あとで読む・第28回・G・ガルシア=マルケス『百年の孤独』(鼓直訳、新潮社、2006年)

少し前の高野秀行さんの旧Twitterで、
「ガルシア=マルケスの『百年の孤独』が文庫化!! ついにこの小説を携帯して旅に行ける日が来た!!」
とあった。SNSの反応を見てみると、これがけっこうな大事件のようで、「遂に世界が滅びるかも」「マジ!」と、尋常ではない反応ばかりが目立った。そもそも探検作家の高野秀行さんが、「ついにこの小説を携帯して旅に行ける日が来た!!」と、「!」が2回くり返されていることからもわかるし、旅のお供に携えていくということは、それだけ思い入れの強い本なのだ。
私は読んでいないので、文庫化がどれだけすごいことなのか今ひとつわからない。「おまえ、読書が趣味なのにまだ『百年の孤独』を読んでないの?」と言われそうだが、あらかじめ反論しておくと、私は趣味が読書だとは一度も言ったことがない。何の自慢にもならないが。
そもそもこの本を手に入れたきっかけは、2022年に地元の小さな書店で高野秀行さんのトークイベントがあって聴きに行った際に、司会者の方が「お気に入りの本は?」と質問して『百年の孤独』と答えていたのを聞いたからである。トークイベントの折にも、その書店に『百年の孤独』の在庫があり、よっぽど買おうかなあと思ったけれども、私のことだからどうせ「積ん読」で終わってしまうに違いないと思い、その日は買わなかった。しかしどうしても気になって仕方がない。その翌日、同じ書店に行き、『百年の孤独』を買ったのだった。でも結局というか、予想どおり「積ん読」の状態になった。
事態が変わったのが、つい最近読んだ、小泉今日子さんの『ホントのコイズミさん Y』(303BOOKS、2022年)である。読書会についての話題が出る中で、小泉さんがこんなことを言っていた。
「それ(=読書会)はちょっとおもしろいかも。そういう『いつか読もう』っていう本は何冊かあって、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』とか。同じ名前なんだけど時空が違ったりとかで、なんかもうちゃんと、ちゃんと読まないとわかんないから『いつか読もう』ってずっと本棚にある。でもそれがこういう、みんなで挑戦できる機会だったら楽しいかも、たしかに」
このあと、しばらく『百年の孤独』の読書会の話題になるのだが、これを読んで気持ちが軽くなった。小泉さんも含め、多くの人が私と同じように「いつか読みたい本」として手元にあるのだ。
そして『百年の孤独』を読むいちばんの近道は、読書会をする、ということのようである。しかしいまの私には、そんな時間も仲間もいない。でもモタモタしていたら、文庫本が出てしまう。文庫本が出るより前に、せっかく買ったハードカバーで読み終えたいものだ。そうしないと、なんとなく悔しい気分になる。「俺は文庫が出る前に読んだんだぜ」という自慢にもなる。じつにセコい話だが。

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