自分が幽霊でも賢くもないことに気づくのに22年11ヶ月かかった

 舞台袖が好きだった。本番よりリハーサルの方が好きだった。キュアブラックよりキュアホワイトの方が好きで、休み時間、校庭で遊ぼうと誘われてもわざわざ木陰で本を読むような恥ずかしい子どもだった。どんなに頑張ってもとうとう50点以上取れなかった数学のテストのために、吐きそうになるまで勉強した。友だちがたくさん欲しくてだれにも嫌われたくないのに、だれかとすごく仲よくなるということが怖かった。とうとう、小学校に入学してから大学を卒業するまで、1回も課題をさぼらなかった。というのも全部、自分のことを幽霊みたいに捉えていて、それからおとなしくて勤勉な女の子だと思っていたからだっていうか、そう思われていると思っていたからだった。

 まず幽霊はどうして私になったのか(私が幽霊になったというより、学校とか、公民館とかの空気のなかには漏れなく幽霊の成分みたいなものが含まれてて、教室やホールにいるだれかのうちのひとりはその成分が固まってできたモノなんじゃないか、そして私のクラスでは私がそれだったんじゃないかって思った方がしっくりくる)? 私が人の目に映りたくないと思い始めたのはたぶん小学4年生のときからだ。その年にとくになにがあったわけではなく、それまで目立ちたがりのバカガキだった反動で、子ども心に「一旦もうやめよ」と考えた記憶がある。しかし、そう簡単に性格を変えられるわけはないし、そもそも人の目に映らないということは絶対無理なのだ。皆気づいているか知らないが生きているものは、というか0.1ミクロンでもこの世に存在してしまっているものは絶対に「ある」ことしかできないのだ。でも、それはいまだからわかることで、私は結局中学2年生になるまで「あんまり目立ちたくないけどちょっと目立ちたい」みたいな中途半端さで、前傾姿勢で生活してた。背骨が曲がってるのはいまでもだけど。

 その、中途半端ではあるもののまあどの学校にもいる感じの、すごい嫌われてるとかではないけどちょっと痛くて一軍にはどう考えても入れなそうだなって感じの生徒だった私が本格てきに幽霊デビューしたのは、前述した中学2年のときである。中2にあがった春、私は「自分には友だちがいない、できない」となぜか強く思い込んだ。新しいクラスに知り合いが少なかったこと、苦手な子がたくさんいたことが原因のような気もするが、1年のときに入った女子テニス部であまりの下手さやコミュニケーション能力の低さ、真面目に練習しなさによって同級生にも先輩にも嫌われ呆れられ、半年で辞めた挫折の経験が根本にあったのかもしれない。し、もっと深くには、幼稚園の頃から続けていたバレエで養われた「私はできない側なんだ。呆れられて当然の、ぜんぶが間違っている子どもなんだ」という認識が根を張っていたのかもしれない。とにかく圧倒てきに自己肯定感が低く、自意識が過剰で、でもその春が苦しかったはずなのにそういうフィルターをかけたみたいにきれいに滲んで光って覚えている。幽霊が私として完成する前の最後の私の記憶だからなのか。それは、ていうかどっちでもいいけど、つまり中2の秋ごろに完全にそれまで信じていた価値観を粉々に壊して、アイデンティティを1からつくり直さなければならない局面に陥ったのである。大げさに思われるだろうがそうとしか言いようがない。教室のなかで、バレエの練習をしていた公民館のなかで、少しずつ私の形をとってきた幽霊は、ついに私になってぎこちなく喜んだ。ちょっと変わり者で皆に嫌われていたけど私とは仲が良かった子のことを無視できるようになったこととか、スクールカーストの一番上にいた女の子とたまたま仲良くなって、そっち側の子たちに混じってふざけられるようになった(無理しているのがばればれだっただろうけど)こととかを喜んだ。

