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あとで読む・第52回・アーヤ藍編著『世界を配給する人びと 遠いところの声を聴く』(春眠舎、2024年)

「最弱」という言葉が好きだ。
前の勤務地でボランティア活動をしていた頃、各地で同様の活動をしているボランティア団体に比して自分たちのことを「最弱のボランティア団体」という紹介の仕方をしていた。自虐的な意味ではなく、卑下して言っているのでもなく、本当に確固たる基盤を持たない団体だった。しかし確固たる組織的基盤がなくとも、人と人とのつながりを大事にすればほかにまねのできない活動ができる。そしてそのこと自体がメッセージとなり、その存在感を示すことができるのだ。この体験は、少なくとも私にとってはその後の生き方の指針となった。
「弱国史」に関する本を作りたい、とは「ひとり出版社」を切り盛りしていたみずき書林の岡田林太郎さんの口癖だった。
2018年4月に岡田さんが独立してみずき書林を立ち上げた頃、私は岡田さんと知り合い、一緒に仕事をした。
初対面は吉祥寺の喫茶店だった。そこでいろいろとお話をしていくうちに、「いずれ弱国史についての本を作りたい」と岡田さんは言った。
このとき、岡田さんは大川史織編『マーシャル、父の戦場』(みずき書林、2018年)という本の刊行を準備していて、私もその本の中に短いエッセイを寄せることになっていた。アジア・太平洋戦争の際に「南洋群島」のマーシャル諸島で、国に見放され、自給自食を余儀なくされた兵士が、餓死する直前まで日記を付けていた。その日記を解読する過程で、ほとんど忘れ去られていた戦時下のマーシャル諸島の存在が眼前に立ち現れてきた。
教科書にも登場しない、だれからも忘れ去られてしまった国、そういう国のことを本にしたい、というの長年の夢の原点は、この『マーシャル、父の戦場』の本の編集体験によるところが大きいのではないかと想像した。そればかりではなく、岡田さん自身がこのときに立ち上げた「ひとり出版社」が「最弱の出版社」として出発したことと重ね合わせたからなのかもしれないとも思う。しかし志半ばで彼はこの世を去った。彼の手でその本を作る機会は永遠に失われた。

いま手元にアーヤ藍編著『世界を配給する人びと 遠いところの声を聴く』(春眠舎、2014年)がある。岡田さんの遺志を受け継いだ人たちが作った本だ。春眠舎はもともと、大川史織さんが監督した、マーシャル諸島を舞台にしたドキュメンタリー映画(『タリナイ』『keememeji』)を制作するために大川さんと藤岡みなみさんの2人で立ち上げた映画制作会社だ。そしてアーヤ藍さんはこの映画を配給するために奔走した。この3人が、岡田さんの想いを継いで「弱国史」に関する本を作り上げた。もともと出版事業の構想のなかった春眠舎が、この本を皮切りに「ふたり出版社」として出版事業もスタートするという。やはり「最弱の出版社」だ。
本のタイトルには「弱国史」という言葉は見えないけれど、本書の巻末にある、岡田林太郎さんが書いた「もうひとつの「はじめに」ー〈弱国史〉概論」の中にその想いがのこされている。「弱国史」は決して蔑んだ言葉ではない。あえてそう表現することで、多くの人たちのまなざしをそこに向かわせるためのパワーワードでもある。「最弱」とは、自虐でも卑下でもない。誇りなのだ。そして人と人とのつながりを大事にしていくことで、やがて「最弱」は「最強」になっていく、と私は信じている。

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