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ゲームの中の愛-「Life is Strange」

多少ゲーム好きな人であれば、プレイしたことはなくともパケ画とタイトルは何となく目にしたり聞いたりしたことが必ずあるであろう、Don’t nod社開発の超有名時間巻き戻し系ゲームタイトル、「Life is Srange」。
バタフライ・エフェクトやカオス理論などの過去の有名な映画でも扱われた様々なSFテーマを盛り込みつつ、ある青春の一幕を謎の失踪事件と絡めながら描いた言わずと知れた名作である。

つい最近またこのゲームをプレイする機会があり、いろいろと思うことがあったので自己満足的に綴っていこうと思う。

未プレイの方は、本記事は読まない方がより作品を楽しめると思いますので、一応。


(画像は全部拾い画です。申し訳ない)


あらすじ


舞台はオレゴン州にある架空の田舎町、アルカディア・ベイ。
主人公はそこに建つ、芸術系の高校ブラックウェル・アカデミーに入学するために5年振りに懐かしいふるさとに帰ってきた、
写真をこよなく愛す18歳の女子高生マックス(マクシーン)・コールフィールド。(18歳で高校生というアメリカのよくわからない学年制)

内向的で自分に自信が持てず(写真の才能は先生も認めるほど確かにあるようだが)、おしゃれにも疎く、学年のカースト上位の女子たちから陰険な態度を取られたり、廊下を出たらそそくさとイヤホンを着けて周囲の雑音をシャットアウトするような典型的な隠キャオタク女子である。


主人公マックス
内気な少女。趣味は写真を撮ること。
(私もゲームプレイ当初はあまりにもその隠キャ特有の思考回路のリアルっぷりに思わず世界観よりも引き込まれてしまい、当時の学生だった頃の暗黒時代がフラッシュバックして一気にマックスに感情移入したものである笑)

そんな彼女はある日女子トイレで綺麗な青い蝶(多分モルフォ蝶?)がトイレのバケツに止まっているのを見つけ、それを写真に収める。

トイレのバケツに止まる青い蝶。
作品の象徴的存在である。
SFに明るい方なら、何を指しているかすぐに勘づかれたと思う。というかトイレのバケツなんて絵になるのだろうか。


蝶は飛び立つが、すぐにその後、なぜか女子トイレに男子がただならぬ様子で入り込んでくる。またそのすぐ後に、パンク系のファッショの女子もトイレに駆け込んできて、その男子に詰め寄る。マックスは陰で見ているしかなかった。


彼、街を牛耳る資産家のプレスコット家の御曹司、ネイサン・プレスコットが不良のような見た目の女子と口論になった末、ついに彼女を銃で殺してしまう。

「だめ!」


思わず手を伸ばした時、時空が歪み、気がついた時にはさっき受けていた授業と同じ授業を受けており、彼女は自分が時間を戻せる能力を手に入れたことを悟る。

それを利用し、銃で撃たれた先ほどの女の子を何とか助けることができたが、後にその女の子は五年間疎遠になっていた、マックスのかつての幼馴染で親友の、クロエ・プライスであったことがわかる。


クロエ
マックスのかつての親友。完全にヤンキー。
あまりの様変わりのしように、マックスも最初トイレでは彼女だと気がつけなかった

クロエは元々優秀なブラックウェルの生徒であったが、5年前に最愛の父が交通事故死し、ちょうど同じタイミングでマックスがシアトルに引っ越し、母の再建の相手も合わず、学校も素行不良で退学になり、完全に孤独になってしまいグレきってしまっていた。

そんな時、クロエのそばにいてくれた唯一の親友、華やかで学校の人気者、レイチェル・アンバーという存在。

その彼女が数ヶ月前から行方不明になっており、心の拠り所であった彼女をクロエは必死に探していたのだった。(校内や街に大量にこのレイチェルの捜索願のビラが貼られているが、クロエが貼ったもの)

クロエと一緒に、その行方不明のレイチェルを探していくというのがこの作品の主なストーリーとなる。


作品の魅力

感情移入させる学校や環境の描写

私は初めてプレイした時、もっともこの観点について強く惹かれた。

完全に私情を挟むのだが、初見プレイ時の私は現状にも色々と悩みを抱えており(笑)、このゲーム特有の嫌な同級生の人間のリアルさというか、学園内のカーストというか、「見る」ボタンでフォーカスするごとに呟かれるマックスの心の中の独り言(モノローグ)とかが織りなす、ゲームの中のリアルに存在する環境というものの中に、思わず自分もマックスとして立ちすくんでいるような気分にさせられ、まるでここが本当に存在する場所なのではないかと錯覚しながらプレイするほどだった。(大袈裟かもしれませんが、マジです)


