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いつか観た映画・山田洋次監督「男はつらいよ 寅次郎と殿様」(1977年)

映画「男はつらいよ 寅次郎と殿様」は、アラカン(嵐寛寿郎)のコミカルで憎めない演技が光る名作である。
寅次郎(渥美清)は、旅先の伊予大洲で、殿様(嵐寛寿郎)に出会い、親しくなる。寅次郎とすっかりうちとけた殿様は、思い詰めたように、寅次郎に、ある望みを叶えてほしいと懇願するのである。
それは、若くして死んだ息子の妻、鞠子さん(真野響子)に会いたい、という望みである。
殿様は、身分が釣り合わないという理由で、息子が鞠子さんと結婚することに反対し、息子を勘当した。その後、息子夫婦は、父親と縁を切り、慎ましやかな生活をするが、ほどなくして、息子は死んでしまった。
殿様は、二人の結婚を許さなかったことを悔やみ、息子の嫁に一度会って、お詫びとお礼が言いたい、というのである。
殿様のその切実な思いに圧倒され、寅次郎はつい、「鞠子さん探し」を引き受けてしまう。
しかし探す手だてはまったくない。鞠子さんは東京にいる、という手がかりだけを頼りに、寅次郎は柴又へ帰り、とらやの家族に相談する。

「参っちゃったなあ。本気にするとは思わなかったんだよ。俺、お愛想のつもりでいったんだよ。すぐ探しますからって。世間知らずだから、真に受けちゃったんだなあ」
「あやまっちゃったらどうだい」とおいちゃん(下條正巳)。
「そうはいかないよ。相手はお殿様だもの。俺、お手討ちになっちゃうかもなあ。
『よくもわしを騙したな!』
スパッ!(首を斬る音)スポッ!(首が木に引っかかる音)
鈴ヶ森の三尺高い木の上で、雨の日なんか、やだなあボシャボシャボシャボシャ首だけでさ。カラスに目玉なんか突っつかれちゃって、あとは穴ぼこだらけになっちゃって…」
困った寅次郎は、義弟の博(前田吟)に相談する。
「博よお、どうなんだ、お前は?」
「ナンセンス」
「『ナンデショウ』?聞いてなかったのか?俺の話。よぉ、どういうつもりなんだよ」
「世の中には、もっと困っている老人がたくさんいるんですよ」
「何が言いたいんだ」
「どうして殿様だからって、そんなに大騒ぎするんですか。江戸時代じゃないんですよいまは。民主主義の時代です」
「民主主義っちゅうのは、殿様嫌いなの!」
殿様と、息子の嫁は、今まで会ったこともない赤の他人である。そんな二人が会ったところで、どうってことないんじゃないか、と、おいちゃんは言う。
ここから、寅次郎は殿様の気持ちを代弁する。
「おいちゃん、どうしてそんな冷たいことを言うんだよ」
「どうして?」
「たとえばだよ。いいかい、これはたとえ話だよ。
俺が、所帯を持とうとする女が見つかる。
しかし、身分違いだということで、おいちゃんたちは反対するよ」
「しやしないよ(笑)」
「だからこれはたとえ話といったでしょ!」
「あ、そうかそうか。それで?」
「しかし、俺はその女と一緒になっちゃう。民主主義だから!」
「もちろんだよ。一緒になればいいじゃない」おばちゃん(三崎千恵子)が口をはさむ。
「しかしなあ、おばちゃん。俺ととらやはそれっきり、喧嘩別れだよ。どこか遠くの町で所帯を持つ。5年6年暮らすうちに、ある日突然電報が来る」
「あら、何だって?」
「『寅次郎、病にて死す』…わびしい葬式だ…変わり果てた姿で、白木の棺に入って帰ってくる俺…。
『寅ちゃん!こんな姿になってしまって…』
…おばちゃん、そのときは泣いてくれるだろ?」
「もちろんだとも…」おばちゃんの目頭が熱くなる。
「一周忌、三回忌はまたたく間に過ぎ、それにつけても思い出すのは、俺の嫁さんのこと。せめて一目会いたい。会って両手をついて、礼が言いたい。
『寅次郎のやつが、お世話になりました。あなたのような美しい、優しい人がおそばにいてくれたからこそ、寅のやつも晩年はどれほどに幸せであったことか…』
なあおばちゃん。
この気持ちもわかるだろう?」
「わかるとも…」おばちゃんは、すすり泣いてしまう。
このあたりの驚くべき妄想力と語りは、寅次郎の真骨頂である。
「それがわかれば、今の殿様の気持ちも、わかるってことなんだよ」
「なるほどねえ」
かくして、寅次郎の「強引な妄想」は、人々を共感させたのである。

さて、もう一つ興味深いのは、博の主張と寅次郎の主張の違いである。
博は、もっと困っている老人はたくさんいるのだから、殿様を特別扱いするのはよくない、と主張する。庶民の立場からいえば、たしかにそうである。これはこれで、理屈が通っている。
だが寅次郎は、「殿様だって、一人の人間なんだ。ほかの老人と同じような悩みを抱えているのだ。ふとした縁で親しくなった殿様を救おうと思って何が悪い」という。
博の「一般論」に対し、寅次郎の方は、「目の前で困っている人がいるならば、殿様であろうと庶民であろうと助けてあげるべきだ」という意識が、より強烈にあらわれている。
つまり、
「すべての人を等価値に置く」
という点では、じつは博よりも、寅次郎のほうがむしろ徹底しているのである。

名作「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」の中で寅次郎は、親しくなった稀代の日本画家・池ノ内青観(宇野重吉)に、絵を描いてほしい、と懇願する。
その絵を売って、詐欺師に騙されて借金を抱えてしまった芸者・ぼたん(太地喜和子)の借金を、返したいというのである。
芸術を冒涜するような、何とも乱暴な望みだが、寅次郎は、池ノ内青観の名画は、不憫な芸者・ぼたんを救うためにこそ価値がある、と思っているのである。
ここにも、「すべての人を等価値に置く」という寅次郎の姿勢が垣間見られる。

シリーズを貫く「寅次郎」像は、すべてこの一点に集約される。


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