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読書メモ・岡真理『ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義』(大和書房、2023年)

あるラジオ番組のパーソナリティーが推薦していた本である。
そのパーソナリティーは番組の中で、イスラエルによるガザへのジェノサイドに反対するデモに参加したことを「告白」していた。デモに参加したことをメディアで「告白」することはこの国の社会ではかなり勇気がいることらしく、パーソナリティーは慎重に言葉を選びながらそのことを説明していたのが印象的だった。
芸能人やアーティストが「政治的発言」をしただけで「炎上」する世の中である。そのパーソナリティーがみずからの発言の影響を恐れるのも無理はない。自分が発言したことで、リスナーが離れていくのではないだろうか、クライアントとの関係が悪くなるのではないか、など、心配事は尽きない。しかしそれでも、自分の行動を言葉にすることで、一人でも多くの人がそのことに関心を持ってもらいたいという強い想いを、ラジオパーソナリティーである以前に一人の人間として伝えたいという気持ちは尊重されるべきである。
翌週の番組ではその「告白」に対するリスナーのメールが数多く紹介された。どのメールもラジオパーソナリティーの気持ちに寄り添う優しい内容ばかりで、パーソナリティーとリスナーの、めったなことでは揺るがない信頼関係に支えられている番組だと思った。
ただ、ラジオパーソナリティーの発言の真意がリスナーに正確に伝わっているかといえば、必ずしもそうではないようにも感じた。いわば善意の誤解である。これに対してパーソナリティーは、やはり慎重に言葉を選びながら、自分の発言の真意について補足の説明をしていた。どんなに理解しているつもりでも、細かなところでは誤解が生じることはよくあることで、つまり正確に真意を伝える、理解することは、誰にとっても難しいのである。
そんなことを感じたものだから、一リスナーとして私なりにパーソナリティーの気持ちに寄り添うためには、何をしたらよいのだろうかと考えた挙げ句、薦められた本を読むことだろうと思い至った。この本を読めば、少なくともパーソナリティーの思考過程を追体験できるのではないだろうか、と。

前置きが長くなったが、この本は全体で2部構成になっている。2023年10月後半に2つの大学で行われた講演がもとになっていて、講演からわずか40日で本の刊行にまで至っている。といってもブックレットのような薄いものではなく、とてもわかりやすく、それでいて読みごたえのあるガザの入門書である。一刻も早くガザやパレスチナの正しい歴史と現状を伝えたいという思いがほとばしる。
第1部の「ガザとは何か」は、文字通りガザの基本的な歴史と現状を知るのに最適な入門ガイドである。第2部の「ガザ、人間の恥としての」は、同様に入門ガイドでありながら、より著者の強い思いが語られる。パレスチナの歴史を知った上での著者の叫びは、心を打つ。

「私には、この恥知らずの忘却と虐殺の繰り返しが、今、ガザで起きているこのジェノサイドをもたらしたのだとしか思えません。
私はメディアを批判していますが、この批判は、私自身にも向けられています。
(中略)
私はこの間、何をしていたんだろう。攻撃が起こるたびに、「忘却が次の虐殺を準備する」「私たちはどれだけこの恥知らずの忘却を続けるんだ」と訴えながら、でも攻撃がない時、いったい自分はどれだけガザのことを世界に伝えようとしてきたのだろうか。
恥知らずなのは、私自身です。だから今、話していてとても苦しいです。
教えてください。
非暴力で訴えても世界が耳を貸さないのだとしたら、銃を取る以外に、ガザの人たちに他にどのような方法があったのでしょうか。反語疑問ではありません。純粋な疑問です。教えてください」(134~135頁)

著者自身がみずからを恥じて、ガザのことを話していてとても苦しいと告白する姿は、ラジオパーソナリティーがデモに参加したことを迷いながら話す姿と重なる。

「私たちは闘っています。何人の人間性も否定されることのない世界のために。
地球というこの小さな惑星に生を受けたあらゆる人間たちが、互いにかけがえのない友人として、隣人として、兄弟姉妹としてー創世記に従えば、私たちはみな、同じ土から創られたアダムの子供たちですーそのようなものとして生きる、そのような世界を実現するために、私たちは闘っているからです。
もう一度言いましょう。ヒューマニティこそが、私たちの武器です。
人間の側に、踏みとどまりましょう」(147頁)

私たちは闘わなければならない。戦争や差別に対してはもちろん、自分自身の「忘却」に対しても。デモはそのための意思表示である。

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