 こうして晴れて私になった幽霊は、もちろん幽霊なのでだれと話していてもなにをしていても自分がその場にいるという感覚が薄く、撮影現場にいるのに、わざわざ画面越しにテレビを見てるみたいに過ごしていた。テレビの、それもCMばっかりを。何台ものライトに照らされたスタジオの外れで、大きなカメラの影で明けないCMを見ていた。
 
 透き通ったよだれを垂らして画面を見つめる幽霊の話は一旦置いておいて、「おとなしくて真面目である」という自己認識がどのように生まれたのかを振り返ると、たぶん、そのように扱われたからだろう。犬だって猫として育てられたら自分のことを猫だと思いながら生きるかもしれないじゃないですか。そんなことはないかも。犬の方が私より賢いだろうから。ともかく、現代日本において、あまり容姿が派手ではなく声が小さく動くのが下手で自信なさげな女は「おとなしくて真面目で優しい」という唯一の長所をいただける。長所が一個もない人間は接し方に困るから、そういうことにしてもらえる。その立ち位置はけっこう楽だから、卑怯なことに、私は甘んじて受け入れた。だから、て言っていいのかわからないけど、その枠から外れないようにしよう、と無意識に思っていた。外れてしまったら、皆私のことをどう扱えばいいのか困惑してしまうだろうからと。でも結局あんまりうまくいかなくて、悪目立ちして、しかしやっぱり幽霊だから、見られてることに耐えられなかった。

 そのような感じだったので、自分でも不思議なくらい生きづらかった。幽霊が生きづらさを語るなと言われたらその通りだけど。

 変わったのは大学3、4年のときだ。

 おおまかに言えば、就職にあたって参加していた内定先のインターンと、友だちと、お酒のおかげだった。強制的に(と言うと聞こえが悪いが)人と関わり、人に働きかけ、巻き込んで、一緒に結果をつかんでいく経験をさせてもらったこと。本気でダメ出しや評価をしてくれる先輩方、弱音を吐き合ったりライブや海外旅行に誘ってくれたり卒業祝いを用意してくれたりした、自分の頭で静かにたくさん考えている、心から尊敬する同期の人々と出会えたこと。仕事のプレッシャーでおかしくなりかけていたとき、ほんとうにびっくりするほど親身になって相談に乗ってくれて、自分ごとのように解決策を考えてくれた友だち、好きなアーティストを通じて仲良くなれた、「楽しい」という気持ちを思い出させてくれたフォロワーの方たち。そうした、「これは自分の人生に起こってることなのかな」となかなか飲み込めなかったくらいの恵まれた出来事や出会いによって、人を信じたり、自分を、自分がほんとに存在していて世界にささやかでも影響を与えていることを怖がらないで受け入れたり、できるようになった。お酒というのは、自分がいかに自制心が欠けておりはちゃめちゃな行動をとるのか教えてくれたから、ラインナップに入れさせてもらいました。

 つまり、私は生きてるバカでした。

 幽霊なんかではもちろんなく、というか幽霊の持つ「人に見られない、世界に影響せずに存在できる」という特権なんかもちろん私にはなく、おとなしくて真面目どころかでかい声で笑い、泣き、お酒で潰れて吐いて知らない人にホテルまで運んでもらい、年下の友だちに「悪い人だったら連れ去られてましたよ、本当に気をつけてください」と忠告をもらう、どこまでもどうしようもなく、はた迷惑で軽薄な、生きてるバカだった。課題を全部出したから、なんだったというんだろう。周囲が与えてくれた像にがんじがらめになって、生きるのが恥ずかしい、存在していて申し訳ないと思い続けたのは、でも、必要な時間だったのだと思う。あまり容姿が派手ではなく声が小さく動くのが下手で自信なさげな女だけど、ぜんぜん、おとなしくも真面目でもない、既にある形容詞では説明できないくらい訳のわからない人間として厚かましく存在しちゃっていることに気づき、そのことを心から嬉しいと感じるためには。

 明日4月1日から社会人になる。切実に痛み、間違え、失敗し、恥をかき、のしのしと地面を踏みしめて、生きてるバカとして、生きていこうと思う。

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