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雑感・小松左京『復活の日』(角川文庫、初出1964年)

深作欣二監督の映画『復活の日』(1980年公開)は、まだ子どもだった頃に観ていてワクワクしたものである。大人になってからもDVDで繰り返し観た。ところがあるとき、原作の小説である小松左京『復活の日』(角川文庫、初出1964年)をちゃんと読んでみたら、実に驚くべきことがわかった。
原作を読んでわかったことは、僕が見ていたあの映画は、残念ながらまったく原作小説の足下にも及んでいなかった、ということである。ひょっとしたら、あの映画を作った人たちは、原作小説の本質をまるで理解していなかったのではないだろうか、とさえ思えてくる。
ちょっと言い過ぎたかも知れない。しかしあの映画が、原作小説のごく一部、それもあまり本質的ではないと思われる部分を強調して描いているような気がしてならないのだ。
この小説は、さながら人類の一大叙事詩である。そしてこの小説もまた、生半可な知識では書けないし、読者も生半可な知識ではついて行くことができない。そして原作のもつあの格調の高さは、やはり映画では描ききれなかったのである。
そしてまた、この小説は予言の書でもある。新型コロナウィルスの世界中への感染拡大を予言している、ということはもちろんなのだが、僕が注目したのは、この小説で描かれている、アメリカと、アメリカ大統領についてである。
この小説には、前大統領と、その次の現大統領という、二人の大統領が登場する。その描き方が対照的である。
まず小説では、現大統領が登場する。その一節。

「『ジョージ……すまないが、その話はあとできかせてくれ。緊急電話だ』
テレビ電話を切って、かかってきた電話を耳にあてると、大統領の表情がみるみるけわしくなった。『なんだって!--そんなバカなことが許せるか!』と大統領はどなった。『すぐ州知事を呼びたまえ!--今いなければ、かえったらすぐ!そんなことは絶対ゆるさんと、秘書にいえ。場合によれば軍隊を出動させる、とな』
ガチャリと電話をたたきつけると、大統領は苦虫をかみつぶしそうにいった。
『アラバマで黒人の暴動がおこりかけている』
『なぜ?』と財務長官。
『州政府が、ワクチン接種の差別をしたというんだ。--州兵が出動して、保健所の前から黒人を追っ払い、発泡した』
『絶対量がたらないんですよ』と国防長官がいった。
『かといって、黒人を差別することはゆるさん』」

この場面、新型コロナウィルス感染のさなかに、黒人に対する差別の問題が起こり、市民運動が起こった現実世界を予言しているようにも思える。もっとも、小説の中の大統領はリベラルだが、コロナ禍での大統領はそれとは正反対であった。
さて小説の中では、その前任の大統領について言及している場面がある。

「『まったくバカげたことだ。そして、このバカげたことの原因は、アメリカはじまって以来の、バカげた大統領--シルヴァーランドによってつくられたものだ……』
『前大統領の……』吉住はつぶやいた。
『そう--あいつは……ほとんど考えられないくらいの極右反動で、まるできちがいじみた男だった。南部の大資本家と称するギャングどもの手先で……二十世紀アメリカのアッチラ大王だった。憎悪、孤立、頑迷、無智、傲慢、貪欲--こういった中世の宗教裁判官のような獣的な心情を、”勇気”や、”正義”と思いこんでいた男だ。世界史の見通しなど全然なく、六年前にはもう一度”アカ”の国々と大戦争をおっぱじめるつもりだった。--なぜ、こんな男を、アメリカ国民がえらんでしまったのか、いまだにわからない。私は軍人ではあるが、あの時ばかりは、アメリカの後進性に絶望した…』」

これって、明らかに現実世界でいうところのトランプ大統領のことだよね?半世紀以上も前に、小松左京はトランプ大統領の出現を予言していたのだ!そしてコロナ禍で顕在化した人種差別も!

確信をもって言える。小松左京こそが現代の予言者である、と。

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