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牧野富太郎『なぜ花は匂うか』(平凡社、2016年)

2018年のこと、ふとしたことが縁で、アジア・太平洋戦争中にマーシャル諸島で亡くなった日本兵の佐藤冨五郎さんが死の直前まで書いた日記を解読するお手伝いをした。鉛筆書きが薄くなり、肉眼では読みにくかったものが、職場の赤外線ビデオカメラによって鮮明に映し出されたときの衝撃はいまも忘れない。そのときの興奮は、大川史織編『マーシャル、父の戦場』(みずき書林、2018年)にエッセイとして書いた。同年、佐藤冨五郎さんの長男である勉さん(宮城県亘理町在住)が父の戦場であるマーシャル諸島を訪れる旅を追ったドキュメンタリー映画『タリナイ』(大川史織監督)が、渋谷の小さな映画館でロングラン上映された。
 日記の中で、飢えをしのぐ食料として記されている「赤草」が、山形で正月に食べる「ひょう」(スベリヒユ)であることを知り、そのことを勉さんにお伝えすると、勉さんはさっそく山形県飯豊町の「道の駅」から大量の「ひょう干し」を取り寄せ、映画『タリナイ』を見に来てくれた渋谷の観客一人ひとりに配った。勉さんにとって「ひょう」は、父の戦場体験をしのぶ大切な食材であり、それを観客にも共有してもらいたかったのだろう。
 「植物学の父」といわれる牧野富太郎が1956年、94歳の時に書いた「野外の雑草」という随筆の中に、スベリヒユについて触れたくだりがある(『なぜ花は匂うか』平凡社所収)。曰く、「スベリヒユは食用になる草だから大いに採って食ったらよかろう。私も数度これを試食してみたが、決して捨てたもんではない。現に信州などではむかしからこれを食用としていて、生でも食えばまた干しても貯え、冬の食料にあてている。ゆでて浸しものにして食ってみると粘りがあって、少し酸っぱいように感ずるけれど存外うまいものである」と。信州でも古くからこれを食用としていたらしい。
 『マーシャル、父の戦場』を編集したみずき書林の岡田林太郎さんの祖父の遺品の中に、植物の絵(写真)とともにスベリヒユの調理法についての新聞記事の切り抜きがあったことを岡田さんは教えてくれた。記事には「たこの足のような感じのする赤い茎に肉質の可愛らしい葉のついてゐる植物です。畑や路端によく見受けられます。茎はよく洗つて塩茹とし、花鰹節をたつぷりかけ、割醤油をかけていたゞいても美味しゅうございます。また花鰹節の代りに炒胡麻を刻んでかけても大層美味しいお料理が出来ます」とある。
 何の新聞のいつの記事かは不明だが、岡田さんの祖父は兵庫県北部に住んでいたそうで、かつては関西でも食用とする地域があったのだろう。スベリヒユを調理する地域はどのくらいの広がりをもっていたのか、興味は尽きない。
 牧野富太郎は先の随筆の中で、『万葉集』のなかにスベリヒユが登場すると書いている。

いりまじの おおやがはらの いはゐづら ひかばぬるぬる わになたえそね(巻14、3378番歌)
(入間路の 大家が原の いはゐづら 引かばぬるぬる我にな絶えそね)

 伯耆地方(鳥取県西部)ではスベリヒユのことを「イワイズル」というそうで、「いはゐづら」がそれにあたると考察している。この歌じたいは東歌なので、伯耆地方とはかけ離れた地域の歌である。してみると「いはゐづら」はスベリヒユの古語であり、伯耆地方の方言として残ったということだろうか。
 時代や地域を超えて人々の意識に深く根ざしていた雑草は、歴史を生き抜いてきたたくましさを感じさせる。
(『雑草の唄』70号、2023年8月より転載。原題は「スベリヒユのこと」)

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