あとで読む・第20回・小池邦夫『小池邦夫の落書帖』(文化出版局、2012年)

2023年9月5日(火)の夜、インターネットのニュースで流れてきたのは、絵手紙作家、小池邦夫さんの訃報だった。

私の小学校高学年のときの担任の先生が、松山東高校時代の同級生ということで、小池さんのお話は、授業の中で何度となく聞いていた。
「私の高校時代の同級生に、小池邦夫という変わった男がいる。彼は大学で正統派の書道を学んでいたが、ある日、その正統派の書道を投げ出し、自己流の書道を究めようと考え、ひたすら型を崩すことばかり考えてきた。それで到達したのが、絵手紙の世界だ」と、たしかそんな内容のお話だったと思う。
こんな話も聞いた。小池さんは、『季刊銀花』という雑誌の1冊1冊に、直筆の絵手紙を挟みこもうという途方もないアイデアを思いつき、じつに6万枚の絵手紙を描いたという。そのために1日に200枚の絵手紙を描いたというのだから、常軌を逸した情熱である。私は後年、古本屋をめぐるたびに、『季刊銀花』の小池邦夫さん特集号を探しては購入した。実家に数冊置いてあるが、当然、1冊1冊にそれぞれ違う直筆の絵手紙が挟み込まれている。
絵手紙というのは、葉書に絵を描くだけでなく、そこにひと言、メッセージを添える。その絵や文字というのは、全然上手ではなくてもかまわない。むしろ下手なほうがメッセージがストレートに伝わるのだ、というのが、小池さんの持論だ。「下手でいい、下手がいい」というのは、小池さんの口癖だった。この言葉が、絵手紙ブームを生み出した。

小学生のころ、私は一度だけ小池さんにお目にかかったことがある。担任の先生に勧められて、小池さんの地元、狛江市で行われた絵手紙教室に参加したのである。もう40年以上も前のことだ。私は小池さんに1度だけ、絵手紙の年賀状を出したら、絵手紙で返事をいただいた。何の絵が描いてあったか忘れてしまったが、そこに書かれたメッセージだけはいまでも覚えている。「動かなければ出会えない」と。
私に対してふさわしいメッセージとして書いていただいたものなのか、たまたまこの言葉を選んで書いただけなのか、たぶん後者なのだと思うが、私はなんとなく、その後の生き方の指針になった言葉だったのではないかと、いまになって思う。

標記の本は、いまから10年以上前に出された画集だが、数年前に書店で手に入れ、実家に置いたままにしていた。あたりまえだが、全ページが小池さんの独特の文字と言葉で溢れている。そして驚きは、小池さんの言葉を詩人のアーサー・ビナードさんが英訳をしていることだ。つまりこれは詩集でもある。
私がかつて小池さんにいただいた言葉「動かなければ出会えない」も、この本に収録されている。やはりこれは小池さんのお気に入りの言葉だったのだ。そしてこの言葉には続きがあった。「かかなければ出てこない。かき続けたら出てくる」。これもまた、いまの私のためにある言葉である。
「あとがき」を読むと、さらに驚くべきことが書いてあった。「二〇〇一年から十年間一日も欠かさず、私は、妻恭子に手紙を書いて投函した。それまで他人ばかりに書いて、家族には出していなかった。本書に掲載された手紙は、その四千余通の一部である」と。これは家族に宛てた手紙だったのか!小池さんにとって絵手紙は日記を書くことと同義だった。書かずにはいられなかった。その思いが本から溢れている。

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