カースト上位のお嬢様、ビクトリア・チェイス
内向的な者には高圧的な態度を取り、いつも腰巾着を従わせている。いかにもなアメリカン陽キャで構成されたボルテックス・クラブに所属する。プロの写真家のイケメンの先生、マーク・ジェファソンが大好き。マックスにも冷たく当たり、第一印象は完全に最悪だが、実は…

一応言っておくと、このゲームは決してグラフィックのクオリティは凄くはない。(まあこういうアニメというか油絵タッチの温かみのある絵に高いグラのクオリティも必要ないと思うが)

しかし、決してリアルでも緻密でもないグラフィックなのに、環境の実在感がヤバい。


主人公マックスが通うブラックウェル・アカデミー
洋ゲー特有の粘土っぽいグラ
だが、雰囲気や空気感、光の感じは充分伝わる
プレイヤーはマックスとして、あらゆる人や物にインタラクティブすることで状況や人間関係を理解することができる

当時の自分の精神状態もあったと思うが、このポップなタッチの中繰り広げられるリアルでドロドロした人間模様、現実のように裏表のある人間達、暗い田舎町に潜む闇などが謎に迫真性を持って迫ってくるのである。

おそらく、こういうゲームや映画でも何でもいいが、娯楽作品をプロット重視で楽しむ人は「あーはいはいそういうことがあったのね」と作品内で描かれることはあくまでゲームを進めるための”情報”としか受け取らないかもしれないが、少なくとも私にとってはただそれだけの意味を持つ作品ではなかった。(これについてはまた後で詳しく著述することにしよう)


そして、何と言っても音楽が最高。


劇中挟まれる曲のタイミングは本当に完璧だと思う。バスの中、クロエと約束したダイナーへ向かうマックスのイヤホンから流れる音楽… 物語が佳境に迫ったとき、悲壮感と共にひとつの青春の終わりを告げるかのようなBGM……
Life is Strange はまさに音楽あってこそ成功したゲームだと思う。


ファンなら何も言わなくともムービーの魅力は分かってくれるだろう



物語の核とは何だったのか


ストーリーの細かい部分に全て触れながら書くと、それこそ膨大なページになってしまうので大まかな部分については周知の事実として話を進めていきます。


まず、このゲームは五つのチャプターに別れており、それぞれ一チャプターで一日、という構成になっている。
1日目は、マックスがブラックウェルに編入するため思い出の街アルカディア・ベイに戻ってきた時ではない。
マックスの日記から、ブラックウェルの寮で日記を初めて書いた日付が9/2で、物語が始まった時の日付(エピソード1)は10/7である。
(つまりマックスはアルカディアに着いてから一ヶ月もクロエに会いにいっていなかったことになる(おい))

本作の主人公マックスで、マックスが「サナギ」を破るような話として書かれていながら、なぜアルカディア・ベイに着いてから話が始まらないのか。なぜ日記でそこの部分をさらっと語り終わらせてしまうのか。

そうした方がお話が綺麗にまとまるし、何しろエピソード配信だから大事な部分意外の描写なんて無駄でいらないでしょと言われたらその通りでしかないのですが、私はどうしてもここの部分が引っかかったので自分なりの解釈をまとめていきたいと思います。


弱そうで強いマックス


プレイヤー(私含め)は、最初こそ操作キャラであるマックスに深く感情移入する。
なぜなら、私たち人間が誰でも感じるような劣等感、自信のなさ、引っ込み思案、そして「イケてる」とは到底言い難いルックス。(顔自体は整ってる)

マックスは、作品内のいろんな物や人、落書きを見て色々心の中でツッコミを入れる。私たちも普段そうするように。時々おとなしい外見とは裏腹に毒を吐いたりするが笑
そのモノローグに、私たちプレイヤーは共感したり、面白がったりしながら、マックスと一心同体に、ゲームの中で起こることに対処していくのである。
しかし、時を巻き戻せる力を手に入れたからか、不良でアクティブなクロエと共に行動するようになったからか、理由はさまざまだが、とにかくマックスは作中内で結構印象が変わる。(クロエもそうだが、クロエの印象は割とシナリオの計画通りに変化していっている気がする)


