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いつか観た映画・『クラウドアトラス』(ウォシャウスキー姉妹、トム・ティクヴァ監督、2012年)

テレビ放映されていた映画『クラウドアトラス』を見たのが2016年のこと。
今まで見た映画の中で、これほど頭を使った映画はない。観終わったあともしばらくはこの『クラウドアトラス』の内容について考え続けていた。
夕飯を食べている最中にも、
「そうか!劇中で作曲される『クラウドアトラス六重奏』っていう曲名は、六つのエピソードを象徴的にあらわしているのか!」
とか、
「そうか!シックススミスの殺され方は、彼の恋人であった作曲家の青年の自殺の仕方と、同じなんだな!」
などと、それまで何の気なしに見ていた場面について、ハタと気づいたりした。とにかく『クラウドアトラス』のことが気になってしょうがないのだ。どうしてこんなに『クラウドアトラス』のことを考えなければいけないんだ?その当時は完全に『クラウドアトラス』の呪縛から逃れられなくなってしまったのである。
6つの、時代の異なるエピソードが、微妙にリンクしながら同時的に進んでいく。それを読み解いていくのは、至難の業である。これほど脳がしんどくなる映画も珍しい。この映画、劇場で一度見ただけでは、ナンダカワカラナイぞ。
6つのエピソードのうちの一つ。編集者のカヴェンディッシュが、虐待ばかりする老人ホームに強制的に入れさせられ、耐えかねたカヴェンディッシュがそこから逃げ出そうとする場面がある。
…と、こう書いても、何が何だかサッパリわからないだろう。だがストーリーがこうなっているのだから仕方がない。
さてそのときカヴェンディッシュは、次のように叫びながら逃げようとする。
「ソイレント・グリーンの原料は人間だ!」
このセリフの意味がよくわからない。
そこで、「ソイレント・グリーン」を調べてみると、1973年公開の映画に「ソイレント・グリーン」というタイトルの映画があり、その内容はかなり衝撃的なもののようである。その映画の中で叫ばれていた重要なセリフが、
「ソイレント・グリーンの原料は人間だ!」
なのである。
しかも、このセリフをカヴェンディッシュに叫ばせた制作者の意図は、韓国の女優ペ・ドゥナがクローン人間を演じる近未来の「ネオ・ソウル」でのエピソード、つまり別の時代のエピソードの、重要な伏線になっているのだ!
「なるほど、ペ・ドゥナが飲んでいた『石けん』というのは、そういうことだったのか…」
…と、こう書いてみても、ナニガナンダカワカラナイだろう。
というか、この映画を見たアメリカ人は、「ソイレント・グリーンの原料は人間だ!」というセリフから、
「ああなるほど、そういうことね」
と瞬時にその意図を理解できたんだろうな。
こうなると、「ソイレント・グリーン」という映画も自分の目で確かめないことには気が済まなくなるが、そこまでするとますます沼にハマってしまう。
とにかく、一事が万事こんな調子で、こうなるともう、場面場面のすべてに、何か深い意味があるんだろうと画面に集中しなければならない。だから一瞬の隙も与えられず、見ていて脳が疲労してくるのである。

時代を超えた複数のエピソードが、微妙に絡み合いながらひとつの叙事詩となる、という描き方は、手塚治虫の『火の鳥』を連想させる。おそらく監督は『火の鳥』のような映画を作りたいと最初から考えていたのだろう。
手塚漫画と『クラウドアトラス』の奇妙な関係については、また次回。

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