あとで読む・第12回・『須賀敦子全集 全8巻』(河出文庫、2006年)

私はほんとうに何も知らないな、と痛感するのだが、7~8年くらい前まで、須賀敦子さんのことをまったく知らなかった。たまたま書店で手に取った『須賀敦子の手紙 1975~1997年 友人への55通』(つるとはな、2016年)が、装丁を含めてとてもよくて、須賀さんがどんな人であるかも知らずに、手元に置いておきたいと思って購入した。それが須賀敦子さんとの出会いである。

私は往復書簡の形式をとった本がけっこう好きである。ただそういう形式の本の多くは、出版社の企画に由来するものだったりして、どうしても読者を意識して書かざるを得ない側面があるのかも知れない。そのことを差し引いても、時々垣間見られるお互いへの想いを感じることができるという意味で、往復書簡の体裁をとる本にはどうしても惹かれるのである。

『須賀敦子の手紙』はそれ以上に、不特定多数の読者への意識すらない。心を許した親友に対して、無防備に、そして無邪気に自分の心境を吐露している。それでいて、親友に宛てるがゆえの手紙を書く嬉しさも滲み出ている。
この本がすごいのは、実際の手紙の写真まで掲載されており、まるで自分に宛てられた手紙を読むような気持ちになるから不思議である。特定の人に宛てたきわめて個人的な手紙であるにもかかわらず、その文章はひとつひとつ丁寧で、さながら一つの文学作品である。だから須賀さんとその親友との関係がどのようなもので、どういう経緯があるのかなどの情報は知らなくても関係ない。それだけ普遍性を持つ文章なのである。

「本当に大切な友達っていうのはね、みだりに会っちゃいけないんです。どうかしたら一生会っちゃいけないかもしれない。人は会うと下品になるから。会わないでいる方が上品になれる」というのは、私が大好きな映画作家の大林宣彦さんの言葉だが(高橋幸宏『LOVE TOGETHER YUKIHIRO TAKAHASHI 50TH ANNIVERSARY』(KADOKAWA、2022年より)、その言葉どおり、会えないときの手紙は上品である。このことはつまり、本当に大切な友人に向けて書いた手紙であることを証明しているのだ。

高校時代に同じ部活に所属していた親友の小林君とは、いまではほとんど会う機会がないが、たまに思い出したようにメールのやりとりをしている。彼には、高校時代から文学や音楽などで少なからず影響を受けてきた。彼の批評眼をいまだに信頼している。その彼が昨年、メールをやりとりしている中で、こんなことを書いてきた。「静謐で思い出しましたが、須賀敦子は是非、読んで欲しいものです。硬質で美しく、そして優しいその文体と文章は、何を読んでも本当に素晴らしいです」。彼に後押しされ、よし、須賀敦子さんの文章をひととおり読んでみようと全集を少しずつ集めている。いっそ、心を許している親友の小林君と、本気で手紙を交わしてみるか。たぶん彼は嫌がるだろう。

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