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読書と回想・大平しおり『大江戸ぱん屋事始』(角川文庫、2024年)

この文章を公開するのは、2024年4月12日、「パンの日」である。日本で初めてパンが本格的に製造されたのが天保13年(1843)4月12日だったことに由来するという。

以前、私が大学に勤務していたときの教え子が小説家として活躍しているという文章を書いた。大平しおりさんである。

あとで読む・第41回・大平しおり『土方美月の館内日誌~失せ物捜しは博物館で~』(メディアワークス文庫、2014年)|三上喜孝 (note.com)

2月初旬に岩手県奥州市で再会した折に、「3月に新作の小説が出ます」といわれ、楽しみに待っていると、その言葉どおり、3月末に新作の小説が送られてきた。時代小説である。
同封の手紙の中に、初めて時代小説に挑戦した、とあったが、そのことをまったく感じさせない、落ち着いた、江戸情緒を感じさせる文体で、読んでいくうちその世界にのめり込んでいく。
主人公は、長年仕えていた油屋をいわれのない疑いによって追い出された青年喜助。失意のうちに訪れた長崎で出会った「ぱん」に感激し、これを米に変わる常食として作って商いをしたいと思い、江戸に帰って「ぱん」作りに励む。家族や仲間たちと試行錯誤をしながら、江戸でぱん屋を開こうとする奮闘がはじまる。まじめで誠実な喜助。彼をとりまく人物たちは、どれも魅力的な人たちばかりだ。
手紙には、「世間ではイロモノと思われそうですが」とあったが、決してそんなことはない。市井に生きる人々の喜びや悲しみを誠実な筆致で描く正統派の時代小説である。
適切な喩えになっているかわからないが、私は山本周五郎の短編時代小説がむかしから好きだった。市井の人たちの喜びや悲しみを一貫して描く山本周五郎のまなざしは、この小説にも通じるものがあると思う。

読みながら、大学在学中のことを思い出した。
あるとき、大平さんはあるスーパーマーケットでちょっとしたトラブルに巻き込まれた。大平さんだけでなく、友だちの中にも同様のトラブルによる被害を受けた人がいる。思いあまって、大平さんは私のところに相談に来た。
私にはどうすることもできなかったが、ひとつだけ、「あなたやほかのお友だちが被害に遭ったことを告発する文章を書いたらどうか。つらいかもしれないけれど、お友だちにもお話を聞いて、なるべく具体的に記録して、それをもってスーパーマーケットの店長に直訴したらどうだろうか」と提案した。
大平さんはすぐさま、文章を書いて持ってきてくれた。その文章は、決して感情的なものではなく、冷静だが、それでいて心に刺さる。誰が読んでも心が動かされる文章だった。
それをスーパーマーケットの店長に読んでもらうと、店長はすぐさま、そのトラブルを解決する方向に動いてくれた。おかげで多くの人たちを悩ませたトラブルは解決したのである。
大平さんは、自分が書いた文章の力で自分の身を守り、そして多くの友だちを救ったのである。胸を打つ文章というのは、それだけの力を持っている。

手紙には、「昔の人だからといって、思考能力が劣るわけでも、「野蛮」なわけでもない。生きた時代のバイアスはかかっているかもしれないが、私たちと同じ「人間」 ーこのように思って書きました」「三上先生に教えていただいた「過去の人と向き合うまなざし」だけは至らぬながらもずっと意識してまいったつもりです」とも書かれていて、なんとも面はゆいが、すべてはあなたの実力によるものだ、あなた自身の力でつかみとったことだと、声を大にして言いたい。

もしこの文章を読んでいただいている方がいらっしゃるとすれば、どうか、大平しおりさんをごひいきに。

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