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改めて想う、家族のこと

息子が大学進学で上京してから3年が過ぎた。子育てを終え過去を振り返ることが多くなり、私は次第に自分自身の子供時代に思いを馳せるようになっていった。

母は楽しくてとても思いやりがある人で、私は母のことが大好きだった。友人に「綺麗なお母さんだね」と言われる度、誇らしい気持ちにもなった。父は頑固で気が短く怒りっぽい人だったが、一方で姉と私の教育や習い事には熱心で、旅行にもたくさん連れて行ってくれた。

5才上の姉は父に似て負けず嫌いな性格で、それ故父とぶつかる事が度々あった。
私は子供の頃から争い事が苦手だったので、特に反抗期もなく両親にとってはあまり手のかからない子だったと思う。

姉が結婚し女の子を出産した時、両親はとても喜んだ。娘しか育てていない両親は初孫も女の子を望んでいたので、喜びもひとしおだったに違いない。
その2年後私は男の子を出産する。お腹の子が男の子だと分かった時、正直私は
戸惑った。周りの人達から「女の子のお母さんって感じがする」と言われていて、私自身もなんとなくそう思っていたから。兄弟のいない自分に男の子をきちんと育てられるのだろうか。そんな不安を払拭できないまま出産を迎えた。

里帰り出産をしたので、そのまま一ヶ月近く実家にお世話になる。
ある時夜泣きがひどい息子を抱っこしていたら、通りかかった父が「男の子は手が掛かるというけど本当だな。これから苦労するね。」と私に言った。
元々口が悪い父は何気なく言ったのかもしれないが、産後の睡眠不足で疲れ切っていた私は胸をえぐられる思いがした。深夜に息子を抱きながら声を押し殺して泣いた。ひとしきり泣いて、私は心に誓った。“絶対にこの子を立派に育ててみせる。将来「この子の母親で私は幸せだった」と言えるようになってみせる″

息子の幼少期、私たち一家は当時研究者だった夫の仕事でアメリカで3年程暮らした。アメリカ人は自分の子供をよく褒める。子供の頭を撫でながら「この子は優しくていい子なの。自慢の子なの。」と誇らしげに言う姿は好感が持てた。

子供の頃から人の発言に敏感だった私は、言葉の大切さを身をもって知っているので、息子を否定するような事は決して言わなかった。息子の前では誰かのことを悪く言うことも控えた。と言うとなんだか立派な人みたいに聞こえるが、愚痴や不満は息子が寝た後しっかり夫に聞いてもらっていた。(時々吐き出すことでバランスを取る私。面倒がらず聞いてくれた夫に感謝)

夫婦喧嘩は絶対に息子に見せたくなかったので、夫婦間で雲行きが怪しくなると私は反論せずにサラッと話題を変えた。しかし残念ながら私はそれほど心が広くない。しばらく経っても納得いかないと感じた時は、メールで自分の考えを丁寧な文体で夫に伝えた。ここで感情的になると帰宅後喧嘩になりかねないので、あくまでも丁寧に。(どうやら私は溜めこめておけないらしい。少々長いメールに度々つきあってくれた夫に再び感謝)

息子は4、5才の頃から知的好奇心旺盛な子だった。一日に何度も、なんで?どうして?を繰り返す。ある時テレビで、松方弘樹さんが巨大なマグロを釣ったと報じていた。息子は途中からテレビを観て、アナウンサーが″松方マグロ″と連呼するのを聞いた。すると図鑑で何やら調べ始める。そして「ママ、マツカタマグロっていうマグロは図鑑に載ってないよ」と言った。載ってたらビックリ!
私は可笑しくて笑いながら説明してあげた。

かつて男の子の育児に不安を抱えていた自分は何処へやら、私は育児を楽しんでいた。息子のことが心から愛おしくて、ちょっとしたことでもよく褒め、毎日何度もハグをして「大好きだよ」と伝えた。

幼稚園の頃には、私が用意したことわざ•四字熟語カードや、国語•算数ドリルに夢中になった。息子の“もっと知りたい″という気持ちに応えるべく、私は次々と教材を用意し教えていく。息子は中学、高校と進んでも、学ぶことへの熱意は冷めず勉強に没頭した。そしていつしか、息子は友人から″仏の心と鋼の精神の持ち主″と言われるようになった。

息子は現在東京大学医学部に在籍している。今年も私の誕生日と母の日に、息子からメッセージが届いた。毎年誕生日と母の日が接近しているので、まとめてもいいのに(私ならそうしてしまう)それぞれの日に送ってきてくれるのが律儀な息子らしい。夏休みの帰省が待ち遠しい!何を作ろう、何処へ行こうと心躍らせる気の早い私。

今月、両親は長年住み慣れた一軒家からマンションへ引っ越すことになった。
昨年母が膝の手術をして、階段の上り下りが大変になったから。高齢の両親が郊外の一軒家で暮らしているのは不安だったので、私はかなり前からマンションへの引っ越しを勧めていた。母自身もそう望んでいたのだが、父は頑として一軒家から離れようとしなかった。

ところが、母の手術がきっかけとなりあっさり承諾してくれた。そこから一家総出でマンション探しが始まった。最終的に姉が、何かの時にすぐ駆けつけられるようにと、自分の家の近くのマンションを選んでくれた。

姉はよく気が利き、情深い人なので姉とのいい思い出はたくさんある。一方でその気の強さゆえに、私は大人になっても若干の苦手意識があったのは否めない。しかし最近は、姉の存在をありがたいと感じている。親が高齢になると子供は手助けしなくてはいけないことが増える。昨年の母の入院中は、姉と私は毎日どちらかが行けるようにスケジュールを組み、時間に余裕のある私はリハビリにも付き添った。姉とは「これからも姉妹で協力して両親を支えていこうね」と話している。

いつか必ず両親とお別れの時が来る。今自分が出来る精一杯の事を両親にしていきたい。そして私はふと思った。父にこう言ってみようかな。
「息子の子育て中、苦労らしい苦労なんかしてないよ。それどころか、楽しい経験をいっぱいさせてもらって、たくさんの喜びを与えてもらった。この子の母親で私は幸せだったよ。」


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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