途中途中から、私たちプレイヤーは、
「あれ?この陰サブカルオタクっぽい自撮り大好き変わり者jkマックスさんってメンタル鋼すぎない?」と思う機会が増えてくるのである。

すぐ激情的になるクロエに比べ、常に冷静沈着としていてクロエのストッパーの任務を遂行する。

(ヤクの売人フランクの食べている料理をダイナーの床にぶちまけるシーンには思わず笑うしかなかった。肝っ玉座りすぎだろ…)

部屋にネイサンが勝手に入り込んできて壁に落書きをして荒らされた時も淡々と対処し、

ネイサンの部屋を調べなくてはいけない時も躊躇なく寮の廊下に設置してあった消化器でドアをぶん殴って破壊して侵入する。


怖すぎる笑

そう、マックスは見た目こそ地味で普通だが、
本当の意味で普通の子ではないのである。
(ジェファソン先生の審美眼は正しかった)

私たちは最初こそ、マックスを親しみやすい、気弱でおどおどした人間らしいキャラクターだと見るが、本来の彼女は引っ込み思案+内気(内弁慶?)なだけで、決して精神的に脆かったり、弱いところは無い。同じく彼女とカースト的に似た位置にいるケイトがあそこまで追い詰められていることを考えると、マックスとケイトは対比的なキャラなのかもしれないと考えることもできる。
(ただ彼女の抱えている問題は、環境や心理的に一歩踏み出す勇気がないということだけ、とも見れなくもない。)

まさにスーパーマックスの名がふさわしいキャラクターで、主人公にぴったりの素質を持っていると言えるが、彼女は元々成熟しており(外伝のfarewellの時点で落ち着いてる)、なおかつしっかりと自己を立たせていられるマックスが、ただあと一歩踏み出せるようになるまでの物語をLife is Strange が本来最終的に描きたかったこととは私はどうにも思えなかった。

私たち現実の人間のプレイヤーは、社会的なカーストでいう意味だったりとか、容姿とか表面的なことだけで言うならば彼女に似ているところがある人もいるかもしれないが、内面の強さまで共感出来る人が果たして本当にいるのかどうかは謎である。

私たち、現実の人間のプレイヤーはマックスほど自分を貫けないし、ここぞというときで意思を通すことが絶対できるかと言われて「できます」と即答できる自信もない。(私だけかもしれないが)

そう言った意味でも、マックスというキャラクターは普通の女の子を想定して設定されているとしても、決して彼女自身は普通のそこらにいるような人間ではないといえるだろう。(ジェファソン先生の審美眼は正しかt)

そういう意味で、私は物語を進めるにつれて当初のマックスからプレイヤーとして乖離していく感覚を覚えていた。


クロエの存在


作品を通じて、マックスとともに重要なキャラがいる。

本作品のマックスの相棒兼、幼馴染兼、親友で
お騒がせなトラブルメーカーの不良少女、クロエ。


直情型で沸点が低い。マックスより一歳年上。
ダイナーで働くママの新しい相手、ブラックウェルの警備員のデイビッド・マドセン(義父)とは険悪な仲。

ブラックウェルでマックスと(感動の)再会を果たすが、5年間何の連絡も無かったマックスにはご立腹の様子。マックスが自殺しそうな友達ケイトの連絡を優先しただけでブチギレたり、初見のみんなの感想は8割方「何じゃこいつは」だろう。

実は彼女、シリーズを通して描かれるごとに、すぐキレるやべーやつ →     クロエ可哀想、同情してしまう、何でマックスは5年も連絡してやらなかったんだ(憤怒) という気持ちに変わっていくのだが、(登場人物が二元論で語れないのもこのゲームの醍醐味)
最初のころなんてプレイヤーは彼女のバックボーンなんぞ詳しく知るはずもなく、ただただいい子なマックスがハッパキメてるDQNに振り回されてる構図にしか映らない。


銃を振り回して流れ弾に当たって死にかけた後、(マックスいなかったら死んでた)線路で寝転んでたら今度はブーツが抜けなくなって大パニックに。この時は問題児のトラブルメーカーなやっちゃなとしか思いませんが…

何度も無鉄砲な(というかアホっぽい)彼女をまるで介護するかのようなプレイをマックス(プレイヤー)はさせられ、クロエの好き嫌いは人によっては真っ二つに別れるでしょう。


しかし、ムービーでところどころ見せる、子供っぽくも心根は優しいところなどが魅力的でもある。(マックスも日記で見た目は変わったけど昔のままのクロエだという旨の発言をしていた)

