2024.6

6月。

最近、よくSNSで見かける、

「いい人すぎるよ展」とか「そういことじゃないんだよ展」に行ってみたい。

なんて思う。

あるあるネタに共感したいわけではなく、

この面白さが分かるのは自分だけだったらなぁ。

っていう、よく分からない感性に浸りたい。

ちなみに、自分の中では、

人生ゲームにて、

前のターンの人のお金の勘定が終わるまで、ルーレットを回すのを待ってくれる人は、

「いい人だなぁ」って思うし、

今話題のMBTI診断、

「MBTI、何?」って聞いた時に、

全てアルファベットで答えられると、

「そういうことじゃないんだよな」って思う。


6月。

共生社会とインクルーシブ教育について論文をまとめる機会があった。

人間は誰しも不完全である。

そんな人間が謳う共生社会もまた不完全であろう。

障がいの有無関わらず、みんな同じ教室で学ぶことだけが、共生やインクルーシブではないと思うし、

「受け入れる」と「合わせる」

なんとなく、意味を履き違えているような気がする。

障がいといっても目に見えるものだけではないし、

虐待や貧困といった目に見えない障がいに苦しむ子どももたくさんいる。

目に見えることは誰にでもできるし、

周りからも評価されやすい。

サッカーワールドカップの日本戦後、

勝敗に関わらず、ゴミ拾いをする日本サポーターの姿に

海外からは賞賛の声が届く。

でも、思う。

この人達、普段はやらんやろなぁ。そういうの。

って。

誰の目がないところでも、しれっとゴミを拾う人も

同じように賞賛されるべきだと思うし、

それが「公正」というものではないだろうか。

「公正」なしに「共生」を謳うのはどこか綺麗事のようか気がする。

知らんけど。

教育の在り方が問われる今、

「共生」を軸に「教育」を考えるのであれば、

子どもにだけフォーカスするのではなく、

現場で動く教員の声をもっと拾ってあげるべきだと思う。

それなしに、綺麗事で推し進めようとするから、

教員だって疲弊するし、

結果、教員不足と騒ぐのだろう。

そんな状態で、共生社会やインクルーシブ教育が成り立つとは思わない。

知らんけど。

6月。

「共生」

どうして、こんな単純な2文字を、

難しい言葉をダラダラと並べて説明するのだろうか。

私がバカだから理解できないのか。

それとも、心が荒んでいるから理解できないのか。

今だによく分からぬまま。

でも、大事なことは「もののけ姫」のアシタカが言っていた。

"分からぬ…。でも共に生きることができる。"

そんな、アシタカも浮気をするのだから、

人間、不完全で仕方ない。


6月。

レポートの提出が遅れ、教授に謝罪のメールを送る羽目になった最終日。

大学に入学してから、やっと3ヶ月が過ぎた。
毎日忙しかったなぁ。

大学に入学してから、もう3ヶ月が過ぎた。
毎日忙しかったなぁ。

今日は、前者の気分。

きっと明日は、後者の気分。

そんな、6月。

今、私が求めているのは、

ほんわり甘いチョコレートと睡眠。



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