社会的動物にとっての逆張り

  古来より、生物は進化をすることで環境に適応していった。進化とは、遺伝子の(おそらく)偶然の変化による、ある個体に起こった身体的あるいは生態的な変化のうち、上手くその時の環境に適応することによってその個体が生き残り、後の世代へとその変化が受け継がれていったものだと考えると、進化の裏には膨大な数の失敗例が存在していたと考えられる。サイズを大きくしすぎてエネルギーが足りなくなったり、毛が生えなくなって寒さに耐えられなくなったりした動物がいたかもしれない。種の保存という観点からみると、進化というのは早ければ早いほど良い打ろう。
  人類が他の動物に対して持っている大きなアドバンテージとして、言葉、特に文字と道具の発明により「後天的な」進化が可能になった、というのがあると思う。通常、自然界ではある個体が得た失敗の経験というのは、その個体やせいぜい個体が所属する群れの中で完結してしまう。ましてや世代間でなにか有益な情報を受け継ぎ続けるのは非常に難しいと思う。一方人類は口伝や本、インターネットなど様々な形で個人の経験というものを種全体に伝えることができる。特に文字は後世まで形として残っていくので、遥か先人の失敗や成功を危険を犯すことなく知ることができる。海鼠やウニは食べられるという情報を、僕たちは実際に試さないでも知ることができる。『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』という諺があるけれど、これは個人と、歴史という多くの人間の過去の集合体では参考にできる経験の絶対数が違うので、歴史の方がためになることが多い、ということだと思う。また、これに道具の製作が加わることで、進化という偶然性が高いものよりも確実に、素早く環境に適応することができるようになっている。例えば、何かの影響を受けて気温がそれまでよりもグッと低くなってしまった環境に適応することを考えると、多くの動物は何世代もかけて体の巨大化、体毛の増加などの変化を起こしていく必要がある。それと比較すると、人間は毛皮を身に付けたりかまくらのようなものを作ることによって、遺伝子の変化を待つまでもなく、その世代のうちに適応していくことが可能であり、これは他の種との生存競争において非常に強みになると思う。
  前置きが長くなったが、人類のこの後天的な適応と逆張りの関係について考えていきたいと思う。まず前提として、今の人類は生存競争に勝利してしまった。もちろん熊やサメなどに殺されてしまう事故は今も起こっているし、病気やウイルスなどに対して完全に対応できるようにはなっているというわけではない。それでも、種としてはほぼほぼ安全な地位まで上り詰めてしまっていると思う(環境問題などは話が逸れるので割愛)。そんな人類がさらに種の安定性を保とうとすると、可能な行動というのは、未だ人類が直面していない新たな脅威に対するものしかない。具体的には遺伝子的、あるいは文化的な多様性を保つことが有効になると思う(これはLGBTや社会的マイノリティーなどについての多様性ではない)。例えば、ほとんどの人類の血液型がA型になった後に、A型の人間がとてもかかりやすい病気が流行ったりすると、血液型に多様性がある場合に比べて人類が受けるダメージは大きくなる。また、牛肉を食べることで人間に感染する寄生虫が熱などに耐性を持ったとすると、牛を食べる文化を持つ社会はそうでない文化よりも存続が危うくなるだろう。こういった事態は、起こるまでは気付きにくく、原因になりうるものは非常に多く存在するので、あらかじめ対策しておくことは非常に難しい。これらに対する最善の対策というのは、人の行動や遺伝子を統一せず多様なまま保つ、ということになると思う。ここで大事になってくるのが逆張りだ。逆張りを日常的にしている人には覚えがあると思うが、誰かに対して、特に世間一般といった広い相手に対して逆張りすると、脳は快感を覚える。これは、逆張った相手が失敗したからとか、こっちが得をしたからというのが原因ではなく、逆張りをしたという事実に対して興奮している。この気持ち悪い習性に理由を与えられるかもしれないのが、上述した多様性の保存だ。人間が大きな集団となって同じ行動をとると、その行動が失敗だったときに人類という種がうけるダメージというのは大きくなる。そこで、あえてその行動に反発する個体が何体か存在することで、人類という種としてのリスクマネージメントができるようになっているんじゃないだろうか。進化を、与えられた環境に対する後追いの変化だとすると、こちらは未知の脅威に対する事前の変化、ということになる。ものすごく極端な話をすると、コロナワクチンに何か重大なミスがあって、それを打ってしまった人間やその子孫たちは寿命がすごく短くなってしまう、という事が起こったとすると(僕は陰謀論者ではないので実際にはそんなことはないと思っているが)、ワクチンを受けないという逆張りをしていた人たちのおかげで人類が存続できる、ということが起きるかもしれない。だから、逆張りとは、未だ来たらざる脅威に対する、人類の存続をかけた生存戦略の一つなのだ。この大義を胸に、今日も僕は自分の一瞬の快感のために逆張りを続ける。


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