私は彼女のビジュアル的には全然好きだったのだが、タバコをマックスに擦ったりするところはさすがに嫌な人は多いと思う。(人それぞれですね)

見た目はカッコいい


が…彼女にしかできないことを、引っ込み思案なマックスにもたくさん体験させてくれるのです。


マックスの能力が分かってからは、ハイテンションで遊びに誘い、レイチェル捜索のため夜の学校に忍び込んだり、危ないことを色々しでかし、何度も死の危険に自身とマックスを晒す。

しかし、彼女の存在こそが、マックスが最終的に成長できた大きな要因だと言っても過言ではない。

そして、ハードな見た目に似合わず、時折見せる心の弱さや(環境が大きいと思うけど)、抗うつ剤の使用、精神不安定な様子が、常時安定的なマックス(プレイヤー)からすると非常に危なっかしく爆弾のように見え、そういう意味では彼女も普通ではない。

なんせ彼女はすでにブラックウェルを退学しており(外伝のbefore the stormで語られる)、筋金入りのプーで、陰キャのマックスとは対照的な存在である。


それゆえかわからないが、同じブラックウェルに通うケイトやウォーレン、ビクトリアたちと何か違う風な存在で、現実的でない感じをプレイ中に強く感じたのは私だけだろうか。


プレイヤーは学生のマックスとして、アメリカの学校の生活を楽しむことができる。寮の中を歩き回りどんな人がいるのかを見たり、張り紙や落書きを眺めたりするだけでも楽しい。
学生のマックスと、同じく学生のウォーレンやケイトなどの、環境を同じにした毎日同じ顔ぶれがいる組織、学校の先生たち、学内の風景など、それらの全ては同じ次元の軸で起こっていることであり、それ自体が一つの世界として完成されている。

これは学校に通っているという環境や時期特有の条件が作り出す、学生の間だけの特殊な状況だと思う。(その時期には気にも留めないが)


他人同士の皆が同じ環境で過ごすという不思議

プレイヤーはそういう状況の中、学生としてマックスを操作し、学生の生活をゲームの中で擬似体験し、あたかも自分自身ブラックウェルで生活して授業を受けているような、さっき言ったようにゲームの中のリアルに取り込まれる。


そんな中、ゲームではマックスのSMSにたくさんの人から連絡が入ってくる(マックスってリア充だよね)

マックスに気があるらしい、猿の惑星に執拗に誘うウォーレン、寄り添ってくれてありがとうと感謝のメールをしてくる(いい子…)ケイト、ママやパパ、ジョイスおばさん、そして、当たり前だが、
クロエからも。


なぜか絵文字嫌いなクロエ

5年離れていたとはいえ、2人は親友である。それでいて、なぜクロエだけ、マックスの周りの世界のたくさんの人々から少し浮いたような印象を受けたのだろうか。

一つに、彼女がすでに退学しているという設定。
なぜ開発は、クロエとマックスを同じ学校に通わせなかったのか。(マックスも一緒に学校いけてたらよかったのにと言っていた) 
ウォーレンやケイト、ビクトリアたちとなぜ同じ世界線に彼女を配置しなかったのか。


そこに私は開発の意図的なキャラ付けというか、トリックを見る。


クロエのいでたち、特に青い色に染めたトレードマークの髪の毛とパンクルックのスタイルは、どう見てもマックスの周りの子たちとは違うし、学校に入るとクロエは少し浮いて見える。


それと、マックスを冒険に連れ出す存在が、学校という日常的で普遍的な環境の外にいて、そこから話しかけているということ。

マックスというキャラクターに入り込んだプレイヤーに、SMSが入る。
多くは、学校の友達や、口うるさい親とかからの日常的な会話。宿題どうした?とか、今度遊びに行かない?とか、お茶でもしない?この前はありがとう、……………

そんな中、もうすでに退学した、不良の幼馴染の親友から連絡が入る。会話は、5年間のギクシャクをも超えたような、かつての仲良しで楽しかった、悲しみも苦しみも知らなかった頃と同じようなくだらないこと。だが、他の同級生の子たちと連絡するのとは何かが違うことをプレイヤーは感じ取る。


それは、果たして何に起因するのか。
何のせいでそう感じるのか、プレイヤーははっきりとした理由を掴むことができない。


それは、彼女だけすでに退学していて、私が学校へ行っている間にも彼女はぷらぷらしてて、彼女自身が周りの子と違う状況だからそう感じるのだろうか?

