元を見ていた経世さまが、視線を私に移して誉めてくれた。

「桜ちゃん、運転上手くなったよね」
「ありがとうございます」

 安いからという理由で買ったマニュアル車の操作にもようやく馴れつつあったが、緊張からか昔のように経世さまに敬語を使って話してしまっていた。

 本来なら経世などと呼び捨てが許されるお方ではないのに、敬語禁止、呼び捨て推奨と命じられてしまい、今のような教師生徒の関係が出来上がってしまっている。

 私は常に経世さまとお呼びしたいのに……。

 車を十五分ほど走らせると築ン十年といった私の住む団地の駐車場についた。親子ほども年の離れていないパンツスーツの女と制服の姿の男子高校生が並んで歩く。

 いまや身長は経世さまのほうが十センチ以上も高いが出会った頃は遥かに私のほうが高かった。

「あがって」
「うん」

 バリアフリーなどではなく、コストを削減するために玄関土間と床の段差は数センチもない狭い玄関に靴を脱いで上がる経世さま。

「お茶でも出すから、先に座っててほしい」
「わかった」

 電気ポットでお湯を沸かしていると衝立で仕切られたキッチンと唯一の部屋の向こうで経世さまの声がした。

「わっ!?」

 あれを見られてしまったのだろう。

 私は淋しい。

 一回りも違う経世さまが好きだ。

 一回りも違う伊集院に嫉妬する。

 どちらも私の生徒だ。

 伊集院にはみんなと平等に接してやりたい。だけど経世さまのことを思うと嫌な感情が湧いてきて、伊集院の成績や接し方にいじわるしてしまそうで、狭量《きょうりょう》な自分が情けなくて仕方ない……。

 それを思い止まらせてくれるのは経世さま、ただお一人。

 お湯が沸き、トレーにポットと二人分のドリップコーヒーとティーセットを用意して持っていくと、また経世さまが驚いた声をあげる。

「うわっ!?」

 それはそうだろう。

「見られてしまいましたか」
「どっちをだよ?」
「両方です」

 私は壁に経世さまが描かれた伊集院の横顔のスケッチをコピーして貼り付け、夥《おびただ》しい数のダーツを投げ込んでいたのだから。

「桜ちゃん……なんて格好してるんだよ!!!」
「察しのよい経世さまなら、お分かりですよね」
「それでも断ると言ったら?」

 嘘偽りのないありのままの私の姿を見た経世さまはエビのように胴体を折りながら後ずさりしていて、かなり狼狽《ろうばい》していた。

「経世さまの想いが私から離れたことを理由に彼女をいじめてしまうかもしれません」
「桜ちゃんはそんな子じゃない」

「盲目になった私は普段の冷静さを欠くことでしょう。そんな私を哀れだと思うなら、わずかでも私に光を注いでください」

 うつむきながら額に手を置き、沈痛の面持ちでしばらく考えこんだ経世さまは頷いた。

「分かった、描くからベッドに座って」
「はい」

 ベッドに座り、軽く膝を立て片手をついて身体をささえ、口紅を引くヌードの私。

 かつての私ならここまで破廉恥なことはできなかった。伊集院梨衣という存在が、アクセルとブレーキを踏み間違えたように私の経世さまに対する恋情を急激に加速させている。

 経世さまに乳房も陰毛も大事なところもすべて晒して、私の肌は自分でも分かるくらい紅潮していた。経世さまも緊張しているのか、なんども喉を鳴らし、息を飲んでいるのが見て取れた。

