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オトジェニック・渡辺貞夫「My Dear Life」(1977年)


私が高校の吹奏楽団に入部してアルトサックスをはじめたようと思ったのは、渡辺貞夫(ナベサダ)さんの「ナイスショット」という曲を聴いたのがきっかけである。
高1のとき、同じ部活でテナーサックスを担当していた友人の小林と2人で、ナベサダさんのライブを聴きに、六本木のPIT INNというライブハウスに行ったことがあった。
そのとき、「かっこいいオッサンだなあ…」と思い、ゆくゆくはこんなオッサンになりたい、と思った。
そのころのナベサダさんは、脂がのりきっているころで、80年代のフュージョン的な音楽を志向していた時期だった。そんな時期に、思春期である私が出会ったことが、どれほど私のその後の人生に影響を与えたことか。
サックスを吹いている最中は、まさに孤高の求道者、といった表情で、演奏が終わると、これ以上ないくらいの満面の笑みをたたえる。その姿を見ていて、自分がこれからどんな道を歩もうとも、あんな境地に達してみたい、と思ったものである。
高校時代は、土曜の深夜0時からFM東京(当時)で放送されていた「渡辺貞夫 マイディアライフ」をリアルタイムで欠かさず聴き、カセットテープにも録音した。ラジオでは毎週ナベサダさんのライブ音源が流され、小林克也さんのDJと、資生堂提供のCM(大沢在昌さん作)も含めて、とても贅沢な時間だった。

いまから12年ほど前の2012年、私が前の職場にいたころ、この町にナベサダさんがライブに来るというので、じつに久しぶりにナベサダさんの生演奏を聴いた。
約25年ぶりに目の前で見たナベサダさんは、さすがに年老いたなという印象だったが、演奏がはじまると、音色、音量、そしてアドリブとも、少しも衰えを感じさせなかった。
演奏しているときの、孤高の求道者のような表情、演奏が終わったあとの満面の笑顔も、まったく変わらない。
しかも、激しい演奏のあとも、汗ひとつかかず、息ひとつ上がらず、曲間のMCをつとめているではないか!
結局、ナベサダさんは休憩をとらず、1時間40分吹き続けた。感激のあまりに涙が出た。

曲間のMCで印象的だったのは、アフリカで出会った音楽の話である。
以前にアフリカに訪れた際、海岸を歩いていると、魚を捕る網を繕っているひとりの少女に出会った。その海岸は、その昔、黒人奴隷を乗せた船が出航した場所であったという。その少女が口ずさんでいる歌は、とても美しいメロディだった。
ナベサダさんはその少女に、「その歌は、どんな歌なの?」と尋ねた。
少女は、「いなくなってしまったお父さんとお母さんを想う歌」と答えた。
彼は、その少女が歌っていたメロディを持ち帰り、アレンジして、ひとつの曲を作った。
それから30年ほどたった2012年の1月、アフリカを訪れた際に、その曲をアフリカの子どもたちの前で演奏したのだという。ライブではもちろんその曲も演奏した。
ナベサダさんが、ジャズだけでなく、アフリカやブラジルなどの音楽にこだわる理由が、なんとなくわかるような気がした。渡辺貞夫の音楽は、人間に対するまなざしそのものである。しかもそれを何の気負いもなく続けている。
自分もそんなふうに仕事ができたら、どんなにすばらしいことだろう。

渡辺貞夫さんの曲の中で何がいちばん好きか、と問われたら、やはり「My Dear Life」と答えるだろう。
ナベサダさんの音楽は、いつも暖かい。
いろいろあった人生の最後に浮かぶのは、ありふれた言葉ではなく、このメロディなのではないか。高校生の頃から、ずっとそんなことを思ってきた。
陳腐な言い回しだが、この曲は、ナベサダさん流の「人生賛歌」なのだ。かなり照れくさい書き方をするが、この曲を聴くたびに、
「ご苦労さん。よく頑張ったよ」
とか、
「人生って、捨てたもんじゃないんだぜ」
とか、そんな気持ちになる。
だからこれからも、何度でも聴くだろう。
この曲にふさわしい人生をおくっているだろうか、と、たしかめながら。

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