彼女の特異な、悲劇の多い人生のせいだろうか?

それとも、幼少期からの揺らぐことのない強い友情の関係性がそう感じさせるのか?


それとも、彼女の特徴的な、あの時の蝶と同じ色の髪色のせいだろうか?


いずれにせよ、クロエはこのマックスを取り巻く環境に混ざり合って属しているようには感じられない。(本人にとっては違うかもしれないが)
マックスの周りの現実世界を、まるで影のようにフラフラ歩き回る。そして、彼女の存在とマックスの周りの世界との関係はそのまま、



この物語の最終的な結末と、彼女の運命を暗示しているように見える。



真の主人公


先ほど、マックスは普通の子じゃないというようなことを書いたが、意外にもネタっぽいジェファソンの評価に真理が隠されているような気がする。

暗室でマックスが捕えられている際、ジェファソンが発した、クロエに対する総評。


口が臭い


「あの手のパンク系の子はどこにでもいる」

見た目は地味っぽいマックスはベタ褒めして、
見た目は(アルカディアの中では)個性的なクロエは
凡庸だとする彼の意見。(変態の発言なんで全部鵜呑みにしちゃいけません)


しかし、これには一理あるような気がしなくもない。確かにマックスは年齢の割に大人びており、内面世界はどのブラックウェルの子よりも独自なものを持っている。

それに比べクロエは、年齢もマックスより一歳上なのにも関わらず、幼稚な発言や言動が多く、内面的にもかなり脆く弱い。そういう意味では、現実世界の私たちにより近いキャラといえばクロエの方なのかもしれない。

お気づきの方も多いことだと思うが、作品内で特徴的なシーンがある。マックスとクロエが廃品置き場で銃を使ったビン射撃するシーン。

クロエはマックスにやってみろというが、マックスはいいよといい、クロエは「お子ちゃまだな」とマックスを笑う。
クロエに対する世界の皮肉である。

ほんとにおこちゃまなのはクロエ

要するに、どう見てもマックスよりクロエの方が成長する(しなきゃいけない)ポイントが多く描かれているのである。


やや引っ込み思案で内気で自己評価低めだが、才能や温かい家庭環境にも恵まれ、友達も全くいないわけではなく、慕ってくれる人もいて、なおかつ芯も強く、自分の世界やスタイルをしっかりと守っているマックス。

勝ち気で口達者、活発で外向的なクロエだが、何よりも愛する父親を事故で亡くし、失意の中親友も遠い土地に引っ越し、母親は寂しさを紛らわすために2年足らずで新しい男を家に入れ、家庭の経済状況も厳しく、唯一の新しい友人はさっさと自分からいなくなり、親友は連絡にもまともに答えず、情緒不安定でメンヘラ気味、マックスが助けなかったら死にまくり、パラレルワールドではなんと半身不随…

と、書いてて悲しくなったほど、マックスよりクロエの方が圧倒的に可哀想だし恵まれてない。


だから、元々大人で、元々恵まれているマックスの一歩を開発は書こうとしたのではないのだ。(もしそうだとしたら、クロエに起きていることとマックスの成長の比率が合ってないような気がする)


それが、物語がマックスがアルカディアに戻ってすぐに始まるのではなく、マックスがクロエに再会してからの5日間から始まらなくてはならない理由だと思う。



開発は、マックスという少女の冒険にスポットライトを当てながら、その影に映し出されるもう1人の少女の姿を描き出している。




それは、アルカディアに戻ってきた、不安は多いが平安で平凡なマックスの日常に、非日常という形をとって、まるで幻影のように思い出を作り出し、そしてプレイヤーの選択によっては、マックスただ1人に見える幻影として、5日間の思い出を残し去っていく。


用務員のサミュエルの哲学に代表されるように、不可思議で奇妙なことが多々起きる田舎町アルカディア・ベイ。



マックスを導いた鹿の幻影が、彼女達2人が真実にたどり着いたのを確認すると、安心したように頷いて消えていったように、この物語はクロエの人生の、鎮魂の物語なのかもしれない。


そしてそれは、アルカディア・ベイの不思議な力を持ってしてマックスに力を与え、わずかな間だけでも奇跡を起こすことを許した。



誰のために作られたゲームか


あんまりゲームの間口を狭めるようなことは書きたくないが、これはティーンが主人公のゲームではあるがティーン向けのゲームでは無いと思うのだ。

もしかしたら、現実に苦悩が多いティーン向けの作品なのかもしれないが。少なくとも、ボルテックス・クラブのような楽しい現実を謳歌してる人たちへ向けたゲームではないことは明らかだろう。

何しろ、ゲーム最序盤から現実のイヤ〜な部分をこれでもかというぐらい摂取させられるのである。(さすがフランス産(?))

