「なくしたもの」
暗くなって乾いた冷たい風が強くなってきた。この辺りの風は「おろし」と呼ばれる。その名前は、山からおりてくる風という意味もあるし、冷凍庫で冷やしたナイフを頬に当てられてるかのような、痛みを感じるほどの金属的な冷たさを表してもいる。その透明感は、世界に自分しかいないような錯覚を生む。澄んだ世界の中で、ただ自分だけが痛みに凍えているのだ。
家にたどり着くまであと徒歩15分、その前にコンビニが有る。そこまでは暗い木々に囲まれた道を歩かなければいけない。草木は風が吹くたびに声を出す。寒い寒いと話し合っているのだろう。電灯は点々と世界を照らしているが、その間は深い闇に包まれている。ここで意識を奪われてはいけない。人は気を抜くと闇に足をとられ、立ち止まってしまうのだ。
ふと、違和感が走った。暗い道に何かがいる。近付くにつれ、次第にそれは形を持ち始めた。人だ。なぜこんな寒い日に、こんな暗い所にいるのか。恐らく関わらない方が良いだろう。目を合わせないようにして、通り過ぎた瞬間だった。
「あの、何か落としましたよ。」
後ろから声が聞こえてきた。ゆっくりとていねいな言い方だった。しかし、何か落としているはずが無い。物を取り出したりもしてないし、ただ歩いて通り過ぎただけだ。明らかに何かおかしい。声を無視して早歩きでコンビニまで急ぐことにした。
「あの、何か落としましたよ。」
少し後ろから声がした。早歩きでだいぶ距離ができたはずだった。早歩きなのに着いてきているのか。足音はしてない気がする。後ろがどうなってるか確認したいけど、振り返ったらもう戻れなくなる気がした。さらに足を早めた。
「あの、これ、要らないんですね。」
何を要らないと言っているのか。確かめたくなかった。けど、もしそれが何か大切なものだったら。軽く振り返るべきではないか。逡巡して、足を早めながら、たどりついた電灯の下で後ろに少し目を向けてみた。
(続く)
#逆噴射小説大賞2023
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?