ゴハンおごるから。

言われたの思い出した。

ゴハンおごられてもなんでその人と時間を過ごさなきゃならない?
わたし、家で海腹川背しとくか、本読んどく。
あなたとゴハン食べたいって人誘って行けばいいでしょ。
なぜゴハンをおごることが誘引になりうると思ったんだろう。

ゴハンおごりおごられ基準で見ると人は①から⑤に分けられる気がする。

①おごってでも一緒にゴハン食べたい相手
②割り勘ならゴハン一緒に食べたい相手
③おごりなら一緒にゴハン食べてもいい相手
④おごられても一緒にゴハン食べたくない相手
⑤問題外

わたしにとってその人は④で、その人にとってわたしは①ってことだな。

ゴハン一緒に食べる事象が発生するためには別の誘引を探す、もしくは関係性を変える必要があるよなと思った。

わたしは特に関係性を変える必要性を感じていないので、一緒にゴハン食べたきゃオマエ変われを思う。

この人もナチュラルにわたしの意思を無視するんだ。
他人との関わり方において彼は他人にも意思があり、その意思は尊重されるべきってしごく当たり前のことを学んできていないように見える。
教えるのは親の役割だとわたしは考えているので、たまに言うけど、基本的に残念だったな、わたしはキミのお母さんにはなり得ないとほっといてる。

保護猫を自由にさせてくれない人に近寄る保護猫はいない。

婚活とかで問題になってるのは①から⑤が一致しないからなんだろうな。
デートしたきゃ奢れを思う③と割り勘ならの②、それぞれ相手を見て思うことがちがうから、成立しない。
一致しないなら、会うのは双方にとって時間の無駄。

事前の開示をした上で会ってくれる人を探すか、誘引を増やす、自分が変わるのどれかしかない。

婚活って戦場において、自らの道を狭めるおごらない戦術とるのはただのアホだと思った。
投入すべき資源を適時に投入せず、負ける(会えない、二度と会ってもらえない)のはかしこくない。
弾薬がもったいないと言って、戦場でケチるようなもの。
ケチな人はケチでいてくれたほうがアホって見分けついていいかも。
多様性とか言ってアホ遺伝子を残すのは望ましくない、自分の遺伝子を残すべきでないと考えているわたしは思う。


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