楽しい現実を送っている人からしたら、そんな話聞きたくもないし、見たくも、ましてやわざわざお金を払ってプレイもしたくないだろう。私も自分がハッピーな時はあんまりネガティブなこと聞きたくないんで分かります。


しかし、現実上手くいってない人間が、こういった悲劇によってカタルシスを得、辛さや喪失感と共に、一種の癒しを得ることもまた事実なのである。


現に当時の私は、まさにそんな状態だったから、このゲームの常にエモーショナルな音楽と映像とともに流れる「これから青春終わりますよ〜終わりますよ〜」と言わんばかりの先に未来の見えない雰囲気に、胸が詰まって苦しくなりながらも自傷的なプレイをやめられず、とうとう最後までやり終え、その後はしばらく喪失感でまともに色んなことができなかった。(ゲームって怖い)


「誰のために」なんて、考えること自体意味のないことかもしれないですが、これは青春真っ只中の人がやるゲームではないということだけははっきり言えます。

このゲームは、青春時代、クロエのような親友もいなかった人にとって本当の意味で染み入るでしょう。

ぼっちで話し相手もおらず、悲惨な学生生活を送っていた身としては、ただただマックスの日常があまりにも眩しくて冒頭の「To All Of You」が流れるタイトルロールの時点で心震えてました。

プレイ中はひたすら、こんな学生時代が送れたら…なんて国土の狭い日本の悲しみとエモさの間を行ったり来たりしてて、ほんとにクロエ並に情緒不安定になってましたw

終わりゆくかけがえのない青春の一幕と、わずかでありながら親友以上の心の絆を結んだ親友との忘れられない時間…

現実には、むしろクロエのような親友がいる人の方が少ないでしょう。ゲームだから、作り話だからと言ってしまえばそこまでですが、当時の私には、とてもこの2人が現実に存在しないなんて信じられなかった。むしろこっちが現実なんじゃないかって思ってたぐらい。(夜、あまりの憂鬱で眠れなくなったのはいい思い出)

そういった、プレイする私たちの現実での孤独とかの悲しみが、ゲームの中で描かれる、こういった愛は存在するという事実によって癒され、マックスの青春の別れの喪失感と共にプレイヤーとゲームのキャラとの垣根はもはや無くなり、一つの人生を生きたかのような一人ひとりにとって唯一無二のゲーム体験になるのです。


余談

よく議論される、ラストのどちらが正史ルートなのかという問題。

私は別にどっちでも正解なんじゃないかと思います。マックスとクロエのかけがえのない愛こそが問題であり、それがどこに行き着くのか、結果は問題ではないと…

要するに百合が見れればいいってことです。(バカ)

自分の中でのLiSの一番の盛り上がりって、
最後の選択じゃなくて、チャプター3からチャプター4にかけてだと思うんですね。
最後の選択は割とサラッとそこまで行っちゃうので…(その前のビン集めとかジェファソン鬼ごっことかがめんどくさすぎるってのもある)

チャプター5は過去行ったり戻ったりなので慌ただしくてあんまりストーリーの流れが入ってきにくかったんですが、まだレイチェル探してるあたりはストーリーがちゃんと一本道でわかりやすいですね。

自分のせいで半身不随になってしまったクロエを見て、5年連絡してなかったこととかいろんなことを悔やむマックスが、「ウィリアムおじさんごめんね。」と誤り、クロエを守ることを決意するシーン。

そして、帰ってきた時…

目の前には、懐かしい青髪のクロエが。

ここは、ほんとに見事ですよね、思わず感動してしまいました。静かなシーンなんですけど。


あら^〜(感涙)

多分マックスはクロエに対してそこまで100%信用してないというか、でもこの出来事がきっかけでクロエのことは絶対守ろうって決心がようやくついた感じがしますね。

自分は、ここのシーンが最高潮なんじゃないかなと。マックスがクロエのために生きようって決意して、もうその事実で良いんじゃないかな。結果はどうあれ。(やけくそ)


なんかいろいろ長々と長文で書いてしまいましたが、百合が最高ってことです。


ごめんね、こんなことダラダラ書いて。エモくて、キモいよね…。

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