 私はヌードデッサンのモデルなんかしたことがないので、愛する経世さまに真剣な眼差しで裸体を晒しているだけで、彼への愛があふれてシーツを濡らしている。

 ――――ごほっ、ごほっ。

 それに気づいたのか経世さまはブラックのコーヒーを一気に飲み干し、咳き込んでしまった。

「経世さまっ!」

 私はポーズを取るのを止め、彼の下に駆け寄り背中をさする。自分の匂いは分かりづらいが狭い部屋の中は、すでに私が醸しだすメスの匂いで満ち満ちている頃だろう。

 胡座をかいて座る経世さまのズボンは一部だけがしっかりと膨らんでいることに安堵を覚えた。私のような年増でもまだ勃起してくださっていることに……。

 スケッチに目をやると元の私よりも数十倍もよく描かれた裸婦の姿があった。

「これが私……?」
「納得いかない? なら描き直すけど」

 少し咳きみながら、答えた経世さまの自己評価の低さに私は悲しくなる。

「私は納得がいきません! 私のことを想い、優しく、才能にあふれた経世さまが世に出ることなく、ただ埋もれていくことを見過ごすなんて!」

「いいんだって。俺は俺の納得いかないことに異議を唱えただけだから。桜ちゃんは何ひとつ悪いところなんてない」

「私は深い罪を犯しました。ご当主さまの命令で私を抱くことを拒んだ経世さまに女装をさせるという大罪を!」

「ああ、あれクソ親父の命令だったんだね。安心した、やっぱり桜ちゃんはいい子だよ。それにしてもホント、あいつのやりそうなことだよな。女を抱けない不能は男の格好は相応しくないって」

 ははっと実父をあざ笑う経世さまのなかに反骨心が衰えていないことを確認でき、うれしく思う。

「大丈夫です! 内緒ですがゴスロリの女装をした経世さまはどの女の子よりもかわいかったですから」
「桜ちゃん……内緒なのに言っちゃダメでしょ」
「しっ、失礼いたしましたぁっ!」

 慌てて、経世さまに頭を下げると彼にお仕えしたてのドジだった私を思わず思い出す。

「ううん、完璧な桜ちゃんもいいけど、そういうドジなところもスゴくかわいい」
「そ、そそ、そんな……」

 私は裸であることも忘れ、両手を経世さまの前で振って否定していた。

「玉田は桜ちゃんの感情を露わにさせるのが上手いよね」

 経世さまはそうおっしゃるが玉田なんか比べ物にならないくらい私は心も身体も経世さまの前ではすべて露わにされてしまう。

「ぜんぶ知っています。経世さまが私のストレスを解消させるために、浜田たちにいいように使われていたあの子をあえて助けたことを」

「うん、やっぱりムスッとしてる桜ちゃんより喜怒哀楽を出したほうが桜ちゃんはかわいいからさ。いらない配慮だった?」

 私は全力で首を横に振る。

 すると乳房がそれに釣られて、ぷるっ、ぷるっと揺れていた。

「桜ちゃん……エロすぎるって」
「ならいい加減、本能に従ってほしいです。経世さま……もう我慢の限界です」

 座っている経世さまに私は跨がり押し倒すと、彼は下から私に訊ねた。

「桜ちゃん、避妊具《コンドーム》ある?」
「ありません……」
「生徒に妊娠しないように、って指導する立場の桜ちゃんがそんなふしだらじゃ、教師失格だね」
「いまから買いに行ってきます」

「その火照った身体で? いいよ、俺が買ってくるから。そこでちょっと待ってて」

 冷静さを欠いていた私は虚脱してしまい、捉えたはずのす経世さまの身体が私からするりと抜ける。

 風邪を引かないようにと私にブレザーをかけた経世さまは私を待たせ、私の部屋から出ていったあと、戻ってくることはなかった。

 近くのドラッグストアまでは五分もかからないのに……。

 数十分後にスマホがうごめく。

【経世】
《ごめん》
《戻れない》

                 【桜】
                 《はい……》

《俺は桜ちゃんのこと》
《大事だから》

 経世さまの言葉になにも返事できず、ずっと画面を見つめていた。

 卑怯な手段を使った私への罰なのだ、これは。

 私たちのような者がいる日陰をあまねく照らす灯火《ともしび》を独り占めしようとしたことの。

 経世さまが私を描いてくださったスケッチを素肌の胸に抱くと自然に涙がこぼれた。

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K社にニュ○タイプというお子ちゃまも見れちゃう良い子のアニメ雑誌がありまして、過去そちらに四番目の強化人間さんのまさかのヌードポスターの付録があったらしいんですって。

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