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読書メモ・小川洋子『密やかな結晶』(講談社文庫、1998年)

小川洋子『密やかな結晶』(講談社文庫、1998年)は、ある島で、記憶が一つ一つ消滅していく物語である。その島の多くの人は、何が消滅しても、それに適応し、慣らされて淡々と生活を続けていくのだが、一部の人は記憶力を失わない。記憶力を失わない人に対して、「秘密警察」による「記憶狩り」が行われ、粛清されていく。

まるでいまのこの国の社会を予言したような寓話ではないか。この国の政治家たちは、都合の悪い事実を忘れさせようと、書類を改ざんしたり、隠蔽したり、SNSのアカウントを削除したり、あの手この手で、なんとか証拠を残さないように、というか、最初からなかったかのようにふるまう。しかし、いかに「最初からなかった」ようにふるまったとしても、私たちは記憶している。「私たち」といっても、すべての人ではないかも知れないが、あの事件も、この不正も、忘れないように、しつこく記憶している人は多いはずである。もちろんこの小説では、そうした政治批評的な視点は微塵も見られないが、この小説のように、やがては記憶している私たちのほうに権力の刃が向くのではないか、という未来も、いま読んでみると、予感させるのである。

この小説の英語訳が、日本人作品として初めてブッカー国際賞の候補になったという。「日本人作品」という括り方は、あまり好きではないが、あえて言えば、ノーベル文学賞に一番近い日本人作家は、小川洋子なのではないか、と思ったりする。もちろんこれは、僕のきわめて乏しい読書体験からの想像にすぎないので、異論は認める。

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